私の国 第9章 Beatrix Fife “Bix” THE LAND (日本語) 2020.08.06 道しるべ——。だが、私が描いているものは、「道しるべ」というよりはむしろ、歩んできた道に残された痕跡なのだろう。どのように描くか、自分が感じたことをどのように表現するか、それを学んできた歩みの跡だ。同時に、私はその歩みをゆるめ、自身の内なるリズムを探す必要性を依然として強く感じ続けている。自分のなかの一部が、何か外の世界に向かって歩むようにと告げている一方で、別の一部が立ち止まって内なる世界を見るようにと促してくるかのようだ。 両親の家から独立しなければならないという思いがますます強くなり、小さな仕事をあちこちで得始める。必要なのは、家賃を払い、食糧や水を買って電気代を払うに足るお金を得ることと、絵を描くための時間だけだ。 ついに、一部屋を借りて、引っ越すことができる。もっていくのは、本とスケッチブック、絵を描く道具とフルートだけ。家具は何もないが、床に敷くマットレスがあるから、眠ることはできる。何もない部屋の壁に自分が描いた絵を掛けていく。 それから、こうした場合に多くの人がそう感じるのかもしれない通り、私もまた以前にも増して孤独を感じ始める。 海を描いた最初の絵や、自画像やオブジェに取り組んだいくつもの試みが、少しずつその姿を失い、大きな空白感になっていく。壁から絵を降ろし、捨てていき始める。しばらく前に私のなかにあったあの重苦しい空虚さが戻ってきて、新しく住むことに決めたその部屋で、再び私をとりまくようになった。暗闇。何かが欠如した感じ。もちろん、友人はいるし、家族もいるし、好きな人もいる。でも、身体と心は再び消耗しつつある。不安のあまり、別の部屋に引っ越すことにする。何のためにだろう? 多分、同じように絵を描いている別の人々と会う必要があるのだろう。前に住んでいた国々に戻るのだろうか? そうしたいと思う。でもその前に、この気持ちを整理して、筆や鉛筆をどう使いこなすかをもっと学ぶ必要があるのだろう……。 美術館に行こうと突如として決めたあの日のように、自分を取り戻した私は、ある朝、美術学校の扉をたたく。新しく開校した非正規の学校だ。外国に行こうにも、伝統的な美術学校に行こうにも、私にはお金がまるでなかった。この学校を運営しているアーティストは、絵の具のしみでいっぱいの古びた服を着ていて、その大きな力強い手は建築現場の労働者の手のようだ。描いた絵を何枚か見せると、彼はそれを逆さに置き、距離をとって見るために、少し後ろへと下がる。彼の話し方も、欠けたコーヒーカップを手にする仕草も、この人は全人生をアートに捧げてきたのだと感じさせる。彼のことは少し怖く感じられるけれど、私の全身が、ここは正しいと言っている。 次の月曜日、この古びた石造りの建物で、彼のアート・クラスに出席し始める。クラスは10人ぐらいのグループで、ほぼ私ぐらいの歳か年長の生徒たちだが、全員が内なる世界の何かを探していて、そしてもっと学びたいと思っている。週ごとに彼が選んだテーマに従って、全員が巨大な茶色の包装紙に絵を描く。形態、光、空間、線、質感、色彩、動き……。隣に同じように絵を描く人たちがいる状態で絵を描くのは初めての経験だ。自分の両手と身体と感情の一切を注ぎ込み、絵の具や木炭、紙や板、粘土、ポスターカラー、そしてカンヴァスなど、様々な画材を用いて描くのも初めてのことだ。ほかの人たちのしていることを見て、その話を聞き、先生の言葉に耳を傾けることで、アイデアがいくつもやってくるし、そして構成ももっと豊かになる。この絵を描くという作業をしているのは、私一人だけではない。これは素晴らしいことだ。でも同時に、その状況はいくらか厳しい。誰の絵であっても、みんなから批評される。先生は自分の意見を言うけれど、ほかの人たちがどう思うかを自由に言えるよう、その意見を開いたまま残しておく。ときには、クラスの誰かが描いた作品について、考えうる限りで最悪のことを言わなくてはいけないこともある。それはもうほとんど暴力だ。 「のちのちのために、とっておきなさい」と、先生が言う。私が描いたいくつかの絵のことだ。 だから、その通りにする。 100 x 100 cm アクリール / カンバス