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第14回 VR ZONE -仮想空間から戻れなくなる日は既に来ていた

新納 翔(にいろ・しょう)

2016.09.30

先日、家人たっての希望ということもあり、お台場ダイバーシティで開催されているバーチャルリアリティの最新技術が体験できる「VR ZONE Project i Can」というものに行ってきた。バーチャルリアリティという言葉が身の回りに出てきたのは90年代なかばであろうか。

横浜万国博覧会の頃だったと思うが揺れる座席に乗って巨大スクリーンに映し出されるスリリングな映像を見るアトラクションのことが、幼いころの記憶にある。炭鉱のトロッコのブレーキが効かなくなり暴走してしまうような類のものだったと思う。今日日映画館で4DXなどの体感型のアトラクションが流行っているが、私が幼い頃体験したあの経験もバーチャルリアリティと言えるのかもしれない。

「VR ZONE Project i Can」では様々なコンテンツがあり、我々は地上200メートルのビルからせり出した一本の板の先にいる猫を助ける「高所恐怖SHOW」、超高速で雪山を滑走する「スキーロデオ」、呪われた病院から殺されることなく脱出する「脱出病棟Ω」の順で体験していった。

正直はじめの2つは、360度自分の動きに合わせて視野が動き、まぁそれなりにバーチャルリアリティ・仮想空間を楽しむことは出来たが、最後の「脱出病棟Ω」は本当の意味で恐怖を感じた。内容は是非ご自身で体験して頂きたいところだが、その恐怖というのはプレイ中に感じた恐怖を超えて、バーチャルリアリティの技術の進化によって我々人間の脳が破壊されるのではないか、という危機感なのだ。

我々はVRの機械を外してダイバーシティのコンコースを歩いていても、そこが現実なのか、それともさっき見ていた廃病院こそが真の現実なのか分からなくなってしまったのである。

地に足が着いていない感覚、駅に向かう人がまるで別次元の人のように、まるで現実世界のほうが架空空間であるような認識を抱いてしまったのだ。そんな状態が恐ろしくも数時間続いた。

いや、実を言うとその感覚は今でも続いている。自分がバーチャルリアリティに没入し易いのか、廃病院で体験したことが過去にあった現実として脳が捉え始めているのだ。「いつかあそこに帰ってミッションをやり直さなくてはならない」、もはや洗脳のようにおそらくあの時脳の一部が破壊されてしまったのだと思う。

ここ最近加速するバーチャルリアリティ技術の進化は、現実世界と仮想世界の壁を取り払うことにはゆうに成功している。ゲームと殺人事件の因果関係に関して否定的であった私であるが、今では十分にあり得ると思う。あんなものを子供にやらせてはならない。風光明媚なドイツの森を体験するというコンテンツに留まればいいが、人間の欲というのは非日常を求めている。

今でもGTA(Grand Theft Auto)のような非常に緻密に作られたゲームの世界で、市民にロケットランチャーを打ったり、航空機を操縦して高層ビルに突入する等、思いつく様々なことが実際にゲームの世界の中でできてしまうものが流行っている。このようなジャンルのVRゲームも多くのニーズがあるだろう。どこかしらで脳が「ゲームであること」を認識していればいいが、バーチャルリアリティの世界に没入するとその境界が消失する。

もはや仮想現実はただの現実でしかないのだ。

ダイバーシティで体験した「脱出病棟Ω」では、失敗して最後に謎の組織の一員に殺されてしまったのだが、大人気なく「ころされるぅううう!」と会場に響き渡る声で絶叫してしまった。これを話した知人は、そこでVRのゴーグルを外せばいいじゃないかと言うが、もはやそれが現実目の前で起きているとしか認識できなくなってしまっている以上、そんな選択肢が頭に浮かんでこないのだ。

VRは我々の脳を破壊する。オウム真理教が付けていた洗脳用のヘッドギアと何ら変わらない。ISISなどの組織がなんの感情もなく他人を殺傷する為のトレーニングにも十分使えると思う。

VRは確かに仮想現実を楽しむものであるのかもしれないが、それ以上に現実空間へ及ぼすリスクのことを考えると本当に怖くなってしまった。近いうちに「VR規制法」などが制定されるのは時間の問題かもしれない。

今朝も廃病院で追われる夢を見た。バーチャルリアリティが進化すればするほど、いかに現実世界に戻ってこれるか、という対策が絶対的に必要だと痛感した次第である。そのうち仮想空間の中で写真を撮るような時代が来るかもしれない。もう「現実」という言葉にさほど意味は無くなってきている。私が今日撮る写真は本物なのか否か、もうそんな事はどうでもよくなってきているのだ。

もしかしたら、今まで生きてきたこの世界も誰かが作った仮想空間なのかもしれない。

 

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新納 翔(にいろ・しょう)
新納 翔(にいろ・しょう) プロフィール

1982年横浜生まれ。 麻布学園卒、早稲田大学理工学部にて宇宙物理学専攻するも奈良原一高氏の作品に衝撃を受け、5年次中退、そのまま写真の道を志す。2009年より中藤毅彦氏が代表をつとめる新宿四ツ谷の自主ギャラリー「ニエプス」でメンバーとして2年間活動。以後、川崎市市民ミュージアムで講師を務めるなどしながら、消えゆく都市をテーマに東京を拠点として撮影を続け現在に至る。新潮社にて写真都市論の連載「東京デストロイ・マッピング」を持つなど、執筆活動も精力的に行なっている。写真集『PEELING CITY』を2017年ふげん社より刊行。