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序章 写真家は今、複製ロボットになるべきなのか

新納 翔(にいろ・しょう)

2015.07.25

 

6月9日から約二週間の写真展、「築地0景」が終わりあれこれと思考している。撮影対象が山谷から築地へシフトし第一回目となる自分の中で一つのピリオドとなる写真展だった。写真は思考を具現化するものに過ぎないとしたら、シャッターを切る前にあらかたの作業は終了している。

ある意味写真を撮らない時期が一番写真をしている時期なのかもしれない。

写真に限ったことではないと思うが、意図を込めたものを発表する時、不明瞭ながらも自分の中で「答え」という枠が存在し、それから離れる見解は不協和音をなす。しかしそれは脳内の奥底で共鳴しつづけ、ある時それは真実なのかもしれないと思うわけだ。往々にしてトイレの中で、それに気付く、私の場合は。

0景とは何か、もしかしたら自分に嘘ついて曖昧な答えに落ち着こうとしていたのかもしれない。消えてなくなる風景に惹かれていった、それを記録しなければと思った、本当にそうなのか?全てを否定することは無論できないが、全てを肯定することはもっと不確かなことだ。

 

おしなべて記録には二種類あると思う。それはいつか記録になるものと、築地のように記録になることが自明の理になっているケースである。

もちろんそれらの中間にグレーゾーンは存在すれど、期限のある場合、何が重要で、どれを優先して撮るべきか我々写真家に残された時間は物理的に決まっている場合、取捨選択している余裕など無いのが現実だ。ゆえに、もはや私は写真家として、被写体を選ぶ権利すら失っているのかもしれないのだ。

移転がいついつという期限で迫っている今、記録する写真家はゼロックスの複製マシーンの様に、私情挟まず記録するロボットになるべきなのかもしれない。

なんせ何が10年後、100年後意義ある記録になるか分からないからだ。

そしてこれは築地という誰しもが意義ありそうに思えるモノから、何気ない日常の景色にまで拡張することができる。日常こそ非日常とはよく言ったもので、日常の中にどれだけ記録しておくべきだったものがあったか皆のよく知るところであろう。

私が前作「AnotherSide」において、7年間実際に山谷の帳場で働きながら撮影していた時にはそういったことは感じなかった。それは断絶される記録であるという認識がなかったからである。やがてはとぎれても、かすかに残るノイズ。

その余韻がある限りはまだタイムリミットではないと考えていたからだ。

しかしここでひとつの疑問が聞こえるのである。

それでは、芸術としての写真との境はなんなのかということだ。複製マシーンが生み出すものが、アート作品を生むことはまだ考えにくい。ドキュメンタリーとアートの隙間に何があるのか、その包含関係を体系付けるものは何なのか。

このピーリングシティは、その答えを探す都市の探訪記である。

一人の写真家が膨大なシャッターを切って振り返った時、その山のどこかに答えは埋もれていると確信するのだ。

 

 

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▶︎新納 翔 HP

個展

道脈 (Gallery Niepce,Tokyo 2006.6)
横浜遥か近景 (Garellia Q,Tokyo 2007.9)
Out Line (Garellia Q,Tokyo 2008.2)
Dystopia Nippon (Gallery Niepce,Tokyo 2009.2)
山谷Now (Gallery Niepce,Tokyo 2009.6)
道脈 #2 (Gallery Niepce,Tokyo 2009.8)
Dystopia Nippon #2 (Gallery Niepce,Tokyo 2010.1)
道脈 #3 (Gallery Niepce,Tokyo2010.4)
NoSunnyDays (Gallery Niepce,Tokyo 2010.9)
山谷 (Zen Foto Gallery, 北京 2011.1)
Tokyo Foto (from LibroArte 2012.9)
帳場カメラマンが見た山谷 (広島大学 2012.10)
NoFoundPhotography(Paris, 2012.11)
築地0景 (ふげん社、東京 2015,6)

グループ展

vs. Station by Dystopia Photographers (Gallery Niepce 2009.9)
Spicilegium Amecitiae (Totem Pole Photo Gallery 2010.11)
Spicilegium Amecitiae (Totem Pole Photo Gallery 2011)
The Histoic Future 8.4 Yokohama 新納翔×下平竜矢 (大蔵寺 唯摩堂、神奈川)

出版物

山谷 (2010 Zen Foto Gallery)
Another Side (2012 LibroArte)
築地0景 (2015 ふげん社)

新納 翔(にいろ・しょう)
新納 翔(にいろ・しょう) プロフィール

1982年横浜生まれ。 麻布学園卒、早稲田大学理工学部にて宇宙物理学専攻するも奈良原一高氏の作品に衝撃を受け、5年次中退、そのまま写真の道を志す。2009年より中藤毅彦氏が代表をつとめる新宿四ツ谷の自主ギャラリー「ニエプス」でメンバーとして2年間活動。以後、川崎市市民ミュージアムで講師を務めるなどしながら、消えゆく都市をテーマに東京を拠点として撮影を続け現在に至る。新潮社にて写真都市論の連載「東京デストロイ・マッピング」を持つなど、執筆活動も精力的に行なっている。写真集『PEELING CITY』を2017年ふげん社より刊行。