第10回 ジル・ド・レ覚書 吉田 隼人(よしだ・はやと) 書物への旅〜記憶=私の不確かさをめぐる12の断章〜(第2期) 2016.10.28 蛇が死んでゐる むごたらしく殺されて 道端に捨てられてゐる 死体の傍には 石ころや棒切れなぞの兇器がちらかつてゐる 王冠を戴いた神秘的な頭は砕かれ 華奢で高貴な青白い首には縄が結へてある 美しく生々した蛇は今はもう灰色に変つてゐる さながら呪はれた悲劇の人物のやうに 地上に葬られもしないで棄てられてゐる 哀れないたづらだ ――千家元麿「蛇」 ジョルジュ・バタイユ 序・編 ピエール・クロソウスキー 訳著 『Le Procès de Gilles de Rais (ジル・ド・レ裁判)』 (フランス図書クラブ) 歌集『忘却のための試論』に帯文を寄せていただいた詩人の高橋睦郎さんには、ジョルジュ・バタイユの『ジル・ド・レ裁判』という本に取材した「魂の宴」という謡曲がある。ぼくは仏文科の修士論文にこの本を取り上げたから、お目にかかったら是非そのあたりのことを訊いてみたいと思っていた。そのお答えは私信に類するけれど、「現代詩手帖」誌の鼎談でも同様のことが語られている。ジル・ド・レは、ジャンヌ・ダルクの戦友としてともにフランスを救った国家的英雄でありながら、ジャンヌが火刑に処されてのち居城にこもり、何百人ともいわれる幼い子供たちを性的になぶり、残酷なやりかたで殺しながらも、しかし生涯カトリックの篤い信仰を失うことのないままジャンヌと同様に処刑されたという、ずいぶん波乱にみちた経歴をもつ実在の人物であり、そのジル・ド・レに関する資料を国立図書館に勤務する古文書学者でもあったバタイユが編纂して長い序文を付したのが『ジル・ド・レ裁判』という書物であった。では『ジル・ド・レ裁判』のどこが詩人の琴線に触れたのかというと、処刑に臨むジル・ド・レを憐れんで、子供を殺された親たちが合唱する場面だったのだという。「魂の宴」のクライマックスに据えられているのもこの場面である。 「その時、唱和す回向(ゑこう)のこゑごゑ 声は即ち、ジル・ド・レーに 殺められにし童子の親親 自ら受けし苦患(くげん)は措きて 現在苦患の魂魄(こんぱく)がため 涙ながしつ称(とな)ふる詠歌は キリエ・エレイソン キリエ・エレイソン クリステ・エレイソン クリステ・エレイソン クリステ・エレイソン 主憐れみ給へ キリスト憐れみ給へ キリストわれらが祈りを聞入れ給へ ジル・ド・レーがこの世の罪を恕(ゆる)し給へ。」 けれども、実際にバタイユの著作を読んでみると確かに処刑に向かうジルを、彼の望みをうけて大群衆が行列をして送り、そこでは聖歌もうたわれたとは書いてあるが、ジル・ド・レは「今現に自分のために神に哀願している賤民たちに対する侮蔑をその極致にまで押し進めた人物であったのだ」と描写されている。いったいに、この人物をえがくバタイユの筆はいくぶん皮肉っぽい。だいたいジル・ド・レを取り上げた作品はそのジャンルを問わず、かつて共に戦いながら先に異端として処刑された悲劇のヒロイン、ジャンヌ・ダルクとの関係に大きな比重を置いているものだ。 「魂の宴」は複式夢幻能の形式にのっとってシテの演ずる亡霊がジル・ド・レであると同時に死んだジャンヌ・ダルクでもあるという設定で「変成男子」「変成女子」の掛け声とともにジルとジャンヌがくるくると入れ替わるし、ミシェル・トゥルニエの小説『聖女ジャンヌと悪魔ジル』でジル・ド・レは彼女が処刑の折にイエスの名を三度叫んだのに呼応して、自分が処刑されるときにはジャンヌの名を三度叫ぶ。 最近だと漫画『ドリフターズ』や『Fate/Zero』などサブカルチャーの領域にもジル・ド・レがちらほら出てくるようになったが、彼らもジャンヌの忠実な配下とか、ジャンヌの面影をもとめて現代に転生したとか、そんな描かれ方をしている。この種のロマン的なジル・ド・レ像は恐らく、世紀末作家ユイスマンスの小説『彼方』あたりに起因するのだろう。 ミシェル・トゥルニエ著 榊原晃三訳 『聖女ジャンヌと悪魔ジル』(白水社) 平野耕太 『ドリフターズ(1)』 (ヤングキングコミックス) 虚淵玄 『Fate/Zero(1)』 (講談社) J-Kユイマンス著 田辺真之助訳 『彼方』 (東京創元社) けれどもバタイユの目はずいぶんと辛辣だ。ジャンヌ・ダルクがジル・ド・レを近くに控えさせたのは単に彼が死をも恐れぬ勇猛な戦士だったからであり、その「勇猛な戦士」はのちの快楽殺人者ジル・ド・レと地続きの、大量殺戮に性的興奮をおぼえる野蛮で子供じみた性格をあらわにしているにすぎない。まして大貴族のジルにとって農村の娘ジャンヌはずいぶん縁遠い存在であったはずだ。バタイユは言う。「明らかにジル・ド・レにとってはジャンヌ・ダルクは理解不能の人物であった。だいたい彼が人民の運命になど関心を持つはずがないではないか。この点に関しての世評は厳しい。彼はただ自分自身にしか興味を持ち得なかったのである。せいぜいのところ彼は子供じみた人間であるところから理解できぬままに一般の大いなる感動にあずかっていたのかもしれない」。ジャンヌ処刑後、ジルが悲しんだとかそれゆえに猟奇殺人に走ったとかいった俗説を裏付ける資料はない。バタイユはジルが殺人に手を染めたのはジャンヌとともに戦うよりずっと以前、ずいぶんと悪どい人物であった彼の祖父が死ぬ前後ではなかったかと推定している。ユイスマンスの『彼方』は参考文献に挙げられているけれど、彼が教会音楽の愛好家であったことを理由にジル・ド・レを「その時代のもっとも教養ある人物の一人」とみなしたことについて、「ユイスマンスは見かけだけのばかげた結論を引き出したものなのであるがこれはなんの証明にもなるものではないのだ」と一蹴のもとに退けられている(ついでにいうと、ユイスマンスの記述はその多くをボッサール神父によるジル・ド・レ伝に依拠しており、ジルの家系についてもボッサールの誤記を踏襲してしまっているが、バタイユは史料にもとづいてこの点も修正している)。バタイユにとってあくまでジルは、子供じみた愚鈍さと残酷さとをもったまま莫大な権力と財力とを手にしてしまった「聖なる怪物」でなくてはならなかった。 山口昌男 『歴史・祝祭・神話』 (岩波書店) こうしたバタイユがえがきだすジル・ド・レ像は、彼が人類学や経済学をもとに展開した「蕩尽」の思想と関連づけて論じられることが多く、一世を風靡した文化人類学者・山口昌男の『歴史・祝祭・神話』も、バタイユの晦渋な著作をすぐれた言語感覚でいくつも邦訳した出口裕弘の『楕円の目』も、おおむねそうした解釈の域におさまっている。魅力がないわけではないが他の著作と比べても扱いにくい、というのが日本での『ジル・ド・レ裁判』の位置付けだろうか。バタイユのこの著作を大きく取り上げた論文はフランス語でも四つしかなく、そのうち一つはぼくが修士論文を書きあげたあとになってスイスの雑誌に発表されたものだったので、論文を書いていた時点で読まねばならなかった先行研究は三つ。さらにそのうち二つはバタイユの母校エコール・ナショナル・デ・シャルト(国立古文書学校)が刊行した論文集に収められた歴史学者・古文書学者によるもので、バタイユの史料の扱いが適切かどうかを検討するような些末なものだったから、どのみちあまり参考にはならなかった。 ジョルジュ・バタイユ著 伊東守男訳 『ジル・ド・レ論 悪の論理』 (二見書房) さらに言えば、ここまで『ジル・ド・レ裁判』からの引用は伊東守男が訳した『ジル・ド・レ論 悪の論理』の訳文を使ってきたが、バタイユの日本語訳が生田耕作・出口裕弘・澁澤龍彦・宮川淳・西谷修・天沢退二郎など翻訳者に恵まれてきたせいもあるけれど、あまりよい翻訳とはいいがたい。伊東は他にバタイユの小説を何冊か訳しているが、生田耕作がその訳文のわるさを腹に据えかねて同じ小説を改めて自分で訳し直したという逸話が伝わっている。訳文のよしあしを離れてもこの本は抄訳で、原著の大半を占める年表とバタイユによる史料の解説や裁判資料といった部分は、バタイユ自身の著作とはいいがたいからという理由でほとんど省略されており、代わりに伊東自身がジル・ド・レとジャンヌ・ダルクについて論じた文章を二篇も収録している。 ジル・ド・レの発言の訳ひとつとっても、伊東訳はへんに時代劇がかっていて演出過剰という感じをうける。ジルに最後まで付き添ったあやしげな錬金術師であり、恐らくは同性愛関係にもあっただろうとされるフランソワ・プレラーティとの今生の別れで発した言葉は、こんなふうに訳される。 「さらばじゃ、フランソワ、わが友よ最早この世で会うことはない。わたしは神に祈ろう、そなたに忍耐心と正しき知識と、そして天国の歓喜の内に眼の当たりにすることになるであろう神への希望を与え給うようにな。わたしのために神に祈ってくれ。わたしもそなたのために祈ろうによって」。 下手な時代劇のような台詞回しに加えて「そして天国の……」以下は関係代名詞節をそのまま直訳してしまっているので文意がつかみにくい。同じ一節を、澁澤龍彦が『異端の肖像』のなかに彼自身の訳で引用しているから比較のために引いてみよう。 「さよなら、フランソワ、われわれはもう二度とこの世で顔を合わせることはなかろう。君がいつまでも忍耐を失わずに、気を確かにもつように、わたしは神に祈ろう。いいか、何事にもよく堪え忍んで、神に希望を失わなければ、われわれは天国の大きな喜びのなかで相見ることができる。わたしのために神に祈ってくれ。わたしも君のために祈るから」。 こちらはあくまで平易な日本語になるよう心がけ、文章を分けることで関係代名詞節を日本語らしく置き換えているし、「さらばじゃ」「そなた」「によって」といった大衆演劇ふうの伊東訳より親しみやすい。伊東が「正しい知識」と訳している原語は冠詞なしのconnaissanceで、この語のもっとも基本的な訳「知識」に引きずられるあまり原文にない「正しい」を補ってしまったのだろうが、これは明らかに訳しすぎである。ここでは「気を失うperdre connaissance」とか「気がつくreprendre sa connaissance」といった用法の「気」にあたるものとみて「気を確かにもつ」とした澁澤の訳のほうが原意に近いだろう。「天国の歓喜の内に眼の当たりにすることになるであろう神への希望」も誤訳といってよい。ここで「眼の当たりにすることになるであろう」と訳されているnous verronsはその少し前で「われわれはもう二度とこの世で顔を合わせることはなかろうplus nous ne verrons en ce monde」と対応している(つまりジルは、もうこの世では会えないが天国では会えると思っているのである)のだから、これも澁澤訳の「神に希望を失わなければ、われわれは天国の大きな喜びのなかで相見ることができる」に軍配が上がる。 ぼくは別に澁澤のファンではないし、澁澤がジル・ド・レについて書いた文章ではこれより先に『黒魔術の手帖』に収められた、ユイスマンスの強い影響下に書かれた長い文章を読んでいたから、正直いって、論文を書くうえであまり参考にはならないだろうと軽く見ていた。しかし『黒魔術の手帖』刊行後にバタイユを読んで「いささか従来の認識をあらためさせられもしたので」書いたという『異端の肖像』のジル・ド・レ論は引用ひとつとっても現行の伊東訳よりはるかに正確で読みやすく、この人が『ジル・ド・レ裁判』を訳してくれていたらなぁとさえ思う。伊東守男が訳したバタイユの著作のうち『死者』には生田耕作、『青空(空の青み)』には天沢退二郎によるすぐれた訳がそれぞれあるからそちらで読めばよいが、『ジル・ド・レ論』だけは他の邦訳がないのだから。 澁澤龍彦 『異端の肖像』 (河出書房) 澁澤龍彦 『黒魔術の手帖』 (河出書房) ジョルジュ・バタイユ著 天沢退二郎訳 『青空』 (晶文社) ジョルジュ・バタイユ著 伊東守男訳 『死者/空の青み』 (二見書房) それから澁澤は、バタイユ勘どころもうまく押さえている。他の多くの論者のように人類学や経済学への関心と結びつけて事足れりとせずに、バタイユが派手好みや浪費癖、そして残虐な殺人をへて公開処刑にいたるジル・ド・レの生涯に一貫して「エキシビショニズム(誇示癖、露出症)」という性格を見て、これを一種の「演劇趣味」と呼んでいたことをしっかりと指摘しているのだ。澁澤によるバタイユの引用を、少々長くなるが、彼自身の訳文で見てみよう。 「犯罪は明らかに夜を招く。夜がなければ、犯罪は犯罪ではないだろう。しかし夜がどんなに深いとしても、夜の恐怖は太陽の輝きを渇望する。レエの殺人と同じころに行われていた古代アステカ族の犠牲には、何物かが欠けていた。アステカ族は陽光燦たる白昼、ピラミッドの頂上で殺人を行っていた。彼らには、昼の嫌悪、夜の欲望に基づく神聖化への志向が欠けていた。これに反して、犯罪のなかには、犯罪者が仮面をぬぐことを要求し、最後に彼が仮面をぬぐことによって初めてみずから楽しむところの、ある演劇的な可能性が本質的に備わっているのである。ジル・ド・レエは演劇趣味の持主だった。破廉恥な行為や告白や、涙や後悔から、彼は死刑執行の悲劇的な瞬間を引き出した。彼が処刑されるのを見に集まった群衆は、大貴族が辞を低くして泣きながら、犠牲となった子供たちの両親に乞い求めていた赦免やら悔恨やらによって、恐懼感激していたらしい。ジル・ド・レエは、その二人の共犯者よりも先に自分が処刑されることを望んだ。こうして彼は、自分の殺戮の現場に立会っていた血みどろの人物、しかも自分と肉の交渉をもったことのあるこの人物の目の前に、自分が首を絞められ、焼かれるありさまを見せびらかしたのである」。 ジル・ド・レの人生は徹底的に、こうした露出症めいた彼の性格ゆえに一個の「演劇」として演出されていたのだというのがバタイユの最大の主張である。彼にとってジャンヌ・ダルクが意味をもちえたとすればそれは唯一、自分の戦功を人びとに「見せびらかす」にあたって利用価値があるという点に限られたろう、とバタイユは考える。実際、ジル・ド・レはジャンヌ・ダルク没後、オルレアンの解放とジャンヌ・ダルクを記念しておこなわれた祭で、ジャンヌの側にあって大きな武勲を立てた自分自身を主要な登場人物とする聖史劇(ミステール)を何度も演じさせ、そのためには衣装や舞台装置などの提供を惜しまなかった。そのために彼は莫大な財産をほとんど失ってしまい、あやしげな錬金術に没頭した挙句、ついには教会へ売り渡したはずの居城を奪い返そうとして逮捕されたために行状の一切が露見して処刑されてしまうのである。いまや権力と財産をすべて失ってしまったジルが打った“生涯最後の大芝居”こそ、彼自身の処刑であり、群衆や共犯者はその観客として利用されたに過ぎない。だからバタイユは、許しを乞う彼の姿に感激して処刑を前に聖歌までうたう群衆のすがたを、あくまで皮肉っぽく描写したのだ。ジル・ド・レの処刑について触れた『ジル・ド・レ裁判』最終節「見世物(スペクタクル)としての死」の冒頭部分を、これも澁澤龍彦が引用してくれているから、彼の訳で引用しよう。 「中世においては、見世物でないような処刑は、ありえなかった。罪人の死は、当時、舞台の上の悲劇と同じ資格で、人間の生命の最も昂揚した、意味ふかい瞬間であった。(…)ジル・ド・レエは裁かれ、死刑に処せられなければならなかったがゆえに、その逮捕の瞬間から、すでに民衆の見世物になることに決まっていた。芝居のビラに呼び物が予告されているように、彼の死刑は予告されていた。中世のあらゆる罪人の処刑のなかで、ジル・ド・レエの処刑ほど、芝居風に感動的なものはなかったと思われる。同様に、その手はじめとしての彼の裁判は、あらゆる時代のもっとも感動的な、もっとも悲劇的な裁判だったであろう」。 ジル・ド・レの芝居がかった振る舞いとそれに感激する民衆=観客のすがたを、バタイユが冷ややかな視線のもとにとらえていることが訳文からもよく伝わってくる。実際、バタイユにとってあらゆる死は一種の演劇、一種のお芝居にすぎなかった。十字架上で死にゆくイエスに自分をなぞらえるイエズス会士の修行に熱烈な共感を示しながらも、バタイユはしかしそれを「演劇化」と呼び、芝居の登場人物が舞台上で死んでゆくのに感情移入する観客がしているのと同じことだとみなす。「死はある意味ではひとつの瞞着である」(『内的体験』)。だが人間は決して死を体験することはできず、だからこそ芝居だとわかってはいても、そこで得られるつかの間の「死の疑似体験」に熱狂せずにはおれない。かような「演劇」をめぐるアンビヴァレントな感情がバタイユの著作には一貫して流れており、そのもっとも顕著なあらわれが最晩年の『ジル・ド・レ裁判』だというのが、ぼくの論文のおおよその趣旨だった。 とはいえ、これだけだと澁澤龍彦の受け売りで論文をでっち上げたように思われかねないから、最後に少しだけ、修士論文のさわりを書き加えておこう。 バタイユの書くフランス語はえてして読みにくいが、ことにこの『ジル・ド・レ裁判』はほとんど不自然な、ぎこちないとしか言いようのない文章で綴られている。澁澤がそれを読みやすい日本語に置き換えた(生涯にわたって彼の盟友だった出口裕弘は少し読みやすすぎてバタイユ独自の文体を伝えきれていないのではないかと苦言を呈したらしい)のに対し、伊東守男は訳者あとがきで「本論の文体の特異性や不均衡性」を伝えるために「強いて明快平易な訳文を目指さず、なんとか原文のもつ独特な固さというか、厳しさを出そうとした」と弁解めいたことを書いている。しかし先に指摘したような訳文のまずさをいったん棚上げにすれば伊東の言うことにも分がないわけではない。先に、ぼくが論文を書いていたとき『ジル・ド・レ裁判』を取り上げた先行研究は三つしかなく、そのうち二つまでは些末な問題を扱ったもので大して役に立たなかったと書いたけれど、残る一つ、ドゥニ・オリエ「残酷劇におけるジル・ド・レの悲劇」はバタイユの論旨を的確にとらえたうえで、やはりこの本の文体がもつ異様なぎこちなさ、不自然さに着目している。オリエはバタイユ論の古典的名著『コンコルド広場の占拠』(昨年『ジョルジュ・バタイユの反建築』の題で邦訳が出た)で知られるこの分野の第一人者だから論旨をつかまえているのは当然といえば当然だが、そのうえで『ジル・ド・レ裁判』の文体について漠然とした感想にとどまらず、具体的な指摘を試みている。もっともその箇所は雑誌『アルク』初出の際には紙幅の関係で削除され、のちに復元されたものの、初出誌を定本としたらしい『バタイユの世界』所収の佐藤東洋麿による邦訳でも削られてしまっているのだが。その削られた箇所でオリエは、バタイユがこの本のなかで「恐らくsans doute」とか「~だろうpeut-être」といった推量表現を多用することで、客観的な歴史記述の文章に小説の文体をもちこみ、意図的にちぐはぐな感じを出しているのだと主張する。 そこでぼくはオリエの主張が正しいかどうか確かめるため、フランス語原文を目を皿のようにして何度も読み返し、推量表現が出てくる場所に片っ端からしるしを付けていった。すると推量表現は特定の箇所に集中して出てきていることがわかった。主にジル・ド・レの残虐さを強調すべく挿入された殺人場面の描写や、いかさま錬金術師フランソワ・プレラッティとの同性愛関係の真偽をめぐる箇所など、俗っぽい興味を引きそうな箇所でバタイユは推量表現を使い、客観的な叙述と小説ふうの描写とのあいだを半ば強引に橋渡ししているのである。そのあたりがこの本をして歴史書としてはほとんど評価されず、かといってバタイユ研究のうえでも扱いに困る奇書たらしめているのだといえよう。ことはバタイユの文章がへたくそだとか、歴史研究者として失格だとかいう次元にとどまらない。ジル・ド・レという人物の芝居がかった死をえがくためには、自分自身も芝居がかった文章を採用せねばならない。その(半ば開き直りじみた)決意表明ともとれる箇所を、ここは澁澤も引用していないから、最後に拙訳で引いておこう。 「史料からわかるのはあまりに貧弱なものにすぎないが、その貧弱な資料からわれわれは何が起こっていたのか思い浮かべなければ――少なくとも思い浮かべようとしなければ――ならないのである。(…)ド・レ卿の芝居じみた死にざまは、ぜったいに、こうした貧しい事実ばかりに帰されねばならないものなのだろうか。事実から離れて、こんなことがありえたかも知れない、というとらえがたい輝きのほうに目を向けてはいけないものだろうか?」(ガリマール版全集10巻、340頁) 今月の一冊 澁澤龍彦 『異端の肖像』 (河出書房)