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私の国 第10章

Beatrix Fife “Bix”

2020.09.10

今の私は、かつて住んでいた国々に、自分が育った国々に、少なくともそのひとつに帰らなくてはいけないという確信を強めるようになっていた。手遅れにならないうちに戻って、自分自身と再び出会う必要があるのだ。

美術学校に通い、お金を貯めるために働きながら、毎日何時間も絵を描く。

自分自身のリズムに従って生きようとする。絵を描くという行為のおかげで、私のエネルギーは戻りつつある。

 

夏がやってきた。通っている例の非正規の小さな美術学校(のちに大きな学校に成長するが)では、年度の修了時に学生たちの作品展が開かれる。私が出品するのは、オレンジ色と赤とダークブルーで描いた1枚の川の絵。そのなかに、まっすぐに前を見つめる大きな顔が隠されている。友人のお兄さんがこの絵を気に入り、予想外のことに買いたいと言ってくれる。彼が絵を受けとりに部屋に来るのは、私が昔の国に戻る旅に出る前日だ。

ドアのチャイムを鳴らした彼を招き入れる。その絵を前にして二人でお茶を飲む。

かつて住んでいた国に引っ越し、そこで美術の勉強を続けるつもりだと話すと、彼は1か月かそこらのうちにサハラ砂漠に行くので、途中で会いに寄りたいと言う。北アフリカの砂丘を旅する予定なのだ。

彼が言うには、その絵のなかに何か問いかけのようなものが感じられて、そしてその問いはまた、自分自身も心の内に抱いているものなのだという。

そして、おそらくはその問いに駆り立てられた彼は3度にわたって、砂漠を横断してアフリカを旅したいと思ったのだった。

 

かつて暮らした国に引っ越し、小さな部屋に落ち着く。そして話していたとおり、彼が会いにきて、数週間ほど部屋に滞在する。この人と出会えることができて、とても幸せだ。

 

いくつもの強い感情に引き寄せられるように、彼と一緒に行こうと自分で決意を固める。鉛筆と紙をもっていくつもりだ。私たちはいくつもの砂漠を越える旅へと一緒に出発し、自然の過酷さと壮大さを知ることになる。心の温かい人々の住まうアフリカで、砂地の道と赤い土砂道をたどる旅は、信じられないほど美しく、そして信じられないほど厳しい経験だ。

 

その後も、私は人生という旅を続け、絵を描き、音楽を奏で、新しい場所で新しい人々と出会っていく。

依然として、自分のルーツと母国はどこにあるのだろうかと考えている。だけど私の場合は、自分の様々な感情を絵にするときにこそ、自らの内なる世界と時間とを見いだすのであり、またそうすることによって、そこに根づいているという感覚をゆっくりと得ていくのだ。

私のルーツは、内なる「私の国」のなかにある。

私の描く絵は、あとに残す小さな痕跡であり、大きな世界で道に迷わないようにするための「道しるべ」なのだろう。

東京都内のアトリエにて、2020年

Beatrix Fife “Bix”
Beatrix Fife “Bix” プロフィール

ストックホルム生まれ。幼年期をローマで過ごす。幼い時から3ヶ国語を話しピアノを習う。7歳の時、フランスのパリに移ってからフルートを始める。
オスロの大学へ進学後に絵画、演劇を始め、その後ニューヨークのオフブロードウェイでの演出アシスタント を経てブダペストの美術アカデミーでさらに絵画を学ぶ。90年オーストリアの絵画コンクールで入賞したのをきっかけに渡日。 京都にて書家田中心外主宰の「書インターナショナル」に参加。展覧会や音楽活動、ダンスや映像との複合パフォーマンスを行うなどして9年間を過ごす。 95年から99年まで、Marki、Michael Lazarinと共にパフォーマンスグループ「フィロクセラ」として活動。 97年、劇団「態変」音楽を担当、数公演を共にする。
99年、ベルギーに移る。ダンスパフォーマンスや絵画展覧会の他、ブリュッセルの音楽アカデミーでジャズピアノ、フルートを学ぶ。 2005年 ベルギーのエレクトロポップグループNEVEN に参加。2007年以降は Peter Clasen と共にBixmedard(ビックスメダール)として活動。 一方では、フランシュコンテ大学言語学修士を修了し、ブリュッセルにBLA語学スクールを開校、運営。 2010年夏より、再び活動の拠点を日本に移し Bix&Marki でフランス語のオリジナル曲を演奏。 絵画展も随時開催。 語学講師も行う。


■訳者プロフィール
中山ゆかり (なかやま・ゆかり)
翻訳家。慶應義塾大学法学部卒業。英国イースト・アングリア大学にて、美術・建築史学科大学院ディプロマを取得。訳書に、フィリップ・フック『印象派はこうして世界を征服した』、フローラ・フレイザー『ナポレオンの妹』、レニー・ソールズベリー/アリー・スジョ『偽りの来歴 20世紀最大の絵画詐欺事件』、サンディ・ネアン『美術品はなぜ盗まれるのか ターナーを取り戻した学芸員の静かな闘い』(以上、白水社)、デヴィッド・ハジュー『有害コミック撲滅! アメリカを変えた50年代「悪書」狩り』(共訳、岩波書店)、ルース・バトラー『ロダン 天才のかたち』(共訳、白水社)、フィリップ・フック『サザビーズで朝食を 競売人が明かす美とお金の物語』(フィルムアート社)など。