第11回 記憶の周波数 吉田 隼人(よしだ・はやと) 書物への旅〜記憶=私の不確かさをめぐる12の断章〜(第2期) 2016.11.29 中高生のころ、馬鹿みたいにラジオばかり聴いていた。田舎だし、裕福な家でもなかったので、パソコンもテレビも家族共用のものしかなく、街中に出ていくお金もない。手の届く範囲でぼく一人のものとして所有できるのはラジオぐらいしかなかったのだ。ホームセンターで買った千円の携帯ラジオや、祖母が大正琴や踊りの練習のため買って放置されていた古い「ダブルラジカセ」――いまの若者は知らないであろう、カセットテープからカセットテープに音楽をダビングできるよう二つのカセットを挿入できるようにした大型のラジカセである――が外の世界とつながる唯一の手掛かりだった。不幸中の幸いというべきか、あまりに田舎なので都市部と違って電波が届きやすく、北は札幌のHBCから南は福岡のRKBまで日本中のAM局を受信することができたから、全国で放送されている中から好きな番組を組み合わせた自分だけのタイムテーブルを組んで、多いときには一週間に三十もの番組を聴いていた。複数局にネットされている番組だと一週間に二度も三度も聴いたり(ラジオ大阪の番組「國府田マリ子のGM」などは他に地元のラジオ福島・神奈川のラジオ日本・札幌のHBC・長野の信越放送などで聴けたので週に四回も五回も聴くことさえあった)、より受信環境のいい局で聴いたり(東京の文化放送は近い周波数帯により出力の強い韓国のラジオ局があって受信しにくいので、同じ番組が北海道のHBCなどにネットされている場合はそちらで聴いていた)、ある局で野球中継が延びて聴きたい番組が中止になると別な局の裏番組にチューニングを合わせたり、とにかく日本中のラジオ局の電波を拾っていたから、各局の周波数を暗記してしまっていた。 TBSテレビ『クイズ100人に聞きました』(朝日ソノラマ) いまはその多くがネットラジオに移行してしまったが、そのころはアニメやゲームの新作が出るたび宣伝も兼ねて声優さんの出るラジオ番組がAM局でたくさん放送されていて、アニラジと呼ばれるそうした番組を浴びるように聴きながら、毎晩、夜中の二時か三時まで起きていた。ただ起きてラジオを聴いているだけだと眠くなるので「ついでに」受験勉強もしていたから家族には勉強熱心な息子だと思われていたようだが、深夜ラジオの醍醐味といえば投稿ということで、参考書の陰に隠してネタ葉書を書いたりしていた。そのなかでも会心の出来だったのが高校一年のとき、つい最近まで十年以上続いていた人気番組「田村ゆかりのいたずら黒うさぎ」の「冬の読書感想文」というコーナーで採用された長文ネタだった。番組側からリスナーにおよそ読書感想文向きでない本を一冊ずつあてがって、その感想文という名目でネタ投稿をさせる企画で、ぼくの家にも東京の文化放送から『クイズ100人に聞きました』の番組本が送られてきた。以下が2006年1月28日に放送された、その「感想文」である。 「さらば、わが時代の昭和」 県立福島高校一年 吉田隼人 時の流れというものは大変うつろいやすい。これは我々人間に過去を認識する力が備わっているかららしい。今回感想を述べる『クイズ一〇〇人に聞きました』の表紙を飾るのは、若かりし日の関口宏氏である。この頃は黒々とした髪に笑みを浮かべていた彼も、いまやロマンスグレーの渋い姿となった。つくづく時の流れというものの存在を思い知らされる。本の奥付を見ると、昭和五四年六月三〇日初版発行とある。西暦に直せば一九七九年である。 一七六ページを見ると、時の総理大臣・大平正芳の名前が見える。主婦一〇〇人に彼の好きなところ、嫌いなところ聞いたようだ。主婦一〇〇人中二十三人の票を集めた、首相の嫌いなところは「話し方(アーウー)」と、大平首相は、圧倒的な不人気であった。 そういえば、この本の前書きにこのような文面が記載されている。「家庭や職場、友人同冬の読書感想文士でどれだけ当たるか、あなたも番組の出場者になったつもりで遊んでみてください」。かなり衝撃的な内容である。この本はクイズをして遊ぶために出版されたのだ。つまり、 「ケンジ、ケンジ!早大生一〇〇人に聞きました」 「なんだよ、いきなり」 「かわいい女の子にじっと見つめられたら、あなたならどうしますか?」 「母さん、どうしちゃったんだよ!?」 「さぁ、時間が迫っていますよ」 「なんで肘をつくんだよぉ」 「お答えは?」 「目を……そらす?」 「あるあるあるある!」 「と、父さん。一体どうしちまったんだ!?」 (ジャーンジャーンジャーンジャーンジャーン♪ ピンポンピンポン!) 「どこから効果音が!?」 「はい、『目をそらす』は第三位です」 「もう、みんな揃ってどうしたんだよ!」 と、いうようなことだろうか。 先の前書きには「この程度の問題なら簡単だと思う方、ご家族五人一組で参加してみませんか? 司会の関口宏さんはじめスタッフ一同、みなさんの参加をお待ちしております」と書かれている。 しかし、最早「一〇〇人に聞きました」は放送されていない。 関口宏は、僕を待ってはいないのだ。 この文面を見て、ぼくはある種の寂しさを抱いた。時の流れは戻らない。それを実感したのだ。だからぼくは言おうと思う。「さらばわが時代、昭和よ」と。 わざと真面目ぶって書いた、平成生まれのくせに「わが時代、昭和よ」と言うところまで含めてネタのつもりという、改めて見直すと恥ずかしい文章なのだが、人気声優の田村ゆかりさんがその実力を存分に発揮し、途中の寸劇部分では声色を使い分けて熱演までしてくれたこともあり、放送ではけっこう聴ける内容になっていた。いずれにせよ、これが十六歳のぼくの文章である。 弁解はともかく、いま読み返してみると冒頭で「時間」について省察している部分は、当時はネタのつもりで軽く書き飛ばしたに違いないのだが、その後いろいろと哲学や文学へ深入りしていく萌芽のようなものを感じさせなくもない。 高校時代にハイデガーの『存在と時間』をかじり、大学に進んでからはフランス語の勉強も兼ねて、何人かの先生が推奨していた哲学者アンリ・ベルクソンの時間論に手を伸ばした。主要な著作はほとんど文庫に入っていたから、その美しい文章を夏目漱石や芥川龍之介も愛読した『時間と自由』あたりを手始めに、時計で測れる時間とは別な「純粋持続」としての時間体験を説く独自の思想をしばらく追いかけていた。 ハイデガー『存在と時間(一)』(岩波文庫) ベルクソン著,中村文郎訳「時間と自由」(岩波文庫) ジル・ドゥルーズ著, 財津理, 齋藤範訳「シネマ1*運動イメージ」(法政大学出版局) ちょうどそのころ、フランス現代思想の旗手ドゥルーズの映画論と哲学を一体にした二巻本の大著『シネマ』の邦訳がようやく出揃ったこともあり、そこで大胆な読み直しを図られている『物質と記憶』はぼくの所属していた表象・メディア論系というところでは必読書のひとつに数えられており、これは勉強せねばなるまいと複数の邦訳を集めて読み比べたりした。ひさびさに邦訳のページを繰ってみるとあちこちにボールペンで傍線や書き込みがしてあり、幼いなりに必死で喰らいつこうとしていたのだなぁと懐かしくなる。 ベルクソン著, 熊野純彦訳「物質と記憶」(岩波文庫) ベルクソンによれば「時間に固有の性質は、流れることである。そして、すでに流れてしまった時間は、過去であり、現に流れつつある瞬間を、われわれは現在と呼ぶ」。過去とは流れ去ってしまった時間のことだから「現在は、原則的には、過去を排除する」。過去というのは実在しない。実在するのは記憶だけである。日本語に訳してしまうとどちらも記憶としか言いようがないが、ベルクソンがいう記憶にはメモワールとスヴニールがある。膨大に蓄積された記憶がメモワールで、そのメモワールのうち人間はそのつど有用なものだけを選んで思い出す、その「思い出す」という動詞が名詞化したものがスヴニールだ。人間は「現在」見えているものや聞こえているものをすべて知覚できるわけではない。そんなことをしたら処理能力が追いつかなくてパンクしてしまう。未来につながる行動をとるために有用な情報だけを選びとって知覚している、つまり、都合のいいものだけを見たり聞いたりするようにできているわけだが、都合のいいものとそうでないものを判断する基準が「記憶」だとベルクソンは説明する。 「記憶、すなわち、過去のイマージュの残存を考慮に入れるなら、このイマージュは、絶えず現在の知覚に合流し、知覚に取って代わることさえある」ゆえに、「知覚するとは、結局、過去のイマージュを想起するきっかけにすぎない」のであり、「われわれは、実在観の度合いを、実際には、有用さの度合いで計っている」ということになる。人間にとって過去は記憶、未来は行動、そして現在は知覚としてあらわれる。けれどもそれぞれ全くの別物ではなくて、未来に向けて行動するためには現在の状況をできるだけ的確に知覚しなくてはならないが、その知覚のためには背後にある膨大な記憶の蓄積から有用なものだけを思い出してこなくてはならない。たくさんの記憶が「現在」という瞬間をあらわす一点に向かって収斂していく構造をベルクソンは逆円錐形の図であらわしている。底面のほうへ無限に拡がっている記憶はコーンの頂点に向かって細ってゆき、その鋭くとがった頂点としての「現在」は未来に向かって突き刺さっていく。 ベルクソン著, 河野与一訳「思想と動くもの」(岩波文庫) 現在を生きるとは未来に向かって生きることであると同時に、つねに過去を思い出しながら生きることでもある。十六歳のぼくはラジオに投稿するネタを「時の流れというものは大変うつろいやすい。これは我々人間に過去を認識する力が備わっているかららしい」と書き出したとき、すでにそのことを感覚的にわかっていたのかも知れない。そしてベルクソンによれば未来に向かって生きるとは、現在という一点にあって過去の記憶を参照しながら、無数の潜在的な可能性の中からそのどれか一つだけを選びとって現実のものとしていくことである。夜更け過ぎ、ラジオに耳を傾ける十六歳のぼくの前には、それと気付かぬままに無数の可能性が広がっていたはずだ。そのときの選択によっては、いま二十七歳のぼくは仏文科の大学院生ではなくて、医師になっていたかも知れないし、弁護士になっていたかも知れないし、あるいは死んでいたかも知れない。短歌ではなくて釣りに打ちこんでいたかも知れないし、けん玉の名人になっていたかも知れない。ぼくが選びとって実現した「未来」は仏文科の大学院生になって、短歌を作ったり文章を書いたりすることだった。無限に拡がっていたはずの可能性から現在の人生を選んだのはたまたまに過ぎないが、ベルクソンの考えに従っていえば、そのたまたまこそが運命であり、人間が自由意思によって選びとった未来なのである。選択されなかった別の世界の「現在」には、医師になったぼくやけん玉名人のぼくがいるのかも知れない。そしてそのことを、ベルクソンは論文集『思想と動くもの』のなかでラジオにたとえている。 「別の選択に応ずる別の世界が幾つも同じ場所および同じ時間にこの世界とともに実在してもいっこうに差しつかえはない。ちょうど多くの異なる放送局が同時に多くの異なるコンサートを放送し、それらのコンサートのいずれもが他局の音楽に音を混ぜず、一つひとつが、放送局の波長を選んで受ける受信機によって完全にかつそれだけ聴かれながら、同時に存在しているようなものである」。 十六歳のぼくは放送局の周波数を選んでいるつもりで実は、それと知らずに自分の未来までも選んでいたのかも知れない。いまでも古いカセットテープを再生すると、田村ゆかりの声の向こうに、記憶の中のぼくがラジオのダイヤルを回す姿が浮かび上がってくる。まったく、「時の流れは戻らない」。ふざけて書きつけたはずの言葉が電波を介して未来の自分を困らせるとは、あのときぼくはまだ夢にも思っていなかったのだ。