第17回 写真と僕を結ぶ「すとん」のハナシ 新納 翔(にいろ・しょう) Peeling City 2017.01.09 すとんと落ちるーーー この感覚を言い表すにこれ以上ぴたりとはまる言葉はない。 最近、最寄り駅のドラッグストアにいつもかかっているBGMを耳にする度に「すとん」と山谷にいるような錯覚に陥るのだ。「気がつけば」とか「知らぬ間に」とかではなく、まさに「すとん」なのだ。 気がつくよりも早く私はすとんと過去見た山谷の景色に落ちてしまう。はっと辺りを見回し山谷ではないことを確認して、また駅へ向かう。一瞬だけ開きかかった非日常の扉から指す、懐しい光が見えたかと思う程の刹那の時間、それが「すとん」。 そのBGMは以前、山谷を撮影していた時に嫌というほど聞いたメロディーで、夕飯を買いにいつも行っていた「スーパーシマダヤ」に一年を通してしつこいくらいにかかっていたものなのである。 聴覚というものは無意識のうちに、多くの情報を我々の脳に刷り込ませているのだろう。そろそろあのドラッグストアもBGMも変えていただかないと、こちらが精神崩壊しそうである。 撮る側にとって、視覚情報よりも実は五感におけるその他の感覚のほうがより重要なファクターであることは言うまでもない。「見る」ということは写真行為においてさほど重要なことではないのかもしれない。写真を撮っている時間というのは、カメラを持たぬ間のことを指すものだと思っている私としては、非常に整合性のつく話だ。 もしくはそういう向き合い方をする時代になったとも言えよう。このデジタル化とインターネットが変えた写真の有り様はここで言うまでもなく無視することのできないものであり、よりインタラクティブな存在になりつつあるのは自明なことだ。 プロなら現場で写真の腕が急に変化するようなことはあるまい。もし作品に差が出たとすれば作家の写真に関する要因ではなく、作家自身内に包有するものの問題であろう。どう景色を切り取るか、どういった露出にするかという類のもっとその根底にある写真家自身のイデオロギーの反映こそが作品を左右するものだ。 言い換えれば、日々何に刺激を感じ、何に関心を抱くか。ゆえに写真を撮る行為を左右するのは、カメラを持たぬ時間のほうがより大きな影響力を持っているとしてもおかしな話ではないのだと思う。 昨年12月に写真家の土屋勝義さんと行った二人展「築地ラビリンス」は大変な盛況ぶりで、土屋さんはじめ改めて皆様に感謝したい。その築地であるが、何故私が築地という場所を撮り始めたのかということはよく聞かれるので今ではスラスラと答えられるが、これも「すとん」と落ちたというのが実に正しい表現なのである。 山谷が肉体労働者の街だったのはせいぜい90年代初めまでであろう。手配師が朝五時にはトラックを引き連れてやってきたのも昔の話。かつて現役の「ドヤ街」として存在した山谷は、ドキュメンタリー映画や書籍などでしか私も知らない。私がしていたことは、労働者の街としての役割を終え「福祉」の街になり、「介護」の街となった昨今、かすか残る山谷の歴史を拾っていたようなものだ。 それはそれで意義のあることだと自負しているが、人は欲張りなもので、やはり酒と暴力が蔓延していたあの無秩序な時代を生で見てみたいと思うものである。辞書にあること、映像の中のこと、確かにそれらはかつてあった事なのだろうが、体感していない私にはどうにもそれらが一致しないのである。 ある仕事でたまたま築地市場に訪れた際、なぜか急に山谷を感じたのだ。非常に不思議な感覚だった。それも私の知らない、ずっと体感したかった現役時代の山谷を垣間見た気がしたのだ。まさに「すとん」と山谷に落ちたのである。築地を撮り始めたきっかけはその感覚を信じて、その時は言語化できなかったが7年に渡って山谷を撮ってきた私にとって、ここは撮らねばならぬ場所であるということ感じたのだ。 そういえば浪人中に、自習の為に通っていた図書館でたまたま奈良原一高氏の「人間の土地」を手にした時に感じた、形容し難いあの写真というものをやらねばという使命感。これも「すとん」と写真に落ちたということなのだろうか。 こうやっていつも被写体は向こうからやってくる。 カルヴァンの予定説のように私の人生は動いているのであろうか。その真偽はともあれ、最近常々思う。 大切なのは次なにを撮るかではなく、やってくる被写体の声を聞き逃さないことなのだと。 次の記事へ 前の記事へ 『Peeling City』記事一覧 連載コラム一覧に戻る