第1回 記念写真は馬から落馬する 新納 翔(にいろ・しょう) Peeling City 2015.08.20 いつだったか旅行で小田原城に立ち寄った際、自分が一眼レフを持っていたからだろう、または余程暇そうに見える節があるせいかもしれぬ、二人連れの男女に記念写真を撮って欲しいと言われた。20代半ばのカップル、渡されたのは極々普通の白いデジタルカメラだった。 少しは写真に憶えのある身としてはお安い御用と、薄暗い中は少しフラッシュたくといいなどと能書きをたれつつ撮ってカメラを渡すも、ふと振り返ると二人してモニターを見て怪訝な顔をしている。どうやらお気に召さなかったらしい。気になって観察していると違う人にまた写真を頼んでいるではないか。いやいや解せぬ。 私は「記念写真」というものがなにより苦手だ。いや、もはや恐怖症になっているといっても過言ではない。自分としては相手の為にと思って一生懸命撮っているのだけど、どうにもあちらのニーズとまるで噛み合っていないのようなのだ。先の一件に限ったことではないが、一般的に記念写真というのは人物を入れつつ、さらに後ろの背景もいれねばならぬということで、これがなんとも難しい。しかも理解できないことに、後ろの背景さえ入っていれば人物はまあ顔が写っていればいいいうからこれまた解せぬのだ。 親戚内ではすごぶる写真の腕が悪いと、撮影係からは外されてしまった。「あなたはワザと変なところを撮るからね」と祖母。自分ではそういう意識はないのだけれども、ピントを少し外して指示通りに撮ってあげると満足する。少しボケている位が丁度いいのだそうだ。誰しもが記念写真にリアリティを求めるわけではない。 ともあれ、記念写真という類を頼まれた時はなるべく連れにまかせるようにしている。お互いのために。 そもそも記念写真とはWikipediaによると、「人が出産、生誕周年、七五三、入園、入学、卒業、結婚、成人、賀寿など人生の節目において、その非日常的な式典の様子や家族などとともにいる様子をカメラで撮影し、写真として記録することは近代に至って、世界中で一般的に行われている習慣である。」(一部抜)とのことだ。 この「非日常」というキーワードが私を混乱させるのだろうと思う。カメラは非日常の現場に存在するものであり、一般に日常と思われている場所でカメラを所持することは、いわば持ち込み禁止品を意図的に所持しているようなものなのだ。有り体に言えば、日常だの非日常だのはその人の主観によるわけで、ゴミの集積場が美しいと思って撮っている自分からすると一般にいう非日常と日常のボーダーがいささかずれているのだろう。 素晴らしい斜光によって作られた陰影が織りなすいつもと変わった近所の風景。アスファルトに落ち、誰からも存在を忘れられたビニール傘の残骸に見出す美しきフォルム。外壁の配管が織りなランダムな幾何学模様。それら全て、私にとっては記念すべきことなのである。ゆえに記録する。 つまるところ、私の写真のほとんどすべてが記念写真だということだ。 ここで2つの包含関係を考えるに、記念写真の延長に記録写真があるのだと仮定すれば、記念写真であって記録写真ではないものというのは無いだろう。ゆえに背理法から記録写真の中に記念写真が存在することになる。もちろんイコールの可能性もあるが、それは今回は割愛するとして、その場合、記録写真ではない記念写真とは何なのかと考える。 記録された景色、物体が誰からも記念されることはないもの。記録された景色はそれが望もうが望みまいが存在するわけであるから、結局記念写真になるかならないかは主観が決める問題ということになりそうだ。そもそも「念」という言葉は、仏教用語では刹那的、非常に短い時間を指す言葉である。 図らずも記念という言葉自体、「非常に短い時間を記す」というわけだから実に写真的な言葉なのである。これは偶然にしては出来すぎな話だ。そう考えると、記念写真という言葉は「馬から落馬する」と似たりかと思うがそれは無粋というものか。 8月某日、もうじき取り壊されるマンションにて記念写真を撮る。この穴が気に入ったらしい。(日記より) 今日も多くの外国人観光客が訪れる築地市場の正門にて交通誘導をしていた。正門には、「築地市場」とかかれたお役所的な大きな看板がある。私は誘導棒を振りながら、その看板を背景に記念撮影している人たちの姿を見ていた。はっきり言って、ここが築地市場であることを示す以外なんの役目もないものだ。この光景を見る今日まで、ここを撮ろうとはつゆも思わなかった。 彼らのほうがよっぽど写真をしている。そしてこの制服に袖を通すのも後一ヶ月かと思うとなんだか感慨深いものがある。その話については、次回にとっておこう。 『Peeling City』記事一覧 連載コラム一覧に戻る ▶︎新納 翔 HP 築地0景 (ふげん社、東京 2015,6) 築地0景 (2015 ふげん社)