第19回 虚偽を量産するデジタル写真の価値 新納 翔(にいろ・しょう) Peeling City 2017.04.04 コンピューターという言葉が得体のしれない神がかったオカルト的ともいえる扱いを受けた1970年代から遡ること約1世紀、写真という化学反応によって現れる画像が人々に与えた驚きは伝聞する以上のものであったことは想像に難くない。まさに写真がオカルトだった時代、写真にはそこに見える真実以上のものが、超常的ともいえる何かが人々の目に写ったことであろう。それは写真における化学反応のプロセスの曖昧さも手伝って、そこに真実が宿ることへの異を唱えることは、稀だったのではなかろうか。 写真というものは人類を超越し、それは受け入れるという以外の選択肢を持たないでいた。このことは戦後の川田喜久治、佐藤明、丹野章、東松照明、奈良原一高、細江英公という錚々たるメンバーによって構成された写真家集団「VIVO」ができるまで大きな代わりはないように思える。写真史に精通しているわけでもないので若干の憶測が入ってしまったかもしれぬが、まぁおしなべてそのような事であろう。詳細は専門家にお任せするとして、バイト代をフィルムに全て注いでいた貧乏学生だった頃、「VIVO」に憧れて貧乏から脱しようと否定の「N」を加え、知人と「VINVO(ビンボー)」を結成したのは懐しい我が黒歴史である。 さてデジタルの時代になり、ありとあらゆる曖昧さが取り除かれ、かつて写真に宿っていた超常的なものは消失した。ありていに言えばそれがいわゆる巷に流布する「フィルムの味」というものの正体だったりするわけであるが、曖昧さを失った写真には結果として何が残ったのであろうか。 信号待ちをしつつ見上げる空に光る流動体を見つけては、そんな事を平日の昼間、不審者まがいの男が間抜け面をして考えるのである。右肩に食い込む重い愛機ペンタックス645Dがそんな僕を現実へと引き戻す。 デジタル時代に残ったもの・・・それこそ禅問答のような問いであるが、曖昧さが消えた代償に人々は写真に写っているそのものへ疑心を抱くようになってしまったのは真実であろう。もちろんそこにはコンピュータ・グラフィックの進化もあろうが、写真は極めて表層的な複製手段になってしまったように思われる。「真実を写すと書いて写真」などというが、そんな時代はとうに終焉を迎えていたのである。所詮写真が真実を写すとしたらせいぜい一割ほど、極めて表層的な側面でしかないのかもしれない。 少なくとも僕には写真はまさに、虚偽を作るものだと思っている。フレームによって切り取られた写真の景色は、かつてあった景色から切り離され不連続なものとなり、周囲との関係を強制的に一切を絶たれ、時を止める。写真てのはその切り離されたものを見て読み取れなんていうものだから、僕にはどこか信用できないものに思えてしまうのである。 本来連続性を有していた景色は真でありながら、そこから与える情報は非常に不安定なものである。よくある写真週刊誌がいい例であろう。そういったことがデジタル時代に始まったわけではないが、超越的な力を失ったデジタルにおいてはそういう一面がより顕著になったと最近になって強く感じるのだ。 しかし、それをただ見ているわけにもいかない。都市を切り撮る写真家がいかに真実を伝え、残すべきか。その記録と芸術の境界線こそが、もっとも重要なところなのである。なぜ記録だけではいけないか、それは今の時代それを肯定することは写真を否定することになるからだ。もう記録だけの目的であるのなら、わざわざ写真を撮るようなことは非常に非効率的な作業でしかないからである。 ▶次の記事へ ◀前の記事へ 『Peeling City』記事一覧 連載コラム一覧に戻る