第7回 浅茅が宿の朝露 吉田 隼人(よしだ・はやと) 書物への旅〜記憶=私の不確かさをめぐる12の断章〜(第2期) 2016.07.27 幻想は、どんな徹夜や不眠の時間をすごすときも、ありがたい。それは、肌身離さず持ち歩けるポケット判の小説であり、どこででも、他人にとやかく思われることなく、列車の中でもキャフェでも、待ち合わせの時間をすごしながらでも、開いて見ることができる。――ロラン・バルト『彼自身によるロラン・バルト』 「Contes de pluie et de lune」 小さな、赤いハードカバーの本だった。金文字で小さく「Contes de pluie et de lune」とだけ刻印されている。手にとると、挟んであった厚紙のようなものがひらひらと足許に落ちた。あわてて拾い上げると、きれいな彩色の浮世絵かなにかが印刷されている。ややあってその片隅にリーヴル・ド・ポッシュ――フランスの代表的な廉価本――の商標があるのを見付けてようやく、もともとペイパーバックの廉価本だったのを元の持ち主がわざわざ製本させ、しかも絵のうつくしさが気に入っていたのだろう、表紙も栞がわりに残して大事にとってあったのだということがわかった。大学そばの古書店でのことである。 習い覚えたばかりのおぼつかない学力で、そのフランス語タイトルを読みなおす。コント・ド・プリュイ・エ・ド・リュヌ。雨、と、月、との、短篇集。ひっくり返して目次を確認する。なぜだか知らないが、フランス語の本は英語や日本語とちがって目次がたいてい巻末についている。短篇のタイトルがいくつか並んでいるのを、ひとつひとつ口のなかでもごもごと音読する。ラ・メゾン・ダン・レ・ロゾオ。葦の、なかの、家。ランピュール・パッション・ダン・セルパン。ある、蛇の、不純な、想い。そうして読みあげてゆくうちに、ぼくは言いようのない懐かしさに襲われた。少年の日。ぼんやりとした光のさす高校の教室。早朝で、まだ誰も登校していない。ぼくはひとり、うすっぺらな本をめくっている。じれったいほどの速度でしか読めないその本は、決して楽しみのために編まれたものではない。にもかかわらず、その読みにくい文章の向こうにぼくは確かに夜明けの光を、冷たくしたたる朝露を幻視していた。――ぼくはむかし、まだフランス語など知らなかったころ、既にこの本を読んでいるのだ。 山間部の農村から地方都市の高校へ通うには電車に頼るほかなかったが、なにせ田舎なので本数が少ない。八時前に出る電車では学校に着くころには遅刻ギリギリだ。その一本前の電車は六時台に出る。これではだいぶ早すぎるのだが、背に腹は代えられない。ぼくは毎朝五時過ぎに起き、弁当をぶらさげて家を出た。学校に着くのは七時半ごろ。校庭のほうから朝練の声がきこえるが、まだ教室には誰も来ていない。朝のホームルームまではまだ一時間はたっぷりある。田舎の中学からきて遅れているぶんを取り戻そうと、ぼくはその一時間を勉強に宛てていた。チャート式を相手に悪戦苦闘したり、呆然と英単語帳を広げていたり。その日は国語。国語だけは得意だったから、教科書に載っているうち授業では扱わない単元を勉強することにした。 うすっぺらな古典の教科書を開くと、まずごく簡単なあらすじが載っている。戦乱の時代、家に妻をのこして出稼ぎにいった男が、長い歳月を経てようやく荒れ果てたわが家に帰ってくる。その帰ってきた場面から文章は始まっていた。 家からは灯が漏れている。長いこと音信不通にしてしまって、もういないものと思っていた妻がまだ住んでいるらしい。声が聞こえる。男は呼ぶ。 「我こそ帰りまゐりたり。かはらで独自(ひとり)浅茅が原に住みつることの不思議さよ」。すると疲れ果てた様子の妻があらわれる。「いといたう黒く垢づきて、眼(まみ)はおち入りたるやうに、結(あ)げたる髪も背にかかりて、故(もと)の人とも思はれず。夫(をとこ)を見て物をもいはで潸然(さめざめ)となく」。 美しかった妻が疲れ果て、すっかりやつれて身なりにもかまわなくなってしまっている。そのどこか壮絶な色気が漂ってくるようで、とても教科書に載っている文章とは思われなかった。夫が去ってから多くの男に言い寄られた彼女は「玉と砕けても瓦の全きにはならはじものを」と強い意志でかれらをはねのけるが、その夫はいつまで待っても帰ってこない。女は切ない想いを吐露する。 「銀河秋を告ぐれども君は帰り給はず。冬を待ち、春を迎へても消息(おとづれ)なし。今は京(みやこ)にのぼりて尋ねまゐらせんと思ひしかど、丈夫(ますらを)さへ宥(ゆる)さざる関の鎖(とざし)を、いかで女の越ゆべき道もあらじと、軒端の松にかひなき宿に、狐鵂鶹(きつねふくろふ)を友として今日までは過しぬ」。 切々と訴えるその悲しい声を、ぼくは耳の奥ふかくで聴いていた。怨み言をつらねながら「逢ふを待つ間に恋死なんは人しらぬ恨みなるべし」と泣き崩れる妻を慰めて、男はともに床に就く。 そして朝がくる。男は寝ぼけながらも思う。なんだか肌寒いし、さやさやと音がする。どうしたことだろう。 「面(かほ)にひやひやと物のこぼるるを、雨や漏りぬるかと見れば、屋根は風にまくられてあれば、有明月のしらみて残りたるも見ゆ。家は扉もあるやなし。簾垣(すがき)朽頽(くちくづ)れたる間(ひま)より、荻薄(おぎすすき)高く生(おひ)出でて、朝露うちこぼるるに、袖湿(たひ)ぢてしぼるばかりなり。壁には蔦葛(つたくず)延(は)ひかかり、庭は葎(むぐら)に埋もれて秋ならねども野らなる宿なりけり」。 顔につめたい水滴があたる。雨漏りかと思って目をあけると、そこには夜明けの空が広がっていた。屋根などとっくに風に飛ばされてなくなっていたのだ。無惨に朽ち果てた廃屋のなか、ぼうぼうと生い茂る雑草に埋もれるようにして寝ていた男の顔や衣服に、朝露がぽつりぽつりと落ちている。――ほとんど映像的な文章である。朝のうすぐらい教室で古びた椅子に腰かけていながら、ボロボロに崩れた屋根、その穴からのぞく西の空にぼんやりとかすれたような白さで残っている月、雑草ひとつひとつのくすんだような色合い、そこからしたたり落ちる朝露の残酷なきらめき、それらすべてが確かにありありと見えていた。辞書を引き文法書を繰りながら、主語は誰かとか、敬語の方向はどっちかとか、そんなことばかり気にして読んでいた受験科目の「古文」がこのとき一瞬にして消え去り、現代のすぐれた作品を読むのと何ら変わらない「文学」として享受されたのである。古典とはいえ日本語には変わりないし、しかも王朝文学などと比べれば格段に読みやすい近世のことばではあるけれども、このときの喜びは新たな言語によって文学作品を味わいえたときのそれと同じものだった。やがて、すでに死んでいた妻のあまりに粗末な墓を見付けた男は泣き崩れる。「木の端を刪(けづ)りたるに、那須野紙のいたう古びて、文字もむら消(ぎえ)して所々見定めがたき」墓標には、しかし紛れもない妻の筆跡で「法名といふものも年月もしるさで、三十一文字に末期(いまは)の心を哀れにも展(の)べたり」。ぼつぼつと生徒の集まりはじめた教室の片隅で、ぼくはひとり、この哀れな墓標のすがたを見つめて懸命に涙をこらえていたはずだ。これがぼくと『雨月物語』の出会いだった。 古書店の店先でぼくが手にした『雨と月との短篇集』にはUEDA AKINARIと著者名が記されていた。ルネ・シフェールという人がフランス語に訳し、序文と註をつけている。いま手にしているこの赤いハードカバーに製本しなおした小さな洋書、上田秋成著『雨月物語』は、1956年にユネスコ叢書の一冊としてパリのガリマール書店から出版されたものを1970年に廉価普及版として再刊したものだということが奥付によってわかる。むろん、「葦のなかの家La maison dans les roseaux」とは高校古典の教科書で出会ったあの「浅茅が宿」のことであり、この出会いをきっかけに他の物語も読んでみたくなり、学校帰りに書店でなけなしの小遣いをはたいて買った文庫本で、そのエロティックな表題に惹かれて初めて読んだのが「ある蛇の不純な想いL’impure passion d’un serpent」すなわち「蛇性の婬」であった。懐かしさとともにいささかの気恥ずかしさをおぼえつつ、内表紙の片隅に遠慮がちな鉛筆の字で「250円」と走り書きされたそのペイパーバックを大事にかかえて、ぼくは老婆がひとり店番している店内へと入っていった。 上田秋成『雨月物語』(角川学芸出版)