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第5回 随分ながく誤解していた、喪失感の本質

新納 翔(にいろ・しょう)

2015.12.27

男はまた街の景色が消えていくのを見てため息をついた。いや、消えていたと記したほうが本当は正しい。桜並木のバス停の前、そこそこ流行っているコンビニの近く。喪失感を感じるも、それを忘れようと思考を止める。毎日はこれの繰り返しだ。

日本において「街」を含め都市というものは明文化された定義というものがあるにせよ、スクラップアンドビルドによって秩序などとは無関係に、ただ使える空間を絶え間なく埋めていく単純な作業の上にあるというのが現実である。そこにあたかも秩序があるかのように誘導しようとするからチグハグなことになるのである。少なくとも戦後日本はそうして1つのファクターを無視して、実に効率的に都市開発を進めてきたのは間違いない。
限られた時間の中で写真家という存在は、不本意ながら従来均等であったはずの景色の価値に故意の差異を与え、オミットされた景色はあたかも知らなかったかのようなふりをして、己れの均衡を保たざるを得ない。こうした自己正当化の上に成り立ち、それでもなお芸術的要素を持ち合わせる写真という存在は、複製芸術からどの過程で昇華しているのか常々不思議に思う。

来年移転する築地市場、既にバリケードで囲まれ立ち入ることもできなくなった武蔵小山、それらと対等に名も無き一民家が取り壊されることがどれほど景色を変えるか、景観という点については対等であるずなのだ。それらを分け隔てるのは、経済的、政治的要因でしかない。しごく単純な話だ。

 

幾多の消失の集合体として築地市場なりメジャーなものの歴史を捉えることが、東京五輪の犠牲となって人知れず消えていく、少なくとも第三者には味のある「下町風情」の破壊を記録することにもなりうるのであろうか。不意に景色が消失したことによって何十年ぶりにあらわになった民家に深く刻まれた、歴史と汚れが染みこんだ壁面のなんと素晴らしいことか。そうしてシャッターを切る自分自身、なんて自分勝手な存在なのかと常々思うのだ。

私は恥ずかしながら当たり前のような事実につい、先日ようやく気がついた。もちろん認識はしていたが、そのことが言葉という形になることなく、すっと体の中に染みこんでいくのをふと感じたのだ。それは喪失感というものが、消失したそのモノ自体から受けるものではなく、むしろその周りに変わらず残っているモノが与えるものであるということを。普遍的に存在し続けるという「有」があってはじめて「無」がある、その比較があるからして人は喪失に気づくことができるのである。そんな当たり前のことを今の今まで気が付かなかったとは実に愚かなことである。

 

2011年、東日本大震災で大きな被害を受けた南相馬市に入った。連日のニュース映像やネットに溢れる画像からおおよその様子は分かっていた。情報が錯綜する中、連日SNSに書き込まれる励ましの言葉を見るのに段々嫌気が差してきていた、どうしてもどこかリアルに聞こえてこなかったからである。

福島第一原発に近い南相馬市、海に近づくにつれ段々と津波によって破壊された街が見えてきた。役に立たないカーナビとガイガーカウンターの音を聞きながら無残な姿になった常磐線を超え相馬港のほうに行くとニュースで見たあの光景が広がっていた。だが、それ以上でも以下でもなかった。やはり現実だったということの確認以外何もできなかった。

当然自然の脅威を目の当たりにしてシャッターを切っていたが、それも束の間、以前街が広がっていたという場所もよく見ると水道管や隆起したマンホールにわずかその面影を見るだけで、いささか不謹慎かもしれないが、どこかギリシャの壊れかけた遺跡のような、どこか美しさすら感じてしまったのである。とりわけ翌日早朝に見た被災地の美しさには言葉がなかった。

私がそう感じたのはおそらくそこにあった街を知らないからであろう。本来喪失感を覚える場所であっても、私には何にも比較することができず実感として消えてしまったということを感じることができなかったからである。その時の私には普遍的に存在し続けるという「有」が欠如していたがゆえに、喪失感を抱くことは不可能だったのだ。

あれから来年で5年になろうとしている。依然復興は思うように進まず、多くの方が不自由な生活を強いられている現状には胸が痛む。南相馬で現地の方から、「俺はここの高台に住んでいたから助かった。でもすぐそこはダメだった。あんたにはそのボーダーラインを撮って欲しい」、そう言われた。私が今生きているというボーダーは誰がどこで線引しているのであろう。

来年は築地市場の移転をはじめ、東京五輪が近づくにつれ一層慌ただしくなるだろう。ただ出来ることの上限は決まっている。マイペースで地道に進んでいきたいと思う。ふげん社の方々にも大変お世話になった。自分ができる恩返しは写真ぐらいしかないので、この連載をはじめ、精進していきたいと思う所存である。

 

 

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築地0景 展覧会ページ(2015,6)

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新納 翔(にいろ・しょう)
新納 翔(にいろ・しょう) プロフィール

1982年横浜生まれ。 麻布学園卒、早稲田大学理工学部にて宇宙物理学専攻するも奈良原一高氏の作品に衝撃を受け、5年次中退、そのまま写真の道を志す。2009年より中藤毅彦氏が代表をつとめる新宿四ツ谷の自主ギャラリー「ニエプス」でメンバーとして2年間活動。以後、川崎市市民ミュージアムで講師を務めるなどしながら、消えゆく都市をテーマに東京を拠点として撮影を続け現在に至る。新潮社にて写真都市論の連載「東京デストロイ・マッピング」を持つなど、執筆活動も精力的に行なっている。写真集『PEELING CITY』を2017年ふげん社より刊行。