Columns

第2回 傍観者のエチカ

吉田 隼人(よしだ・はやと)

2016.03.02

水に卵うむ蜉蝣(かげろふ)よわれにまだ惡なさむための半生がある
――塚本邦雄『装飾樂句(カデンツァ)』

 

 

くだらない話から始めよう。くだらない話だ。その朝、ぼくたちの高等学校はどの教室を覗いても騒然として、だれも声高に語りもしないが、かといって黙ってもいられないというような、声にならないざわめきに満たされていた。そしてざわめきの原因が、その日が最終日に当たっている定期考査とは何のかかわりもないというのが、なおのことくだらないと言えば、くだらなかった。職員室には日ごろ体育館や武道場でしか見かけない体育教師たちまでがすし詰めになって、大勢集まったところでどうかなるでもない問題について、どうにもならないまま会議を続けていた。教頭の声でおごそかに「考査の前に全校集会を開きます、全校生徒は第一体育館に集合してください」という放送があって、しばらくすると「やはり全校集会は考査日程終了後に行います、教室に戻ってください」と放送された。例によって統一性なくだらだらと体育館に詰めかけた生徒の群れは、相変わらず文字にならないざわめきを伴って各々の教室へと戻っていく。そうして行われた考査で思わしい答案が書けるはずもなく、ぼくは得意科目の漢文で稼いでおくべき点数をずいぶん損してしまった。

 

考査が終わり、全校集会が終わった。全校集会で語られたことは、ぼくたちの誰もが昨夜から今朝にかけてのニュース番組で既に知っていたことばかりだった。校門のところにマスコミが詰めかけているから不用意な発言はせず、また混雑などに気を付けるように、という注意で集会は締め括られた。混雑に巻き込まれたくなかったから、何か用事でもあるようなふりをして体育館の隅をうろうろして時間を潰していると、担任の女性教師が話し掛けてきた。

 

――彼女とは仲が良かったようだけど、大丈夫?

――ええ、別に、ことさら仲が良かったというわけでもないので……

――でも、同じ部活だったでしょう。

――オカルト研究会ですか、あれは開店休業ですから。

――そう……。まあ、何かあったら私でも、カウンセラーの先生にでも……

――彼女のメインは化学部で、ぼくは新聞部だったので。じゃあ、失礼します。

 

まだ何か言いたげな教師をさえぎり、校門へ向かった。そろそろ混雑も落ち着いてきたようだった。

 

そろそろ勿体ぶるのはよそう。朝から、あるいは昨夜から続いているざわめきの原因は、ぼくたちの高等学校から逮捕者が出たことだった。「彼女」は僕と同じ一年六組に在籍し、理数系の科目、とりわけ化学では、県下でいちばんの進学校とされるこの学校でもトップクラスの成績を収め、教師でも対応に困るような大学生レベルの質問を発することがたびたびあった。それとちょうど真逆の、文系科目はできても理数系ではすでに落伍しかかっているようなぼくが「彼女」と接点をもったのは、教師の言うように同じオカルト研究会に籍だけ置いていたからと、もうひとつ、学区内でもとりわけ田舎とされる地域から、半年定期を買うと八万円もする第三セクターのローカル線でこの学校に通ってきている数少ない生徒どうしだからだった。ぼくたちの町は、なかなかの田舎だから動物や虫がたくさんいる。そういう地域から通ってくる、理数系の成績が抜群で、周りとほとんど交際しない「彼女」は、口さがない女子生徒たちから、化学部のつてで劇薬を手に入れて個人的に動物実験を繰り返しているとか、部屋には鳥や蛇、魚などをホルマリン漬けにした瓶が並んでいるとかいった噂を立てられていたが、それがどうも噂ではなく事実らしいというのも、ぼくは早くから知っていた。そのころ流行りはじめていたブログで、彼女らしき人物が男言葉で、固有名詞は伏せつつもそうした「実験」のようすを淡々と記録しているのも目にしていた。しかしそのぼくでも流石に「彼女」の最大の実験対象が実の母親であることまでは知らなかった。「彼女」が実験と称して母親に劇物のタリウムを少量ずつ投与し続け、ついに人事不省の状態にまで到らしめたことが知れて、昨夜、殺人未遂の容疑で「彼女」は逮捕されたのである。

 

――僕の演じることが出来るのはただ一つの役だけです。そう、観客。傍観者。群にそれた羊……(8月23日のブログ)

――ホルマリン漬けではなくて、出来るだけ色が残せるように酒石酸アンモチンカリウム中毒にさせたいです。少しずつ食事に混ぜてね。そうすれば2、3年は常温でも持ちますから。(8月24日の書き込み)

――寝ても起きても気持ち悪いし、指先とか脚とかが痺れてきたので、解毒剤を作りました。タリウムの治療はプルシアンブルーと塩化カリウムの経口投与によって行われます。(8月24日のブログ)

――今日の朝、先生に筆記用具を借りた。其の時泣きながら母の話をして、同情を得た。人って案外簡単に騙されるものなんだと思った。(10月11日のブログ)

 

傍観者を演じ続けるとはどういうことなのだろう。「彼女」はひたすら冷静であろうとした。対象に何の感情も差し挟まず薬品を投与し続け、その影響を理解する「傍観者」であろうとし続けた。ユダヤ人社会から破門され、一生をレンズ磨きに費やした理性の哲学者スピノザは言う。「余は人間の諸行動を笑はず、歎かず、呪詛もせず、たヾ理解することにひたすら力めた」『国家論』)。この『倫理学(エチカ)』の哲学者の教えを遵守するかのように「彼女」もまた、笑いも、泣きも、恐らくは呪いもせず、劇薬を少しずつ食事に混ぜて投与することで自分の母親がどう変化するか、ただ理解することにつとめたのだ。だとしたら倫理とは何なのだろう。ニーチェはスピノザのこの一節をとらえて、笑いも嘆きも呪いもしない「理解」などというものがあり得るのだろうか、と『喜ばしき知恵』に書きつけた。人間の諸行動を笑わず、歎かず、呪詛もせず、ただ理解すること。それを仮に、どこまでも理性的で冷静な観察者を演じ続けることを自らに課した「傍観者」のエチカと呼ぶことができるとすれば、それはどうしようもなく非人間的な、反倫理的な所業に至るのではないか。スピノザの著書にはこんな言葉もある。「人間は動物が人間に対して有する権利よりはるかに大なる権利を動物に対して有するのである」(『エチカ』第四部)。

 

考査期間中は下校時間が早い。校門を出ると、正午前のけだるい日射しが曇天の向こうからとろとろと陰気な東北の地方都市に流れている。昨日も似たような天気だった。この毎日たいして変わり映えもしない曇天のもと、昨日、ぼくは最寄り駅で電車を降り、家までひたすら田んぼのあぜ道を歩いていて、「彼女」を見かけたのだった。思えばそれは逮捕される前の最後の姿だったのかも知れない。「彼女」は蛇だか、蛙だか、なにか小動物を追い掛けて、道端にかばんを置いて、制服のままあぜ道を駆けぬけ、背の高い雑草の向こうに消えていった。その光景を何度もまぶたの裏で反芻しながら、もう違う世界へと消えていってしまった「彼女」と、これからもうだつの上がらない地味な一生徒として、惰性で高等学校に通い続けるであろうぼくとの間にできてしまった大きな溝のことを思い、不合理な感情とは知りつつも「彼女」に対してぼくは嫉妬をおぼえた。この、あまりに不合理な嫉妬の感情が気になって、ぼくはスピノザが嫉妬に対してどんな定義を下しているか、文庫本の頁を繰ってみた。「愛する女が他人に身を委せることを表象する人は、自分の衝動が阻害されるゆえに悲しむばかりでなく、また愛するものの表象像を他人の恥部および分泌液と結合せざるをえないがゆえに愛するものを厭うであろう」(『エチカ』第三部)。

 

この、およそ何の役にも立たない即物的な定義を久々に読み返したことで、ぼくは「彼女」のことを思い出し、事件について改めて調べてみた。「彼女」に関するたくさんのサイトが出てきた。しかしどのサイトも、その事件は東北ではなく静岡で起こったと伝えている。旧友や旧師に連絡をとって確認してみたが、ぼくたちの高等学校にも「彼女」に相当する生徒はいなかったという結論が出た。だとしたら、あの日、曇天のもとで雑草の向こうへ消えていったあの背中はいったい何だったのだろう。スピノザの文庫本だけがいくらか色褪せつつもあの日と変わらぬ姿で、ぼくの手許に残っている。

スピノザ
エチカ 倫理学
(岩波文庫)

吉田 隼人(よしだ・はやと)
吉田 隼人(よしだ・はやと) プロフィール

1989年4月25日、福島県伊達郡保原町(現在の伊達市)に生まれる。
町立の小中学校、県立福島高校を経て、2012年3月に早稲田大学文化構想学部(表象・メディア論系)卒業。

2014年3月、早稲田大学大学院文学研究科(フランス語フランス文学コース)修士課程を修了。修士論文「ジョルジュ・バタイユにおけるテクストの演劇的=パロディ的位相」。現在は博士後期課程に在学。

中学時代より独学で作歌を始め、2006年に福島県文学賞(青少年・短歌の部/俳句の部)、2007年に全国高校文芸コンクール優秀賞(短歌の部)をそれぞれ受賞。

2008年、大学進学と同時に早稲田短歌会に入会。「早稲田短歌」「率」などに作品や評論を発表。

2012年、「砂糖と亡霊」50首で第58回角川短歌賞候補。

2013年に「忘却のための試論」50首で第59回角川短歌賞を受賞。早稲田短歌会ほかを経て、現在無所属。
「現代詩手帖」2014年1月号から2015年12月号まで短歌時評を連載。「コミュニケーションギャラリー ふげん社」ホームページに2014年11月からエッセイ「書物への旅」を連載。

2015年12月、歌集「忘却のための試論」を書肆侃々房より刊行。2016年、同著で3月に2015年度小野梓記念芸術賞受賞、4月に第60回現代歌人協会賞を受賞。