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第5章  ある種のプレッシャー

Beatrix Fife “Bix”

2019.04.11

7歳の女の子の多くがそうであるように、私もクラシック・バレエに心ひかれた。お母さんが、私と同じ年頃の女の子たちが通うダンス教室の見学に連れていってくれた。全員がピンク色のチュチュにバレエシューズをはいて、大きな鏡の前で綺麗な音楽に合わせて同じ動きを見せている。すっかり魅了されてしまった。先生のバレエシューズの裏が黒ずんでいることに気づいた私は、いつか踊り重ねているうちに、私のバレエシューズも先生のシューズのように使いこんで黒ずんでいくのだろうと空想の翼を広げる。すっかりワクワクして、教室に入ることに決めたのだった。数日後、お母さんにピンクのチュチュとクリーム色のタイツ、淡いピンクのバレエシューズを買ってもらった。試着する。最初はお店で、それから家に帰って両親の部屋の鏡の前で。私は得意になっていた。ほかの少女たちみんなと一緒に、私も素敵な音楽に合わせて両腕と両脚を高々とあげて踊るのだ。イタリア人の友達や兄や弟とビー玉遊びをするのも好きだったけれど、バレエの教室では言葉を話す必要もない。音楽に合わせて身体を動かすだけで、充分にほかの子たちと同じでいられるのだから。

 

初めてのダンス教室のためにチュチュの用意をした。お母さんに髪の毛をアップにしてもらい、それから車で教室の入り口まで送ってもらう。お母さんには中まで一緒に入る時間がなかったから、あとは私が自分でなんとかすることに決めてあった。

ベンチが並ぶ長い廊下があって、壁の両側に上着かけのフックが並んでいる。廊下のおしまいの右側には、鏡のある大きな白い部屋。前のクラスの子たちが踊っている音楽が聞こえてくる。ベンチのところで服をてきぱきと脱いで、チュチュをつけた。ほかの女の子たちも廊下でチュチュに着替えている。

 

タイツをはいたところで、誰かがクスクス笑う声がした。振り向くと、私よりちょっと年長の女の子が二人、私を指さしている。二人でこそこそ話している言葉はフランス語だ。一人が厳しい口調で話しかけてくる。でも、何を言っているかはわからない。最初の言葉は「pourquoi(ポコワ)」で、イタリア語の「perchè(ペルケ)」と同じ、つまり「なぜ」という意味だと思い当たった。何かが間違っているとわかったけれど、それが何かはわからない。今や通路にいる女の子たちの全員が私を見ている。話しかけてきた子が、私の下腹部を指さした。自分のおなかの下、そして両方の脚を見下ろした私は、ほかの女の子たちと見比べてみて気がついた。ほかの子たちはみんなパンツをはいているのだ。脱いでいたのは私だけだった。

 

なぜほかの子たちがパンツをはいているのか、私にはわからなかった。私にとって、すべてを脱ぐこと、タイツとチュチュの下には何もつけないことは、ごく自然なことだった。踊るための着替えだし、いずれにせよチュチュはパンツと同じ形と色をしているではないか。目に涙があふれてきた。後ろを向いて、手で涙をぬぐう。それからタイツをぬいで、もう一度パンツをはいた。その上にチュチュをつける。ほかの少女たちの目には、これは正しいことに見えたようだ。みんないくらか静かになったからだ。

でも、なぜそうするべきなのかは、私にはわからなかった。ただ恥ずかしくて、いまだに私のことをクスクス笑っている女の子たちに困惑するばかりだ。

毅然と頭を上げた私は、綺麗な真新しいピンクのチュチュ姿で、その白い教室に初めて入った。

音楽が始まると、その音楽と先生の動きにだけ心を集中させて、鏡をじっと見つめる。私のなかで、何かが壊れてしまっていた。

 

迎えにきたお母さんから、どうだったかと聞かれた。

私は抑えた声で、チュチュの下にはいつもパンツをはいている必要があるのかと訊ねた。

「もちろんよ」と、お母さんが答える。

これには混乱した。

私はこの日に起こったことはお母さんに話さないまま、教室を続けることにした——ただ自分のフランス語の理解力に満足を感じられる日まで待つことにしたのだ。

お母さんと妹と私、休暇で訪れたアゼ=ル=リドー城の前で

お気に入りの人形たちと一緒に

 

(来月に続く)

Beatrix Fife “Bix”
Beatrix Fife “Bix” プロフィール

ストックホルム生まれ。幼年期をローマで過ごす。幼い時から3ヶ国語を話しピアノを習う。7歳の時、フランスのパリに移ってからフルートを始める。
オスロの大学へ進学後に絵画、演劇を始め、その後ニューヨークのオフブロードウェイでの演出アシスタント を経てブダペストの美術アカデミーでさらに絵画を学ぶ。90年オーストリアの絵画コンクールで入賞したのをきっかけに渡日。 京都にて書家田中心外主宰の「書インターナショナル」に参加。展覧会や音楽活動、ダンスや映像との複合パフォーマンスを行うなどして9年間を過ごす。 95年から99年まで、Marki、Michael Lazarinと共にパフォーマンスグループ「フィロクセラ」として活動。 97年、劇団「態変」音楽を担当、数公演を共にする。
99年、ベルギーに移る。ダンスパフォーマンスや絵画展覧会の他、ブリュッセルの音楽アカデミーでジャズピアノ、フルートを学ぶ。 2005年 ベルギーのエレクトロポップグループNEVEN に参加。2007年以降は Peter Clasen と共にBixmedard(ビックスメダール)として活動。 一方では、フランシュコンテ大学言語学修士を修了し、ブリュッセルにBLA語学スクールを開校、運営。 2010年夏より、再び活動の拠点を日本に移し Bix&Marki でフランス語のオリジナル曲を演奏。 絵画展も随時開催。 語学講師も行う。


■訳者プロフィール
中山ゆかり (なかやま・ゆかり)
翻訳家。慶應義塾大学法学部卒業。英国イースト・アングリア大学にて、美術・建築史学科大学院ディプロマを取得。訳書に、フィリップ・フック『印象派はこうして世界を征服した』、フローラ・フレイザー『ナポレオンの妹』、レニー・ソールズベリー/アリー・スジョ『偽りの来歴 20世紀最大の絵画詐欺事件』、サンディ・ネアン『美術品はなぜ盗まれるのか ターナーを取り戻した学芸員の静かな闘い』(以上、白水社)、デヴィッド・ハジュー『有害コミック撲滅! アメリカを変えた50年代「悪書」狩り』(共訳、岩波書店)、ルース・バトラー『ロダン 天才のかたち』(共訳、白水社)、フィリップ・フック『サザビーズで朝食を 競売人が明かす美とお金の物語』(フィルムアート社)など。