第16回 デジタル時代が引き起こす、絵画への回帰現象 新納 翔(にいろ・しょう) Peeling City 2016.12.02 早いものでもう12月、6日から始まる土屋勝義氏との二人展「築地ラビリンス」まであと数えるばかりだ。いつもながら尻に火がつかないとスイッチが切り替わらない性分なので、今くらいが一番写真展に向き合っている時期なのかもしれない。 自分でいうのもなんだが、切羽詰まると超効率的に動くのでさながら千手観音の如しである。と、タイピングしながらヨーグルトと牛乳に浸ったシリアルを流し込み、乾燥した顔に保湿クリームを塗る。阿修羅のごとく塗ったらどうにも酸っぱいようなニオイがするので引き出しから取り出して見てみると、木工用ボンドとある。やはり人というものの根幹は変わらないようだ。 ボンドといえば、かの必殺仕事人スペシャル版の頓珍漢な話を思い出す。藤田まこと扮する中村主水一行が月夜のなか利根川を下っているとどういうわけだが西部開拓時代のアメリカにタイムスリップし、インディアンの村を襲う騎兵隊と闘うというものだ。 それで中村主水がアメリカ人に英語で貴様は誰だ?と聞かれ、「アイ アム ジェームズ・ボンド、ははは」などと答えるシーンがあるのだが、時代劇どころか寸劇でしかない。どなたが脚本を書かれたかは分からないが、この破茶目茶ぶりこそが必殺仕事人の人気に通じる所があるのだろう。 写真のような現実を見つめるものと違って、ある意味現実逃避の場としての側面もテレビや映像が担うものだと考えているので、少しくらい辻褄が合わない方が良いのだ。現実世界では辻褄が合わないと物理的にも道理的にもそれ以上話が進まない。 いわゆる写真の持つ記録性がゆえに生じるリアリズム、どちらかと言えば私も土門拳の言う「絶対非演出」の考えの方であった。街を撮っていても被写体を探すのではなく、被写体からやってくるという考えもあって、肩越しに見えた素晴らしい景色もすれ違ってしまった以上踵を返して撮りに後ずさりすることはしない。下らないことかもしれないが、そこで撮るのはしごく自分の理に反するのだ。 しかしデジタル時代に浸かって10年、考え方も大いに変化した。私がデジタルにスイッチしたのはキヤノン10Dの中古が出始めた頃である。当時ミノルタを使っていた私は、キヤノンにシフトする為にミノルタのシステムを全て中野で売却しどうにか資金を工面した。酷使したα9よりα9000の方に高値がついたのは今でもよく覚えている。先見の明があればミノルタのままで良かったのかもしれないが、貧乏学生にはいざしかたない選択だった。 おそらく自分らの世代がちょうど現場でもフィルムとデジタルのボーダーなのかもしれない。私とて今年34であるが、仕事を始めた頃はポラを切って色確認をしたり、フラッシュの色温度を調節するためにゼラチンフィルターをかけたりしていた。独学なので胸を張って言えることでもないが、それでも現像があがるまでちゃんと写っているかドキドキしたものである。 今や広告写真の多くはCGが使われている。デジタルカメラなどは製品が出来上がってから撮影したのでは間に合わない時代になり、デザインからCGで画像を作ってパンフレット等を製作している。こうなってくると写真に対する考えも変わってくる。 先の必殺仕事人の話ではないが、写真だって多少辻褄が合わなくても仮に自分の意図が反映されるのであれば、Photoshopで加工することに関しては寛容になってきた。ゴミに見えるくらいの小さな鳥なら消してしまえばいい。邪魔な看板があれば消してしまえばいい。 写真というものの存在意義が変化していることに間違いはない。必ずしも現実ありのままの姿を提示する時代はとうに終わったのだ。グルスキーのライン川もそうだが、これからの写真家は己の意志を反映させるために景色を作る作業も必然なのだと思う。幸か不幸か私にそれほどまでのPhotoshopの技術がないので必要最低限しか出来ないが、写真家が景色を切り取る時代から景色を作る時代になったのではなかろうか。 19世紀にカメラ・オブスキュラが発明され一部の画家たちが写真にシフトしたように、21世紀の今まさにその逆転現象が起き始めているのかもしれない。だとしたらその先に待っているものは過去にこそ答えがあるのだろう。 次の記事へ 前の記事へ 『Peeling City』記事一覧 連載コラム一覧に戻る