私の国第2章 Beatrix Fife “Bix” THE LAND (日本語) 2019.11.13 ある土地を離れたのちに、その土地の美しい思い出を心にずっととどめる人もいれば、そこに住み始める前から、何か美しいイメージを思い描く人もいる。その両方を体験する人もいるけれど、逆にどちらにも縁のない人もいる。 育った場所のことを、私は今でも夢見るし、そこに帰りたいと思う。その美しいイメージは、今も私の心の内にある。着いたばかりのその国のことは、実際に来る前からすでに美しいイメージを抱いていた。山々、海、親切な人々。本当に素晴らしいところなのだと誰もが言うし、私自身もそう思っている。 こちらに着いたのは2、3週間ほど前のことだが、もう冬になってしまった。秋は短く、寒いけれど、紅葉と黄葉が見事だった。今は樹々の葉はすっかり落ちている。雪が降り、どんよりと暗い。周囲の人々はみんな、私が家で話すのと同じ言葉を使っている。 でも、違いがあることに気がついた。ものの見方や、言葉のリズム、そして話す話題が違うのだ。みんなはもっとゆっくりしゃべるし、私とは別の視点から話をしている。どこの出身かとか、そこは小さな町なのか、大きな都市なのか、海の近くか、それとも山あいなのか、ふだんは何をしているのか、好きなものは何か、といった話だ。私が何かを話すと、理解はしてくれているようだけれど、でも、なぜそんなことを言うのかはわからないらしい。ほかの人たちの話すことは、私には何かほかのことを意味しているように聞こえるし、こちらが話すことは多分、みんなには何か別のことを意味しているように聞こえるのだろう。一つの言葉に対して人々が抱くイメージと、私がもつイメージは異なっているようだ。みんなが一つの文ともう一つの文の間に長い沈黙をとることに、なかなかなじめない。それに誰もほとんど冗談を言わないのだ。 少しずつ、私の世界と彼らの世界は違うのだということがわかってくる。同じ言葉を使っていてもだ。ほかの国で育ったけれど、それでもやはりこの国の人間なのだとみんなに言ってみる。すると、みんなは私を不思議そうに見つめて、こんなことを言う。 「あなたの出身地がどこなのか、わからないわ」 「君は違うよ」 「外国のアクセントがあるし、異国の名前じゃないか」 以前に住んでいた国の友人たちが恋しくなり始める。これまでしていたことができなくなって寂しく思う。これまでいた場所で馴染んできた笑い声や本、音、おしゃべり、食べもの、リズム、そしてメロディーが懐かしくてたまらない。 部屋のカーペットの上にあぐらを組んで座り、これまで住んでいた国からもってきた小さな品々や写真を飾って小さな祭壇をつくる。ひどく疲れていて、体を動かすのもおっくうだし、すごく重苦しい気分だ。床に横になって、過去の思い出を飾った祭壇を横から見つめる。私はもうすぐ18歳になる。窓の外を見ると、昼なのに暗く、降り注ぐ真っ白な雪が何もかもを真綿のような深い沈黙へと沈ませている。 そのときの私の気持ちを表現する言葉は見当たらない。窓の外の光は青い。私の部屋のカーペットも青い。私の気分もブルーだ。「憂鬱」と呼ばれる感情だった。 それから数年後、自分の感情を表現し始めることができるようになったときに描いた絵。油彩、パステル・紙 27×24 cm 来月に続く