第6回 文学と悪とわたしと父と 吉田 隼人(よしだ・はやと) 書物への旅〜記憶=私の不確かさをめぐる12の断章〜(第2期) 2016.06.28 そこで若し きみに 死への夢から生の建設に向う意志が可能ならば そして若し きみに なんらかの好ましい学問がありうるならば それこそは きみの純潔を裏切ることが最も少く 世界へのより豊かな愛をいつもかたどる 試みにほかならぬのではないだろうか? ――清岡卓行「大学の庭で」 死ぬほかないな、とメンチカツを頬張りながら考えた。今生最後の食事が学生食堂のメンチカツ定食というのはみっともないな、とも思った。大学四年の冬だった。 大学四年の冬というぐらいなので、卒業論文なるものを書いていた。山場のはずだった。ついさっきまで教授の研究室で、提出前最後の論文指導を受けていた。ゼミで大学院に進むのはぼくだけだったので、個別で、一対一の指導を受ける。研究室は四方の壁すべて天井にまで届く本棚が取りつけられていて、それでも収まりきらない本が所狭しと床を埋め尽している。そのなかをかき分けて草稿を持っていくたび、先生は参考になりそうな英語やフランス語やドイツ語の――ぼくは仏文科でドイツ語は読めないのだけれど――文献をコピーして、授業のない日はお昼過ぎから暗くなるまで一緒に読み合わせをしてくださる。とはいえ、これだけ本があれば目指す一冊をすぐに探し当てるほうが珍しい。大抵は「どこにやったかなぁ……いやぁ申し訳ない……確かここだと思ったのだけど……こっちかな……」とつぶやきながら右往左往なさる先生を、ぼくは果たして手伝ってよいものか決めかねて、結局きまり悪そうな顔で椅子に腰かけたまま見守っていることが多い。 「勉強記」を収録している 坂口安吾『坂口安吾全集 3』(ちくま文庫) ようやく探し当てた本をさて読み合わせようという段になっても、ぼくの語学力ではすぐにつっかえてしまう。すると学生用の小さな辞書には載っていない単語や用例を示すべく、先生は書物の山から今度は大きな辞書や文典を何冊も引き出してこられて、不勉強な学生に代わってみずから辞書をひいてくださる。不出来な弟子は神妙な顔だけはつくりながら、坂口安吾の「勉強記」という短篇のことなど思い起こしている。大学で仏教を専攻する主人公の按吉は在野の学者に弟子入りしてチベット語を習うのだけれど、チベット語はあらゆる単語が不規則に活用するので、学者といえどもなかなか辞書がひけない。そのうえ安吾=按吉の先生はたびたび放屁のために作業を中断して部屋を出てしまう。 「先生は親切な方だから、生徒の代りに御自分で辞書をひいて下さる。按吉の面前でものの二三十分も激しい運動をなすっていらっしゃるが、なかなか単語が現れてくれないのである。そのうち失礼と仰有って廊下へ出ていらっしゃる。屁をたれて、なんとなく廊下を五六ぺん往復なすって、また失礼と仰有って、辞書を抱えて激しい運動をなさる。やっぱり単語が現れない。」 もっとも幸いにしてこちらの先生には放屁の癖はなかったし、ぼくたちが読んでいるフランス語は活用や変化が多いといってもチベット語とはわけが違う、のちにフランス語を習得する安吾=按吉のことばを借りれば「覚えまいと思っていても覚えるほかに手がないという始末」であって、「あんなもの、朝めし前の茶漬けだぜ」ということになるので、目指す単語や文例はたちどころに目の前にあらわれる。かくして論文指導は続き、親切な師はその日もすっかり窓の外が暗くなってしまうまで、ぼくの怪しげなフランス語訳読に付き合ってくださったのだった。 空腹のぼくは片付けも手伝わずに研究室を辞去するとただちに学食へ向かい、メンチカツ定食を平らげた。腹が膨れてみて初めて、そういえば昼過ぎからぶっ続けで「指導」を受けていたためメールの確認をしていなかったな、と思いあたって開いた(ガラケーだったのだ)携帯に父からの「無題」の長文メール一件を見付けたところで、ようやく話は冒頭の場面にたどりつく。 ジョルジュ・バタイユ『文学と悪』(ちくま学芸文庫) そこから先の記憶は、直前まで訳読していたバタイユ『文学と悪』のカフカ論の内容と重なってしまい、どこまでがぼく自身にふりかかったことで、どこからがバタイユのえがきだすカフカの姿なのか、はっきり分かつことができない。 勤勉で生活力に溢れ、体格にも恵まれた父親に、貧相な体躯で病弱、ひそかに文学に望みをはせる息子は劣等感をいだきつづけていた。彼はのちに父親に宛てて怨みつらみを書きつらねた、ながいながい手紙を書くことになる。 「それなのにお父さんは、御自分の性に合ったやりかたでしか、子供をあつかおうとはなさらなかった。だしぬけに、力ずくで、ひとのいうことなど聞こうともせずに……。きっとお父さんは、御自分ひとりの力で非常に高い地位にまでのし上られたので、御自分には無限の信頼をもっておられるのでしょう……。お父さんの前に出ると、自然とわたしは口ごもってしまうのです……。お父さんの前に出ると、わたしはすっかり自信をなくし、そのかわりに、はてしもない有罪感にひたされてしまうのです。」 ――父親の手には渡らなかったこの手紙は、さらにこう続く。 「偶然にわたしが書いたどの作品をとってみても、問題にされているのはいつもお父さんです。それというのも、いったいわたしになにをすることができたでしょうか。お父さんの心にむかってぶちまけることができなかった不平不満を、自分の作品のなかにぶちまけることよりほかに。まったく、わたしの作品は、わざとくだくだしくひきのばした、お父さんへの訣別の辞以外のなにものでもなかったのです……」 紙に向ってペンを走らせ、直接は言いだせない父への不平不満を書きまくった彼が、そのなかで最初に「作品」と認めたのはごく短い、『判決』とも『死刑宣告』とも呼ばれる短篇だった。作者自身によく似たその主人公ははなはだ理不尽な論理の果てに、同じく彼自身の父親とよく似た父親からこう宣告される。 「自分の他に何があるのか今こそお前は思い知っただろう。今までお前は自分のことしか知らなかった。本当は、お前は罪のない子供なのだ。しかし、もっと本当のことをいえば、お前は悪魔のような人間なのだ。だからよく聞け、私はお前に溺死刑の宣告をくだす(古井由吉訳)。」 そう、これはカフカの小説に出てくる「父親」の台詞だ。けれど、ぼくはその冬、現実の父親からの言葉をこれと同じ「判決」として受け取ったのではなかったか? 大学院へ進むとひとりで決めてしまったぼくは、父に正式な承諾をとりつけていなかった。卒論指導を終えたぼくの携帯に届いたメールには、就職しないのであれば今後いっさいの経済的支援はせず、大学の四年間で借りていた奨学金の保証人も引き受けない、といった主旨のことが書かれていた。その年、ぼくらの故郷はわざわいに襲われ、今後の生活が苦しくなるであろうことは容易に想像がつくはずだった。そんな事態にあって、なんら将来について計画性のないまま負債だけを膨らませていく息子へのはげしい憤りが、お役所ふうの文体と評されるカフカのそれによく似た素気ない文面のゆえに、かえって身震いするほど恐ろしく伝わってくる。「お父さんの前に出ると、自然とわたしは口ごもってしまうのです……。お父さんの前に出ると、わたしはすっかり自信をなくし、そのかわりに、はてしもない有罪感にひたされてしまうのです。」カフカの声にぼく自身の声が重なる。生活力に乏しいぼくにとってここで父から見捨てられることは、物質的にも精神的にも、死刑宣告にひとしいものだった。父親が「もっぱら有効な行動という価値にしか関心をもたない」人間、すなわち典型的な「おとな」であることを知り、そうした父の姿への不平不満をひそかに書きためながらも、自分はその庇護のもとでいつまでも「おとな」にならず、無力で無責任な子供のままであろうとする。その甘ったれた態度を、バタイユの冷たいペン先はあられもなく暴いていく。 「カフカの性質のなかでとくに奇妙に思えるものは、父親が、自分のことを理解してくれ、自分の読書、のちには文学、の子供らしさを承認してくれ、自分が少年の頃から自分の存在の本質とも特殊性とも信じこんできたものを、唯一不壊のおとなの社会から外に放り出すことはしないでくれるようにと、心の底からのぞんでいたということである。」 「カフカは、彼の全作品に『父親の圏外への逃避の試み』という題をつけたいと思っていた。しかし、思いちがいをしてはならないが、カフカは決して本当に逃避したいと思っていたのではないのである。彼ののぞんでいたことは、圏内で――『排除された者として』――生きることだった」。 しかし「おとな」の父にとって、息子がいつまでも文学などという「子供」の世界でウジウジしていることなど、とうてい認めることはできない。 「オーストリアの封建的な、時代おくれの世界では、ひとりの若いユダヤ人を認めることのできる唯一の社会とは(……)事業一辺倒の彼の父親の圏内だった。しかも、このフランツの父親の勢力が文句なしに確立されていた環境とは、事業のきびしい抗争を当然予想して、いささかの気まぐれも許さず、子供らしさを大目に見るのもただ少年時だけにかぎられ、その限度内では愛すべきものとさえ見なされるが、原理的には不可とされているような世界なのである」。 息子のささやかな文学活動とやらは所詮、勤勉で有能な父親のもとで「子供」のうちだけ大目に見られていたに過ぎないのだ。本当に「父親の圏外」に放り出されることは、彼にとって――いや、ぼくにとって?――死刑宣告以外のなにものでもない。短篇の末尾、父親から死刑を宣告された息子はその判決に従う。 「彼は、門からとび出し、電車線路をこえ、川の方へと、どうしようもない力に押されて行った。そして、まるで飢えたひとが食物にとびつくようにして、すでに欄干にとりついていた。彼は、少年の頃には親たちの自慢のたねだった持ち前の身軽な体操家の身ごなしで、手すりをとびこえた。それでも彼はまだしばらくのあいだ、だんだんと力のぬけてゆくのを感じる片方の手でつかまりながら、手すりの棒のあいだから、自分の落ちる音を簡単に消してくれそうなバスがくるのをうかがっていたが、低く『なつかしいお父さん、お母さん、それでもぼくは、いつもあなたがたを愛していたんですよ』と叫ぶなり、虚空のなかに落ちこんでゆくのにまかせた。その瞬間に、橋の上には、文字どおりに雑踏をきわめた車馬の往来があった。」 メンチカツ定食で膨れた腹をかかえて、ふらふらと地下鉄のホームに入った。混んでいたか、空いていたか、気にする余裕はない。足許がおぼつかない。あるいは、おぼつかないのだと自分に思い込ませようとしている。黄色の点字ブロックをこえる。三文字ずつしか表示されない電光掲示板がきりかわる。「電車が」「きます」「電車が」「きます」。白線をこえる。からだが大きくよろめいて、いや、よろめいたふりをして重心をずらし、事故に見せかけて暗がりへ倒れこもうとする。線路に巣食っている大きなドブネズミが、ちょろちょろと安全地帯へ逃げこむのが網膜に焼きつく。 なつかしいお父さん!――そう声をあげる間もなく、がっちりした腕につかまった。カフカを気取った甘ったれの叫びなど掻き消して、駅員の怒号が飛ぶ。あぶねえだろ、何やってんだ、子供じゃねえんだぞ――。そのとき、視界は真っ白だったような気がする。どうせ止めてもらえる。そう知っていたのだ。救いようのない甘ったれ。 そのとき、メンチカツ味のげっぷが出た。そのことだけを、やたら鮮明に覚えている。