第10回 かるてしうす異聞 ――Une vie imaginaire de René Descartes 吉田 隼人(よしだ・はやと) 書物への旅(第1期) 2015.09.02 かるてしうすには娘があつた。名をふらんしいぬと云ふ。ふらんしいぬはふらんそわあずの異称である。そしてふらんそわあずとは幼年のみぎり、かるてしうすが想ひを寄せたる少女の名であつた。その少女はいささか藪にらみの眼をしてゐた、とのちにかれは書きのこすことになるが、ふらんしいぬもやはり幾ぶんか黒目と黒目とがはなれた面だちをしてをつた。 ふらんしいぬの母親はへれなである。へれなは身分いやしき婢(はしため)であつた。かるてしうすはこの女を生涯、正式にめとることはなく、また世のつねの親よりなほ深い愛情を注いでゐながらしかし、ふらんしいぬを嫡子とみとめることをしなかつた。そのうち為事のためとほく旅に出たかるてしうすの不在中に、ふらんしいぬは熱病に罹つて死んで了つた。五つになるかならぬかの年頃であつた。 死んではじめて、かるてしうすに不義の子のあつたことが世に知れた。かねてよりかるてしうすを目の敵にしてゐた学僧らは好機とばかりその不倫を責めた。わたしとて人間だ、それにわたしも若かつた、と居直つたかるてしうすはしかし、かなしみを一層ふかくした筈である。 それより幾とせものちのこと、かるてしうすは北の国の女王に招かれて、教師として海をわたつた。生来からだが弱く、冬ともなれば朝寝の癖が一段とひどくなるかれはずいぶん躊躇したのだが、立派な軍艦まで差し向けられてはこのうへ、断るすべは残されてゐなかつた。荷物をとりまとめ、かるてしうすは船上の人となつた。 しかし船旅は苛烈をきはめた。かるてしうすの病躯に船の酔ひが堪へることひとしほであつたらうことは想像に難くない。のみならず、稀にみる荒天つづきには船長までがお手上げといつた次第であつた。 その船長が、客人の身を気遣つてのことだらう、かるてしうすの室をたづねた。かれのひとり部屋からはしばしば声が漏れ聞こえ、それがなほのこと船長の心配をふかめた。船長は返事をまたず、室の扉をひらいた。 かるてしうすのほかに、いまひとつ人影があつた。ふらんしいぬ、と呼びかけらるると、その影は不思議なうごきをした。まづ人のするうごきとは思はれぬ。ややあつて船長は、それがおおとまたと呼ばれる、機械仕掛の人形だといふことを理解した。かるてしうすのかたはらには、ちやうど人形の収まる大きさの行李がひらかれてゐた。 幾ぶんか藪にらみの面だちに造られたその人形こそ、年を経て成長した娘ふらんしいぬの姿であつた。少なくとも、かつて逆縁をおほいに嘆いた父親かるてしうす一人にとつてみれば。 さうしたかるてしうすの姿が、船長には当然のごとく、人と物とのあやめもわかたぬ半狂人とみえ、また迷信ぶかき海の男にとつては、かやうな無気味のものこそ船旅を困難ならしむる荒天の元凶、悪魔の化身とおもはれた。わが娘、と人形の裾にとりすがるもむなしく、かるてしうすの痩せ衰へた躯は屈強な船員どもにはね退けられ、人形のふらんしいぬは別段かなしみの色をうかべるでもなく、双の眼をうつろに見開いた儘、荒れくるひ渦をまく海原へと投ぜられたのであつた。 しかるのち、荒天が鎮まつたか否かは文献に明らかならねども、とまれ、かるてしうすは北の国に到つた。せはしない女王のために朝寝もゆるされず、夜明け前からの御進講を来る日も来る日も所望されるものだから、一年も経たぬうちに寒気に蝕まれ、風邪をこじらせて呆気なく死んで了つた。未だ五十四にも届かぬ齢であつたと伝はる。 ……このかるてしうすこそが世に名高き近代哲学の父ルネ・デカルトその人であるのだが、一生かかつても読みきれぬほど書かれたかれについての書物のいづれを覗いても、このふらんしいぬ人形をめぐる事の次第について、これ以上くはしい事は何も知られない。 こんな戯文を綴ってみたのは、もともとデカルトの、ことにこの逸話に関心があったせいもあるが、それ以上にこうした逸話をひとつ軸にしてある人物の伝記をごく短く、一筆書き風に書きあげるというマルセル・シュオッブの掌篇集「架空の伝記」、特に哲学者ルクレティウスを「詩人」として描き切った一篇に触発されたのが大きい。 『偏愛文学館』(講談社)でこの作品を取り上げた倉橋由美子が「入手困難、というより不可能といった方がいい本」「珍しい本屋から出た珍しい本なので、読んでいるうちに、このマルセル・シュオブも訳者も実は架空の人物で、誰かがこんな本があったということにして本の中身まで全部創作したのではないか」とまで評した通り、南柯書房から大濱甫訳で出た『架空の伝記』は古書店でも入手困難、大学図書館にも収蔵されていなかった。それがこの夏、国書刊行会から刊行されてごく一部で話題を読んだ一巻本の『マルセル・シュオッブ全集』(※1)で――値段も高いし造本も豪華なので気軽にというわけにはいかないが――ともかく読めるようになったのである。これだけ海外文学ファンや幻想文学ファンの界隈でお祭りになった後となってはいささか気も引けるが、訳者の一人に大学院での指導教員が名を連ねているからというわけでなく、僕も一読書人として心からこの『マルセル・シュオッブ全集』をお薦めしておきたいと思う。 ※1 マルセル・シュオッブ全集(国書刊行会) それで、デカルトである。僕がこの哲学者の名前をはっきり認識したのは中学三年生のとき、深夜に放送されていた「ウルトラQ ~dark fantasy~」という特撮ドラマのなかの一話「ヒトガタ」でのことだった。これが鬼才・実相寺昭雄監督の晩年の作品であり、実相寺と相性の良かった作家・江戸川乱歩の『人でなしの恋』を踏まえた脚本だったというような事情は大人になってから知ったことで、十五歳の僕はただただ強烈な美学が支配する物語に打ちのめされただけだった。人間の「想い」を吸い取ってエネルギーに変換し、どんどん巨大化していく無気味な球体関節人形をめぐるこの耽美的な30分ドラマに、いかにも衒学的で、人によっては鼻につくような彩りを加えていたのが「フランシーヌ人形」の逸話をもつ哲学者デカルトだったのである。 実相寺作品の常連俳優・堀内正美が演じる主人公はかつてデカルト研究で名声を得た哲学者で、今はすべてが虚しくなって古ぼけた家に「何も考えない」女中と二人で棲みついている。それが行き倒れの老人――これも実相寺組の常連・寺田農――のトランクに入っていた等身大の少女人形を手に入れたことをきっかけに、生活の均衡を崩していく。人形に「想い」を寄せるあまり命を削ってしまう主人公、その「想い」を吸い取っていく人形、そして「何も考えない」、すなわち「我思う、ゆえに我あり」のテーゼに従えば「存在しない」ことになるはずの女中。有名な「我思う」の一節を変奏しながら展開する、人形と主人公、そして彼に密かな想いを寄せる女中という、人間二人、人形一体の奇妙な三角関係は救いのない結末へと転がり落ちていく……。 この物語に関しては脚本家自身がシナリオをWeb上で公開しているし、実相寺昭雄の独特な映像美学を味わうならDVD版も出ている。なお実相寺監督はシナリオの終盤に大きな変更を加えており、シナリオに忠実な描写を見るためには大森倖三の作画による漫画版『ウルトラQ ~dark fantasy~』(角川書店)に当たることも薦めたい。 ※2 ジュヌヴィエーヴ・ロディス=レヴィス『デカルト伝』(未来社) この漫画版は脚本に付されていた解説も採録しており、脚本執筆に当たって現在もっとも信頼しうるデカルトの伝記であるジュヌヴィエーヴ・ロディス=レヴィス『デカルト伝』(飯塚勝久訳、未来社)(※2)を参照したことがうかがえる。もっともロディス=レヴィスはこの有名な「フランシーヌ人形」伝説については「想像力豊かな伝記作者」が作りあげた「物語」として退けている(邦訳296頁)。彼女がこの伝記を著した背景には、ダヴィデンコ『快傑デカルト』(竹田篤司訳、工作舎)のようなデカルトの伝記を題材にとりつつ虚実入り混ぜて面白おかしく書かれた通俗読み物へのアカデミシャンらしい反発があった。フランシーヌ伝説をにべもなく否定しているのも、同じような理由によるものだろう。ちなみに僕はこの「伝説」の初出が知りたくて少しばかりデカルト関連文献を調べたことがあったが、おぼつかないフランス語で読んだアドリアン・バイエの『デカルト伝』(井沢・井上訳による講談社版は縮刷本の訳で、長大な原本は現在も未邦訳)にそれらしき記述は見当たらなかった。 ※3 澁澤 龍彦『少女コレクション序説』 (中公文庫) 一方、日本でこの「伝説」が有名になった背景には、澁澤龍彦(『少女コレクション序説』中公文庫(※3)ほか)や種村季弘(『怪物の解剖学』河出文庫)といった文人肌で幻想好みの外国文学者たちがエッセイで取り上げたことが大きい。ことに種村は独文学者ということもありフランス語原典よりドイツ語資料に基づくことが多いものの、この伝説を「人工生命」をめぐるヨーロッパ思想の系譜に位置付けたエッセイ「少女人形フランシーヌ」の詳細さは一読に値する。デカルトが関係をもった女中ヘレナとその娘フランシーヌについてもう少しアカデミックなアプローチを望まれる向きには、現在もアダン=タヌリ版(AT版)としてデカルト研究の底本とされる全集編纂者のひとりポール・アダンの『デカルトと女性たち』(石井忠厚訳、未来社)やデカルトの人物像に迫った竹田篤司『デカルトの青春』(勁草書房)を薦めておく。 アカデミックな分野でのデカルト紹介はノーベル賞物理学者・朝永振一郎の父で哲学者だった朝永三十郎(『近世における「我」の自覚史』角川文庫、などが有名)あたりに始まり、三木清(岩波文庫版『省察』の訳は獄中で死去した彼の遺稿となった)、野田又夫、落合太郎といった広義の「京都学派」が中心だったと見ていいだろう。京都学派の中心だったドイツ哲学から出発しつつも、九鬼周造の影響を受けてデカルトなど明晰判明を旨とするフランス哲学に心を寄せた野田又夫には『方法序説・情念論』(中公文庫、現在は中公クラシックス)や『知性指導の規則』(岩波文庫)の訳のほか、平易な入門書として『デカルト』(岩波新書)(※4)がある。僕は図書館で廃棄処分になっていたのを拾ってきた『野田又夫著作集』(白水社)を全五巻揃いで持っているが、デカルト研究をまとめた第一巻は図書館などで探して読んでおいて損はない。落合太郎は岩波文庫旧版『方法序説』の役者であり、モンテーニュやパスカルなどフランスのモラリスト研究で名高い京大仏文の立役者だが、その人生には若き日の放蕩という意外な陰翳がつきまとう。この話も面白いのだが本筋から外れてしまうので、竹之内静雄『先師先人』(講談社文芸文庫)にある落合太郎伝を参照してほしい。 ※4 野田 又夫『デカルト (岩波新書)』 デカルト研究には京都学派以外にも東大仏文系の人脈も関わっており、最初の『著作集』では書簡集の訳を渡辺一夫たちが担当しているし、のちに東大助教授の職をなげうって留学先のフランスで特異なエッセイストとなった森有正も元はデカルトとパスカルの研究から出発している。彼のデカルトへの言及は『バビロンの流れのほとりにて』を始めとする一連の著作(ちくま学芸文庫から『森有正エッセー集成』全五巻(※5)が出ている)にも見られるほか、渡仏前の主な論文は『デカルトとパスカル』(筑摩書房)で読める。非アカデミシャンで東大仏文人脈の代表選手といえば小林秀雄だが、彼も講演録「常識について」などでデカルトを大きく取り上げているし、何より文壇デビュー作となった「様々なる意匠」の雑誌「改造」初出版では最後の締めくくりにデカルトからの引用が使われていた(この引用には小林の勘違いないし誤訳があったらしく、それ以後の単行本や全集などからは全て削除されている)。 ※5 森有正エッセー集成(1) (ちくま学芸文庫) ※6 内部の人間の犯罪 秋山駿評論集 (講談社文芸文庫) 小林秀雄などがデカルトに惹かれた背景には、当時フランスを代表する知性だった詩人ポール・ヴァレリーや哲学者アランが何かにつけてデカルトを持ち出すカルテジアン(デカルト主義者のこと)だったこともある。その小林に触発されて愚直な思索を続けた文芸批評家の秋山駿もヴァレリー経由のデカルトびいきで、よく『省察』や書簡集からの引用をしていた。あらゆる物事を徹底的に疑ってかかるというデカルトの「方法的懐疑」を地で行くように、秋山はあらゆる先入観や思想を振り払って、道で拾ってきた一個の石ころを見つめ続けることで思索を続ける。僕は一時、この人の文章にハマってずいぶん読んだのだが、いま書店で手に取れるのは『内部の人間の犯罪』(※6)と『舗石の思想』(いずれも講談社文芸文庫)くらいなのが残念である。 それにしてもさすが近代哲学の父、デカルトに関する文献は汗牛充棟で、僕も少し集めてみたがとても手に負えない。ここ数年でも小泉義之『デカルト 哲学のすすめ』(講談社現代新書)が改題されて講談社学術文庫に収められたほか(この入門書はあまり僕の好みに合わなかったが、同じ小泉が勁草書房から出した『兵士デカルト 戦いから祈りへ』(※7)はかなりの名著である)、田中仁彦『デカルトの旅/デカルトの夢』(岩波書店)(※8)と谷川多佳子『デカルト「方法序説」を読む』(岩波セミナーブックス)(※9)の二著が揃って岩波現代文庫に収録された。 ※7 小泉 義之『兵士デカルト―戦いから祈りへ』 ※8 田中 仁彦『デカルトの旅/デカルトの夢』 (岩波現代文庫) ※9 谷川 多佳子『デカルト『方法序説』を読む』 (岩波現代文庫) 前者は『方法序説』に到るまでのデカルトの遍歴を追っており、専門のデカルト研究者でない著者の独創的な見識が光る好著。対照的に後者は、現行の岩波文庫版『方法序説』『情念論』の訳者でもあるデカルト研究の第一人者が、小林秀雄や森有正にも目を配りながらアカデミズムの本道をゆくデカルト読解の入口を示してくれている。僕自身この後者の著者……というのも変な感じがするので「谷川先生」と呼ばせていただくが、その谷川先生に大学院の授業でデカルトやライプニッツのフランス語テクストを読んでもらい、オーソドックスな哲学文献の読み方を教えていただいたほか、個人的にも論文や書類に目を通していただくなど随分お世話になっている。二度ほど一年間の授業をねぎらって受講者一同にお酒の席を設けていただいたこともあったが、あまりにデカルト研究者として本道を歩いてこられた先生なので、あまりに俗っぽい「フランシーヌ人形」伝説についてうかがうのは気が引けて、とうとう聞けずじまいだったのが残念である。 他にも、僕の手許にあるだけで、森有正の弟子筋にあたる伊藤勝彦『デカルトの人間像』(勁草書房)をはじめ、先にも名前の出てきた石井忠厚『哲学者の誕生 デカルト初期思想の研究』(東海大学出版会)や小泉義之『デカルトの哲学』(人文書院)、デカルトの頭蓋骨が死後どのような経緯でパリの人類史博物館に飾られるに到ったかを追うラッセル・ショート『死後の伝記 デカルトの骨』(松田和也訳、青土社)、そして谷川先生の本格的な研究書『デカルト研究 理性の境界と周縁』(岩波書店)などデカルトに関する本はいくらでも出てくるが、きりがないのでこの辺で打ち止めにしたい。 最後にひとつだけ、三木清の弟子だった桝田啓三郎訳の『省察』(角川文庫)からデカルト本人の言葉を引いておきたい。有名な「蜜蝋の比喩」に続くこの文章はデカルトの「懐疑」の深さを示す一節として知られ、デカルト的懐疑にこだわる秋山駿もどこかで引用していたが、しかし恐らくはこうした言辞が「フランシーヌ人形」のような、機械人形と人間の区別がつかない半狂人デカルトという伝説を生む契機となったのだろう。 「いま私がたまたま窓から眺めると人間が街を通っているのが見えるとする、私は、蜜蝋の場合と同じように習慣的に、彼らについても、私は人間そのものを見る、という。しかし、帽子と着物のほかにいったい私は何を見るのであろうか。その下には自動機械(オートマタ)がかくされているかもしれないのである。しかし私は、それは〔真の〕人間である、と判断する」 なおこの一節はラテン語原文にのみ見られ、のちにデカルト自身が目を通したと言われるリュイヌ公爵による仏訳ではオートマタ云々の箇所を削除されている。理由ははっきりしていない。ちなみに冒頭の戯文で僕は「為事のためとほく旅に出たかるてしうすの不在中に、ふらんしいぬは熱病に罹つて死んで了つた」と書いたが、その仕事こそ、この『省察』の執筆であった。これは「伝説」ではなく伝記に基づいた事実である(ついでに付け加えれば「やぶにらみの少女」云々もおおむねデカルト自身の書簡に出てくる事実である)。ロディス=レヴィスのような真正の伝記作者には許されなくとも、マルセル・シュオッブのひそみに倣った「架空の伝記」作者たる僕には、この一節が仏訳版から削除された背景に幼くして死んだ妾腹の娘フランシーヌの影を見るのもまた、自由であろう。