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第7回 曇天の国道1号線に都会の闇を見る

新納 翔(にいろ・しょう)

2016.03.02

朝、窓から見える空の色を見てどこを撮りに行くかを考える。自分の好みでいえば快晴のパキっとしたピーカンがいいのだけど、天気だけは自分の意志でどうにもならない。極稀に曇天がしっくり来る街が自分の中にある。それが鶴見や川崎であったりと国道1号線沿いに点在しているのは何かの偶然なのだろうか。

先日の話。曇天。

鶴見に向かうために国道1号線に出るためバスに乗る。降り際にお爺さんに声をかけられる。
 「すいません、ちょっとお尋ねしますがそれはデジタルカメラですか。いいですねぇ」と。

 そこでの選択肢として軽く会釈して国道1号線の方に向かうことも出来たのだが、何か引っかかるものを感じてそのままお爺さんとゆっくり歩みを重ねつつ話を続けた。一期一会の出会いなら損するか得するかは最後まで分からない。いわゆる長年の勘がそう囁いたのだろう。

 「僕も今はこんなのだけど、昔は写真を撮ったものですよ。能登島から出てくるときにオリンパスワイドてカメラを持ってましてね、あんな田舎では宝物でしたよ。東京出たらすぐにまた買えると思って友人にあげてしまったのですけどね。ちょうど昭和20年、終戦の時ですね」

 山谷、築地に限らず都市を記録するのにマクロもミクロもない。こういう市井に生きる一個人の些細な話を聞き漏らさないことが一写真家にとって非常に重要なのだと常々思う。これらは放っておけばノイズとなって自然消滅してしまうほんの僅かな音。そうなれば何事もなかったかのように世界は時を刻む。

 「写真てのは大事な思い出を記録して、それが人に感銘を与えるものだったんですよ。今の人はこういう(スマートフォン)ものがあるから何でもお撮りになるけど、昔は違ったんですよ。能登島にいたときに、350枚くらいは撮りましてね。いやぁ死ぬまでに一度でもいいから、大きくして見てみたいと思うのですよ」

 お爺さんの知人で写真屋を営んでいた友人に頼んでも今は暗室を閉めてしまいもう無理だと言われたらしい。今の時代暗室に入らなくてもスキャンにせよいくらでもプリントはできる。今にして思えばちと面倒なことを申し出てしまった気もするが、自分でよければプリントできるので是非ネガを見せて欲しいと伝えた。

 お爺さんの家は国道1号線から少し脇に入った所にあるマンションで、曰く高齢者向けの住宅なのだとか。そこへ向かってゆっくりゆっくりと歩く。もう鶴見に行くことは諦めてこの先どういう展開になるのかとだけ考えていた。部屋は散らかっているからと玄関先でネガが出てくるのを待つ。

 「ネガはしまいこんでしまってすぐには出せないのですけど、このプリントはいつも枕元においてあるんです。モノクロってのは写真の力がありますよね。いやぁ懐しい、これが私の叔父の妹さんで・・・」

 出てきた写真はなんとも味のある海岸に遊びくれる地元の子供たちの写真や、縁側に座った老人の写真等。今はそちらの親戚とは疎遠になっているらしいが、プリント片手に説明する目が涙で潤んでいるように見えた。

 玄関先でそんな話を聞いているといつからいたのか、自分の背後に一人のお婆さんが立っていた。隣人宅のドアが少し開いてこちらを伺っているお年寄り。自分も話を聞くのに夢中で気づかなかったが、どうやら何か一人暮らしの老人に物を売りつけているかけしからん輩と思われたみたいだ。

 お爺さんがその様子に気づいたのか誤解が解けると、今度は隣から覗いていたお婆さんが洗濯機の調子が悪いというので見て欲しいやら、何でも屋みたいな相談係になってしまった。まぁこれはこれでいいかと色々答えているうちに日が暮れてきてしまった。

 350枚というと骨が折れるが、この人が喜んでくれるのならお金など取れやしない。

 ただそれと同時に、なにか都会の闇を見た気がしてならなかった。複雑な思いでいつも撮る曇天の国道1号線を川崎の方に歩き始めたが、しばらく何も撮る気にはなれなかった。

 そして私はどこまでお爺さんの話をまともに聞いていたのだろう。
 もしかしたら、お爺さんの写真を撮るために聞いていたふりをしていただけなのかもしれない。

 いつもそんな偽善的な問いが頭から離れない。

 

 

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新納 翔(にいろ・しょう)
新納 翔(にいろ・しょう) プロフィール

1982年横浜生まれ。 麻布学園卒、早稲田大学理工学部にて宇宙物理学専攻するも奈良原一高氏の作品に衝撃を受け、5年次中退、そのまま写真の道を志す。2009年より中藤毅彦氏が代表をつとめる新宿四ツ谷の自主ギャラリー「ニエプス」でメンバーとして2年間活動。以後、川崎市市民ミュージアムで講師を務めるなどしながら、消えゆく都市をテーマに東京を拠点として撮影を続け現在に至る。新潮社にて写真都市論の連載「東京デストロイ・マッピング」を持つなど、執筆活動も精力的に行なっている。写真集『PEELING CITY』を2017年ふげん社より刊行。