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2022/06/04(土)

疱瘡譚50年メモリアル
土方巽《疱瘡譚》シリーズ上映+座談会

終了しました
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土方巽「疱瘡譚」

このたび、2022年6月4日(土)に、疱瘡譚50年メモリアル・土方巽《疱瘡譚》シリーズ上映+座談会を、コミュニケーションギャラリーふげん社にて、会場とオンラインで開催いたします。

土方巽の舞踏の代表作「疱瘡譚」の公演から50年となる今年、土方巽アスベスト館の企画、NPO法人舞踏創造資源の主催で、記録映像《疱瘡譚》のシリーズ上映が実施されています。土方に所縁のある都内各地と横浜で上映が予定されている中、土方が活動の拠点とした「アスベスト館」の跡地からほど近いふげん社でも開催される運びとなりました。

《疱瘡譚》上映後は、舞踏創造資源の森下さんに司会をしていただき座談会を開催。土方とともに舞台に出演されていた小林嵯峨さんを交えて、お話を伺います。当日ご参加の皆様も、お気軽にお話に加わっていただけますと幸いです。

ご予約は、「ふげん社オンラインストア」よりチケットをご購入くださいませ。オンラインチケットにはアーカイブ視聴期間もございます。

詳しくは下記「お申し込み方法」をご確認ください。

以下、フライヤーより引用

◉「疱瘡譚」から50年

2022年は土方巽の舞踏の代表作「疱瘡譚」の公演から50年です。アートシアター新宿文化での舞踏公演〈四季のための二十七晩〉(1972年10月〜11月)から半世紀ということになります。そこで、本年は「疱瘡譚」の舞台の記録映像《疱瘡譚》の連続上映を実施することとなりました。コロナから疱瘡へと遡及しつつ、半世紀前の土方巽の舞踏に立ち帰ることになります。

◉焼け跡の彷徨

土方巽は1948年の初上京時には、高輪のお寺の屋根裏部屋に下宿します。その後は、焼け跡の東京を転々とします。こうして、土方巽の1950年台は野犬のごとき彷徨の日々、時に「美貌の青空」を仰ぎ見つつ、麻布三之橋のドヤ(簡易宿泊所)をはじめ、友人・知人のアパートやダンススタジオなどに潜り込みます。そして行き着くのがアスベスト館でした。

◉「疱瘡譚」と《疱瘡譚》

1968年の「肉体の叛乱」から4年、土方巽は舞踏の舞台に帰ってきます。この4年に何があったのか。第2の舞踏宣言とともに、この年1972年にあらためてダンスの革命が始まります。その最初の舞踏作品「疱瘡譚」を16ミリで撮影した《疱瘡譚》は、土方巽出演の舞踏の舞台のうち、完全な形で残された唯一の映像記録で、20世紀のダンス史に燦然と輝いています。

〈四季のための二十七晩〉チラシ(土方巽と阿部定)

■開催概要

疱瘡譚50年メモリアル
土方巽《疱瘡譚》シリーズ上映+座談

企画/土方巽アスベスト館
主催/特定非営利活動法人舞踏創造資源

日時:2022年6月4日(土)19:30開演(19:00開場)
《疱瘡譚》上映(約70分)+座談会(約30〜45分)

参加費:1000円

会場:コミュニケーションギャラリーふげん社
〒153-0064 東京都目黒区下目黒5-3-12
TEL:03-6264-3665 MAIL:info@fugensha.jp

アクセス:
JR目黒駅 西口より東急バス(黒01 黒02 黒07)「元競馬場前」下車 徒歩1分
東横線 祐天寺駅より東急バス(黒06)「元競馬場前」下車 徒歩1分
東横線 中目黒駅より東急バス(黒09)「大鳥神社前」下車 徒歩6分
JR目黒駅より徒歩15分

※会場は3階ギャラリーです。19:30まで、1階カフェの営業も延長いたしますので、お待ち合わせにご利用ください。(通常は18:00までの営業)

■ゲストプロフィール

小林嵯峨 Saga Kobayashi

1969年に土方巽に師事し、1975年まで土方巽燔犠大踏鑑に在籍して、『四季のための二十七晩』(1972年アートシアター新宿文化)、『静かな家』(1973年西武劇場)、『夏の嵐』((1973年京都大学西部講堂)などに出演。その後独立し、独自の身体表現をめざす。1983年にJapan Festivalに芦川羊子とともに参加しヨーロッパ6カ国を巡演。1988年に小林嵯峨+鵟NOSURIを結成。『月姫–Gekki・無意識の花』(1998年シアター・トラム)、
土方巽没後30年『翻案・犬の静脈に嫉妬することから』(2016年d-倉庫)、『てんでんこ』(2021年第Q藝術)を公演。2019年にはメキシコとノルウェーに招聘され公演とワークショップを実施。

■お申し込み方法

※会場観覧はおかげさまで満席となりました。【オンライン配信】は引き続きご利用いただけます。

会場観覧席をキャンセル待ちの方は、下記までメールでお申し込みください。(2022/5/29現在)

→ fugensha.store@gmail.com (「件名:土方巽キャンセル待ち」お名前・電話番号・人数をご明記ください。)

 

会場観覧、オンライン配信(アーカイブ有)ともに、チケット購入制です。
参加費:1,000円

チケットは下記オンラインストアよりお求めください。
https://fugensha-shop.stores.jp/

◉会場観覧チケットのご購入はこちら ←満員御礼(2022/5/29)

◉オンライン配信チケットのご購入はこちら

・オンライン配信は、6月7日(火)までアーカイブをご視聴いただけます。

・オンラインストアからチケットを購入していただくことが難しい場合は、銀行振込や店頭支払いなどで対応させていただくことも可能です。
お気軽にふげん社(TEL:03-6264-3665 Mail:fugensha.store@gmail.com)までご連絡ください。

・会場観覧チケットをキャンセルされる場合は、開催日の2日前までにふげん社にご連絡ください。それ以降のキャンセルにつきましては、ご返金致しかねますのであらかじめご了承ください。

■目黒区下目黒(現・中町)にあった「アスベスト館」のこと

津田信敏近代舞踊学校/アスベスト館(1959・目黒)

土方巽はアルス・ノーヴァを出て、ついに目黒の津田信敏近代舞踊学校(津田舞踊塾)を訪れる。この年の早い時期であろうか。ここで津田信敏の妻である元藤燁子との運命の出会いがあった。二人にとってだけではなく、「舞踏」生成に及ぶ歴史的な出来事である。津田舞踊塾にいた若松美黄の薦めがあり、師となった津田の支援もあって《全日本芸術舞踊協会・第6回新人舞踊公演》(5月)に〈禁色〉を出品する。これが後世、舞踏の最初の作品とされる。協会内で物議をかもしたこの作品のことを三島由紀夫が聞きつけ、津田舞踊塾に来て〈禁色〉と若松の〈黒点〉のリハーサルを取材する。三島の絶賛をバネに、土方は“DANCE EXPERIENCEの会”をもって前衛と実験を旗印に疾風怒濤の活動を開始する。なお、この稽古場がアスベスト館の名で呼ばれるのは、津田がこのスタジオを去り土方の専用の稽古場となった1962年である。

(フライヤーより引用)