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第20回 フロイトと虚偽の中の真実の私

新納 翔(にいろ・しょう)

2017.05.17

 写真について語る時もそうだが、元来人というものは自分を着飾ることはよくあることである。そうしていると一体何が真実で、何が虚偽なのか自分でも分からなくなってしまうことは誰しもが経験したところではなかろうか。

 

--夢は現実の投影であり、現実は夢の投影である  (ジークムント・フロイト)

 

 

今朝の夢
虚偽の中の真実の私

 何らかの取材帰り、機材の入ったカメラバッグをかかえながら一目に怪しい雑居ビルにふと足を運ぶ。アジア圏の都心部だろうか、そこは知識がなくても肌が入ってはいけないと教えてくれる場所だ。

 ちょうど香港のチョンキンマンション(重慶大厦)のような感じといおうか。いや、もっともっと深い闇が立ち込めている得体の知れない危機感が私を覆う。

横浜生まれの私は思い出す。かつて子供の頃、日本三大ドヤ街の一つ「寿街」にはやはりそんな見えないカーテンがあった。

 夢の中にあった雑居ビルのある区域は、そのビルを中心に狭い路地が四方八方にのび、得体の知れない店が並んでいる。その路地を観察しながら歩いていくと、たまに欧米圏の人や日本人もいる。欧米圏のカップルは、談笑しながらも時折周囲に鋭い警戒の視線を送っている。男性の顔は酷く殴られたようで痛々しい。
 雑居ビルに入る前に少しでも情報を仕入れておこうとすると、狭い路地で日本語ができる男性と出会う。聞くにここでは人が消えるのだという。人が消える街・・・。最近話題になっている日本人の失踪もこの街が原因なのだと彼は語る。軒を連ねる薄汚い店は仮の姿で、何も知らず入ってきた観光客を消してはすぐに店を潰してしまうらしい。ほら、と居抜き工事中の店を指差す。まるで達磨の都市伝説のようだ。

 人が消える街、そう聞いて雑居ビルに入ることにする。危険が背中を押す。どうにもビルは2階までしかなく、1階は消えかかった蛍光灯が点滅し緑色の薄明かりの中、ホームレスの人がうろうろしている。段ボールから頭だけ出して行き交う子どもたちを悲しげに見ているのはなぜかモーガン・フリーマン本人。

 あとは名産なのかお茶っ葉を買う人、風俗店らしき店、まぁ大久保に行けばありそうな怪しげな店が並んでいる。

 2階もさして変わらないが幾分清潔感がある。まずは知ること、カメラは出さない。言葉は通じないが、向こうも別段これといって敵意というもの発しているわけではなさそうだ。

 2階をひとしきり見ると、奥まったところにいかにも開けてはならぬ半透明の扉を見つける。紗がかかったそのドアの向こうには老婆がいるのがなんとなく見える。ここを避けては通れまいと、飲食店だと間違えたような体でドアを開けた。

老婆はとっさに顔の前で手を振る。ただそれは帰れの意味ではなく、言葉が通じないから書くものを取ってくるという意味だった。差し出された紙に「食事 店」とうそぶいた事をかくと顔を横にふる老婆。気がつくと、散らかった部屋の中で5、6歳くらいであろうか、男の子が布団にくるまっている。

 ここはおそらく老婆の家らしく、ドアを開けたところから見る限り奥にもう何部屋かありそうな様子である。筆談を数回往復するも埒が明かなそうなので礼を告げて部屋から出ようとすると、急に老婆が何か言いたげな目をしながら話しかけてくる。

 言葉が通じない以上どうすることもできないが、確実にその目はなにかを訴えようとしていた。瞳の奥に何か大事なことを抱えているのが伝わってきた。しかしこれ以上の長居は無用、後ろ髪を引かれる思いで1階に戻る。

 モーガン・フリーマンに話しかけてみると写真は撮らせてくれそうだ。とてもいい顔をしている。

 ようやくカメラを出す時だと、一旦雑居ビルから出て機材を取り出そうとする。ところが、なぜだか取材帰りだからか鞄に入っていたのは400ミリの馬鹿でかい望遠レンズがついた見たこともないメーカーのカメラなのである。これでは撮れない。他に入っているのはペンタックスのボディにキヤノンのレンズ数本、これでは何も撮れない。唯一撮れそうなのは最後の1枚になったチェキだけだ。しかし何故か私はどこから現れたのか、乃木坂46の生駒ちゃんを撮影してしまう。ちなみにファンでもなんでも無い、そこで夢は終わった。

 人が消える街、そんな街がどこかにあるのか分からないが、細部はともかく私が実際にそういう場所に出くわしたらきっとこういう行動にでるのだと思う。写真家は皆撮影方法も違えば距離の取り方も違う。山谷を撮り始めた時なんぞ、どう中に入っていくかえらく試行錯誤したものだ。夢と違ってやり直しはきかない。きっと何かを訴えかけてきた老婆は、現実私が求めている被写体なのかもしれない。「夢は現実の投影であり、現実は夢の投影である」とフロイトが残したように、この夢では普段言語化できなかったものが詰まっているようだ。

 いや、きっと山谷や築地のように理由なく「撮るべき」と確信できるものがどこか今近くに存在していることを示唆しているのかもしれない。

 

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新納 翔(にいろ・しょう)
新納 翔(にいろ・しょう) プロフィール

1982年横浜生まれ。 麻布学園卒、早稲田大学理工学部にて宇宙物理学専攻するも奈良原一高氏の作品に衝撃を受け、5年次中退、そのまま写真の道を志す。2009年より中藤毅彦氏が代表をつとめる新宿四ツ谷の自主ギャラリー「ニエプス」でメンバーとして2年間活動。以後、川崎市市民ミュージアムで講師を務めるなどしながら、消えゆく都市をテーマに東京を拠点として撮影を続け現在に至る。新潮社にて写真都市論の連載「東京デストロイ・マッピング」を持つなど、執筆活動も精力的に行なっている。写真集『PEELING CITY』を2017年ふげん社より刊行。