第12回 書かれなかった記憶のこと 吉田 隼人(よしだ・はやと) 書物への旅〜記憶=私の不確かさをめぐる12の断章〜(第2期) 2016.12.31 姉さん! 飢え渇き卑しい顔をして 生きねばならぬこの賭はわたしの負けだ 死にそこないのわたしは 明日の夕陽を背にしてどうしたらよいのだろう ――鮎川信夫「姉さんごめんよ」 彼が書こうとしていたのは小説であったのか、論文であったのか、今となってはもう知る術もない。何度その計画を聞かされたことか知れないが、はじめ一冊の手帳をめぐるメタフィクションになるはずだったのに、次に会ったときは謡曲のかたちにするのだと意気込んでおり、かと思えばフランス文学と精神分析との関係を問いなおす論文を書いて大学院へ行くのだと言いだし、そしてぼくの視界から姿を消してしまった。 なにせ何度も聞かされてきたから、どんな題材を扱うつもりだったかはおおかた覚えている。覚えてはいるのだが、それはぼくの方だけで、彼の方でどんどん記憶が曖昧になっていく。高校時代にあるスナッフ・フィルムを手に入れた実体験を元にしている、と言っていたのが、手に入れたのはフィルムではなく手帳だったことになり、その手帳もひょっとしたら高校を出てから自分で書いたものかも知れず……と、話は二転三転する。スナッフ・フィルムというのは実際の殺人現場をとらえた映像のことだけれど、フィルムにせよ手帳にせよ、その元になった殺人事件が本当にあったことなのかどうかも定かではない。最初、彼の同級生が双子の姉を殺した事件だと言われていたのが、じつはそれは彼の創作で、県内のべつの高校で男子生徒が母親を殺した事件に想を得たのだと打ち明けられ、それからしばらく合わないでいたら、いや、やっぱり犯人は同級生のしかし女子生徒で、母親に毒を盛ったが未遂に終わったのだということになり、ところがぼくが詳しく調べてみるとそれは彼の出身県で起こった事件ではなかった。強いて共通項を挙げるとすれば、いずれの事件も――最初の事件は事実かどうか確かめられなかったが――犯人が彼と同い年の高校生だったという点ぐらいだった。あれは虚言癖なのだろうか。だが、図書館でマイクロフィルムから複写した新聞記事をまとめて問いただすと、彼はじぶんの記憶が誤っていたことにひどく怯え、ぼくのことなど放り出してあちこちに電話をかけてむかしの友達や地元の知り合いに確認をとって、ついに彼の記憶が虚偽であったことをたしかめるといよいよ蒼ざめ、病院にかかるなら何科がよいだろうかと相談された。 これらの細かな差異をひとまず無視して、彼がいくどとなく語った筋書きだけを要約すれば次のようになる。すなわち、彼と同年の少年ないし少女が高校生のとき、なんらかの手段で肉親をあやめる。その事件を素材に、殺す側と殺される側とを双子の少女にして、殺される側の少女が胎内に宿していた子供を、殺す側の少女が腹を割いて取り出し、恍惚として食べてしまうという物語を、まず彼は考えだした。――小説を書こうと思っていたんだ。でも書けなかった。最初に書こうとしたのは高校時代だった。核になる物語はごく単純だ。東北の地方都市に双子の姉妹がいて、ふたりの間には体の関係がある。姉の方は中学の卒業式の日に失踪してしまった。妹は地元の進学校に入ったが、次第に不登校になっていく。ある日、何の前触れもなしに姉が帰ってくる。妊娠していた。父親はわからない。深夜、妹は姉を誘い出す。そして遊園地の廃墟で姉を殺し、腹を裂き、胎児を取り出して食べてしまう。翌朝、ひさびさに学校を訪れた彼女は、一部始終を収めたヴィデオをある生徒に手渡して、その足で電車に飛び込んで死ぬ。「これを、ヴィデオを手渡された生徒の視点と、双子の妹の視点とを交錯させながら書くつもりでいたんだよ」。高校生の彼はそれをそのまま小説にしようとしたが、素材となった二つないし三つの事件があまりに身近であったためにうまく距離感をつかめず、あるいは周囲から執筆をとがめられ――この点についても彼の発言は一定しなかった――いくつかの断片を書きつけるにとどまった。舞台は彼が電車通学の車窓から毎朝のように見ていた、廃墟のまま放置された遊園地。同じ顔、同じ姿かたちをした二人の少女が殺しあう思想的背景には、そのころ彼が読みかじっていたジャック・ラカンの初期論文がきわめて生硬に適用されることになっていた。 ジャック・ラカン『エクリ 1』(弘文堂) 図書館に入り浸るうち、彼は1933年にフランスのル・マンで起きた殺人事件に行き着いた。ふつう犯人の名をとって「パパン姉妹事件」と呼ばれるその事件について概略を記せばおおよそ次のようになる。パパン姉妹とは28歳の姉クリスティーヌと21歳の妹レアの二人姉妹。その年の2月2日、二人はメイドとして奉公していた屋敷で、主人一家の留守中に停電を起こしてしまう。そこに一家の母と娘が帰ってくる。「姉妹はそれぞれ一人の敵へつかみかかり、犯罪史の上でも前代未聞のことと言えるが、生きたまま両の目を眼窩からえぐりとり、敵を打ちのめす。ついで、手近なところにあったハンマー、錫の酒壺、包丁などをつかって、相手の体を攻撃し、顔をつぶし、さらに、陰部を露出させて、一人の腿と尻を切りつけ、その血をもう一人の腿と尻になすりつける。彼女たちはそのあとこの残虐な儀式の道具類を洗い、自分たちの身体を浄め、そして同じベッドに横たわる。《ひどいことをしちゃった!》これが彼女たちの交わした文句であるが、それは血みどろの饗宴にひきつづく目ざめのしるしを告げているようで、いっさいの感情を欠いていた」。さまざまな精神科医たちがこの事件について言及した中で医学の専門雑誌とは毛色の違う、シュルレアリスム周辺の文学者や芸術家たちによる雑誌『ミノトール』に論考「パラノイア性犯罪の動機」を寄せたのが、若き日のジャック・ラカンだった。よく知られるように、ラカンはのちに難解きわまる論文集『エクリ』をもって精神分析、さらには人文諸科学の分野において世界的な影響を及ぼすこととなる。かくしてその初期論文集は日本語にも訳され、大学図書館に収蔵され、小説を欠きあぐねていた彼の目にも触れたのである。 ジャック・ラカン『二人であることの病い パラノイアと言語』(講談社学術文庫) ――だって、邦題がうまいんだ。『二人であることの病い』。マル・デートル・ドゥ。確かにラカンがパパン姉妹を論じて使ってる言葉だけど、それを本の表題にしたのは編集者のセンスだろうな。パラノイアの何とか、精神構造がどうとか、そんな題じゃ売れそうにない。現代思想が売れてた頃の本だから、こういう邦題がついたわけだ。この調子で訳文のほうももうちょっと頑張ってほしかったんだけど。「けれども姉妹は傷つけ合うのに必要な距離をたがいにとることさえできなかったように思われる。真のシャム双生児的な心をもって、彼女たちは永久に閉じた一つの世界を形成している。犯行後の彼女たちの供述を読んでローグル博士は述べている。《同じものを二つ読んでいるようだ》と。彼女たちは、二人だけの手段でもって、自分たちの謎、つまり性についての人間的な謎を解かなければならない」ときたもんだ。発表媒体がああいう雑誌だったんだし、こういうところはもうちょっと文学的にやってほしかったよなぁ。 G.W.F.ヘーゲル『精神現象学 (上) 』(平凡社ライブラリー) 「だから、この論文を読んでも小説は書けなかった、と?」――いや、読んだのはこれだけじゃなかった。ラカンについてちょっと勉強すれば、たとえばヘーゲルの影響なんてことはすぐわかる。パパン姉妹について書いた時点でラカンがヘーゲルを読んでいたかどうか? 論文を書こうとしてるわけじゃないんだから、そこまで気にしてる余裕はなかったな。ともかく『精神現象学』を読んだんだ。もちろん翻訳の、それもいちばん安いやつ。分冊になってたんだけれど、「主人と奴隷の弁証法」が勘どころだって聞いたから、それが載ってる巻だけ買ってきた。その訳では主人と奴隷じゃなくて「主と僕」。でも、こっちはあんまり難しいんで、すぐに投げ出しちゃったよ。翻訳もあんまり評判よくないが、そもそも原文がひどいドイツ語らしい。まだ若い貧乏学者だったヘーゲルが下宿のおかみさんを孕ませちゃって、当座の金が要るってんで大急ぎで書いたっていうんだから。ヘーゲルの弟子筋の学者たちが代々口伝で、ここは宗教改革のことを書いてるとか、こっちはナポレオンを見ながら書いただとか、そういう註釈を付けながら読んできた。日本にもそれが留学生を介して戦前から伝わってたようだし、ジャン・イポリットとかアレクサンドル・コジェーヴとか、そういう註釈を集大成したフランスの学者の仕事も翻訳されてるんだけど……まあ読んでる余裕がなかったんだな。 ジャン・ジュネ『女中たち バルコン』 (岩波文庫) およそ学術的な著作を読むには忍耐力も基礎知識も足りない彼は、代わりに同じパパン姉妹事件を題材にしたといわれる戯曲に目を向けた。泥棒作家ジャン・ジュネの『女中たち』は、ごっこ遊びの末にその延長上で姉妹が殺しあうことになる経緯をメタフィクション風のこみいった構成で書いた作品ということで、ラカンからヘーゲルへ遡るよりも手っ取り早く思われたらしい。舞台の幕が開くと、女中と女主人とが言い争っている。女主人の夫は何者かの密告で囚われの身になっているらしい。と、女主人が女中の名前を呼び間違える。実は二人とも女中で、女主人の留守中に彼女の服を勝手に着て「奥さまと女中ごっこ」に耽っていたのだった。姉のクレールが女主人役、妹のソランジュが姉のクレール役をそれぞれ演じていたのである。それが一本の電話によって中断される。囚われの身だった女主人の夫、「旦那さま」が釈放されることになったのだという。旦那さまを密告して牢獄に追いやった犯人は、ほかならぬクレールとソランジュの姉妹だった。旦那さまの逮捕で気落ちした女主人をうまく騙して財産を手に入れるつもりだったのだが、その計画に破綻が生じてしまった。そこに運悪く女主人が帰って来てしまう。電話に気付かれる前に彼女を殺してしまおうと紅茶に毒を仕込む姉妹だったが、不注意から女主人は電話の件に気付いてしまい、紅茶に口をつけることなく家を出ていってしまう。すると姉妹はなにかに強いられてでもいるかのように、「奥様と女中ごっこ」の続きを始めなくてはならない。そして半ば錯乱しながらも、女主人役のクレールはクレール役のソランジュからジャスミン・ティーを受け取って、それが毒入りだと知りつつも飲み干すのである。 「クレール (奥様のベッドに横になる)繰り返すわ。邪魔をしないでね。聞いている? 言ったとおりにするわね? (ソランジュは、肯く)繰り返すわよ。わたくしの、菩提樹花のお茶を! ソランジュ (ためらって)でも…… クレール 菩提樹花のお茶、と言っているのですよ! ソランジュ でも、奥様…… クレール そうよ、続けて。 ソランジュ でも、奥様、もう冷めております。 クレール それでも飲みます。おくれ。 (ソランジュは茶器をのせた盆を持ってくる。) まあ、お前、一番立派な、一番大切な紅茶茶碗に注いだのね…… (彼女は茶碗をとり、飲む。その間、ソランジュは正面を切ったまま、身じろぎもしない。手錠を掛けられたように、両手を前で交叉して。)」 それが原因になったのか、レポートを褒められて図に乗ったのか、彼はひところパパン姉妹事件をめぐる文学的思想的問題というようなテーマで論文を書いて、仏文科の大学院を受けると言いだしたことがあった。「もう小説はやめたよ」「これは論文で書くのが一番いいテーマなんだ」とまで口にしていたはずだ。しかし個別の作家論などと違って、こうした雲をつかむような抽象的なテーマは大学院を受けるにはあまり歓迎されない。もっと具体的な作品を取り上げた方が、と精一杯の助言をすると、移り気というか飽きっぽいというか、そういうところのある彼はどんどん変な方向に突き進んでいった。単位がとりやすいというので能楽についての講義をとったらしく、そこで読んだ一篇の謡曲が自分のテーマにしっくりくると言いだしたのだ。 世阿弥『申楽談儀』 (岩波文庫) ――世阿弥の作とされてる謡曲でね、「山姥」っていうんだ。世阿弥自身がこれはあんまり凝った趣向にしすぎたっていうんで、後年の『猿楽談義』で反省しているぐらいの、まあ、今風に言えばメタフィクション的な構成だったわけ。それで、ここからがジュネの『女中たち』にも通じるんだけど、これも女二人が「演じる」というのを中心テーマに据えてるんだな。能にはシテとワキってのがいて、ワキは旅の僧とか、そういう脇役。対するシテっていうのは最初、なにか思わせぶりな姿でワキの前にあらわれるんだが、後段でその正体が明かされる。だいたい和歌にちなんだ亡霊とか、鬼神とか、そういう異形のものだ。この「山姥」のワキは、百ま山姥という芸名の女曲舞(おんなくせまい)。曲舞ってのは次第に能楽に取り込まれて消えてしまった当時の芸能で、それを演じる女優だってんだから、まあ白拍子とかと同じ、一種の遊女でもあったんだろう。山姥役を演じて当たったというんで「百ま山姥」と呼ばれているこの遊女が、山を越える途中で本物の山姥に遭遇してしまうんだな。もちろんこの山姥のほうがシテだ。そしてクライマックス、百ま山姥に代わって本物の山姥が山姥をモデルにした曲舞を歌い、踊ってみせる。二重にも三重にも入り組んだ入れ子細工の劇中劇、まさにこれこそメタフィクションだろう! 「そもそも山姥は、生所も知らず宿もなし、ただ雲水を便りにて、至らぬ山の奥もなし。しからば人間にあらずとて、隔つる雲の身を変へ、仮に自性を変化して、一年化生の鬼女となつて、目前に来れども、邪正一如と見る時は、色即是空そのままに、仏法あれば世法あり、煩悩あれば菩提あり、仏あれば衆生あり、衆生あれば山姥もあり、柳はみどり、花は紅の色々。さて人間に遊ぶこと、ある時は山賤の、樵路に通ふ花の陰、休む重荷に肩を貸し、月もろともに山を出で、里まで送る折もあり、またある時は織り姫の、五百機立つる窓に入つて、枝のうぐひす糸操り、紡績の宿に身を置き、人を助くる業をのみ、賤の目に見えぬ、鬼とや人の見るらん。世を空蝉の唐衣、払はぬ袖に置く霜は、夜寒の月に埋もれ、打ちすさむ人の絶え間にも、千聲萬聲の、砧に聲のしで打つは、ただ山姥が業なれや、都に帰りて、世語りにさせ給へと、思ふはなほも妄執か、ただうち捨てよなにごとも、よしあしびきの山姥が、山巡りするぞ苦しき。あしびきの。山巡り。……」 ちょっと自分に酔ったような調子でここまで音読してみせた彼に、ぼくはいささかの気後れを感じながらも、それはちょっと『女中たち』に寄せすぎではないかしら、この山姥は人を殺めるどころか、人助けをしても報われない身の上を嘆いているばかり、それよりきみが最初にもっていたテーマに近付けるならむしろ、謡曲は謡曲でも「黒塚」のほうがいいのではないのかね――と口を挟もうとした。仕えていた姫君の病気を癒すという目的こそあれ、鬼婆が妊婦の腹を裂いて胎児を取り出し、その生き胆を狙うという点では彼が当初書こうとしていた姉妹の物語によっぽど近い。そして殺された妊婦が実は鬼婆の生き別れの娘だったというオチまでつくのだから、骨肉の殺し合いという意味でもよっぽど参考になるのではないか。 「そういえば鬼婆の黒塚があるのは奥州安達ヶ原、きみの地元もそこから程近いのではなかったっけ」――そうか、そうだな、そういう見方もあるか。そういえば鬼婆の物語を人形芝居だか影絵芝居だかで見せるテーマパークに行ったことがあったな、子供の頃。あそこは閑散としてたなぁ。で、それはそれとして、『女中たち』と「山姥」のメタフィクション的構成だよ。これはどっちも女が女を演じるうちに、どこまでが演技でどこからが本気なのかわからなくなる劇中劇の構造をとっている。それを書いたのが片やかつて男娼として身体を売っていたジュネ、片や時の将軍義満の寵愛を受けた世阿弥、どちらも男色をいわば生業としてきた男なんだ。男と男が交わっても当然ながら子供はできない。そういう立場に置かれた男にとって、生殖による再生産機構を体内にもつ女というのはそれ自体が一種の劇中劇、一種の入れ子構造に見えるんではないかと……「しかし、そういう一面的なものの見方はどうかなぁ。いささか差別的にも聞こえるけれど」――それは、まあ、それとして、これを「劇中劇としての女性」という題で論文にまとめようと思うんだ。仏文? そんなのはやめだな。比較文学だよ。謡曲とジュネの比較だ。そうやって研究しながら、同時に『女中たち』を謡曲の形式で書き直す。これはシテが落ちぶれた旅の男娼、つまり『女中たち』の作者になるジュネ自身だな。これが朽ち果てたお屋敷に一夜の宿を求め、かつて女主人を殺した自分たちの所業を繰り返し再現するメイド姉妹の亡霊に出会う。これがシテ。パパン姉妹の亡霊が屋敷にとりついて、『女中たち』そっくりの劇をやってるのをジュネが見届けるというのを複式夢幻能の形式で書くんだ。研究と創作の両立、文人学者、学匠詩人、ラテン語でいうポエタ・ドクトゥスってやつだよ。 倉橋 由美子『聖少女』(新潮文庫) 興奮した彼が語り続ける明るい未来の幻想に、ぼくは何とか割りこもうとする。でも、最初に書こうとしていた小説の方はどうなったんだ。あの姉妹の殺し合い、胎児を取り出して喰らってしまう話は?――だから、それもメタフィクションなんだ。殺しあう姉妹は互いが互いの物語、フィクションだし、さらに腹の中にいる胎児はまさに入れ子構造の劇中劇だ。それをやるためには、書ききるためには、メタフィクションを自家薬籠中のものにしておかなくちゃならない。自分があのとき受け取ったのはスナッフ・フィルムだったのか、手帳だったのか、あるいはあの事件そのものが自分の考えだした妄想に過ぎなかったのか。そうやって錯綜していく記憶、定かならざる記憶を書くには充分な構成と準備が必要だ。自分の同一性、アイデンティティを保証するのは記憶だけだけれど、その記憶が改竄されているとしたら、信用ならないとしたら、あるいは、記憶喪失に陥ったとしたら、果たして「ぼく」とか「私」とかいう一人称で語れるものだろうか。そうそう、そういうことを考えるときにうってつけの小説もあるんだよ。倉橋由美子、知ってる? その『聖少女』って書き下ろし長編がすごいんだ。いまも文庫で出てると思うよ。交通事故で母親を亡くして記憶喪失に陥った少女と、六〇年安保のあと虚脱感でいっぱいの不良少年たちが、少女がかつて書いていたノートをめぐって右往左往する小説なんだけど、そのノートに書かれていた彼女と「パパ」との近親相姦が事実かどうかというのが眼目で、実はその「ノート」部分はもともと倉橋由美子が「わたしの心はパパのもの」っていう題で雑誌に発表していた中編小説が元になっていて……。 際限なく続く彼の話、その話が続く限りその「小説」が書かれることは永遠にないだろう。彼は語り続けることで彼の「小説」の書き出しを延々と先へ先へと繰り延べていく。あるいはそうやって語り続けること、永遠に本筋に到達しない繰りごとを続けることだけがそのメタフィクション的な「小説」を書くための唯一の手だてなのかも知れない。だから彼がぼくの前から姿を消したというのは恐らく、嘘だ。彼の嘘にぼくが嘘をかさね、ぼくの嘘に彼が嘘を重ねて、記憶も、現実も、アイデンティティも、すべてが蜃気楼のように無限の彼方へと遠ざかっていく。なんという勝ち目のない勝負だろう!「そもそも、ぼく自身が彼の書いている小説の登場人物に過ぎないのだから?」