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第6回 都市の次元を奪う、破廉恥な光

新納 翔(にいろ・しょう)

2016.01.31

時既に遅しという感もあるが、豊洲新市場の様子を先日見に行ってきた。1年ちょっと築地市場で働いていた身としては予想以上に交通の便が悪く感じる。本当にこんな移転成功するのであろうか。細かい事情もあるのだろうが、環状2号線を通すことのみが目的のようにしか思えず、まさにオリンピックの犠牲という印象は拭えない。

新市場は閉鎖型の施設で食の安全を重視するというが、あのボロいネズミが走り回る築地市場でこれといった問題もなくやっていけたのだから逆になんだか不安である。実際仲卸の方に聞いた話だが、新市場のほうが衛生的に疑問だと。

 

実はここに来たのは2回目、初めて訪れたのは2005年、「新市場」と書かれた駅があるだけで道路と電柱だけが延々とのびて非常に不思議な世界だったのは印象深く記憶している。その時はただの通過者であったが、なんだか未来を垣間見た気がした。

新市場は工事関係者とランニングを楽しむ人がちらほらいるばかりで、あちらこちらから姿の見えない作業員の声が聞こえてくる。工事現場を橋の上から俯瞰して眺めてみる。一体どれほどの人が働いているのだろうか。

最近思うことがある、それは人を撮らなくなったということだ。
いや、人を撮るのに人を撮る必要がないように感じるようになったというべきか。

気のせいかもしれないが、そのほうが都市の本質に近づいているように感じる。
人もモノも都市の構成要因として等しく扱うべきなのだ。

きっとこの感覚、距離感もやがて違うものになるのだろう。
写真家の視線というものは、いつも進行形であり通過点の連続なのだろう。

今はこれくらいの塩梅が気持ちいいけど、それがいつまでも続くわけではない。
おそらく私は、よくかつての歌手がヒット曲をアレンジしてブーイングを受けるように好まれぬ写真を撮っている、そんな気がしてならない。

 そんなことを考え新市場を後にし築地方面に歩いていると、ふと眼前の景色にしばらく呆然となっていた。なんといやらしい光なのか。

 ビル群は夕日に照らされ、平面的な世界に追いやられ、1つの次元を無理やりにも剥奪されていた。あたかも女性のスカートの中に懐中電灯を入れるような破廉恥さ。

 都市をここまで辱める光、これこそがPeeling Cityの本質なのだろう。

世界中のスラム街、紛争地域、そういったものより刺激的なもの。
それは民家の壁であったり、朽ち果てて前輪のない自転車だったりするのかもしれない。
そこに行き着くまでに、どれだけの物語が忘れさられてきたのか。
私はそんなどうでもいい日常の中にこそ、都市の実態が存在していると確信している。

 

 

 

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築地0景 展覧会ページ(2015,6)

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新納 翔(にいろ・しょう)
新納 翔(にいろ・しょう) プロフィール

1982年横浜生まれ。 麻布学園卒、早稲田大学理工学部にて宇宙物理学専攻するも奈良原一高氏の作品に衝撃を受け、5年次中退、そのまま写真の道を志す。2009年より中藤毅彦氏が代表をつとめる新宿四ツ谷の自主ギャラリー「ニエプス」でメンバーとして2年間活動。以後、川崎市市民ミュージアムで講師を務めるなどしながら、消えゆく都市をテーマに東京を拠点として撮影を続け現在に至る。新潮社にて写真都市論の連載「東京デストロイ・マッピング」を持つなど、執筆活動も精力的に行なっている。写真集『PEELING CITY』を2017年ふげん社より刊行。