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第9回 「中」にいることの恐ろしさ

新納 翔(にいろ・しょう)

2016.05.07

個展開場で時々、「横浜の空は広い」と展示した写真を見ながら指摘されることが度々あった。当時は横浜の実家に住んでいたものだからその空が当たり前過ぎて、私にはその言葉の真意を掴むことはできなかった。空の広さ、そんなこと気にもしていなかった。

都内に越してから外から横浜を見るようになって、なんとなくかつて言われた言葉の真意が分かり始めた。いや、これは明文化できるものではなく眼前に広がる景色のエネルギーから感じ取れる明らかな差異といった方が正しい。残念ながらその差を埋める言葉を持ち合わせていない。

 しいて言葉を絞り出せば、横浜の空というのは不可侵領域のごとく絶対的にそこに存在するという意志が感じられるのに対し、都内では都市の成長にあわせ臨機応変にその広さを変幻自在に変えているというイメージ。どこまでもどこまでも広がっていて世界の果てが存在しない国のお伽話のような空。でも時々アンニュイになってそのまま落ちてきそうになる。

 横浜の空はオープンだから日差しも幾分か強いように感じる。これは横浜以南、横須賀などでもいえることだが、どこまでも陰部を照らし続けその秘部までもあらわにしてしまうような卑猥さがどこか混じっている。

 最近は異常気象なのか春を通り越してもう真夏模様。先日神田からカメラを下げて知らない道を歩いていると、それがどこだったのかは覚えていないが妙に懐しい景色に変わってきた。デジャヴ。おそらく木密地域だったのだろうが、横浜に似た空が広がり開放感に包まれた。

 そういう時だけ写真家になって、いつもとは違う眼になる。とても些細な事象でも妙に美しく感じたり、鋭利になった感覚は普段見過ごしてしまうものの裏側までをも凝視する。都会から開放され、どこまでも広がっていそうなこの道を、国道1号線を歩いているような感覚でずっと歩いていると、大きな環状線が見えてきた。

 

その時私は、「囲まれている」という恐怖を感じた。どんなに遠く離れようと我々は、知らずとも何かの中にいるということを忘れていた。その木密地区も環状線に囲まれていたし、横浜の広く思える空とてきっと何かの「中」に存在するものなのだろう。

開放感に浸っていた者として突如、結局は何かの中にいただけであった、というのは少し距離をおけば当たり前の話なのだが、いきなり叩きつけられた現実は少々酷だった。絶対死なないと思った主人公が銃で撃たれて、まさかの即死。大好きな味噌ラーメンの食券を買おうとしたら、どうしたことか塩らあめんのボタンを押して一日なにか霧が晴れないような、むりくりに説明すればこんな気持ち。

写真を撮っているとついつい世界の俯瞰者になったような勘違いをしてしまう。撮る我々も見られているのだ。まるであわせ鏡のようにそれは繰り返す。

 

 

 

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※木密地域・・・木造住宅密集地域のこと。


 

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新納 翔(にいろ・しょう)
新納 翔(にいろ・しょう) プロフィール

1982年横浜生まれ。 麻布学園卒、早稲田大学理工学部にて宇宙物理学専攻するも奈良原一高氏の作品に衝撃を受け、5年次中退、そのまま写真の道を志す。2009年より中藤毅彦氏が代表をつとめる新宿四ツ谷の自主ギャラリー「ニエプス」でメンバーとして2年間活動。以後、川崎市市民ミュージアムで講師を務めるなどしながら、消えゆく都市をテーマに東京を拠点として撮影を続け現在に至る。新潮社にて写真都市論の連載「東京デストロイ・マッピング」を持つなど、執筆活動も精力的に行なっている。写真集『PEELING CITY』を2017年ふげん社より刊行。