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第4回 アナベル・リイの主題による変奏

吉田 隼人(よしだ・はやと)

2016.04.26

いのちをたもつのも、いのちをほろぼすのも、どちらもたのしいあそびだったら、ほろぼすほうをえらんだからって、どうしてそれがざいあくかしら? ――香山滋『海鰻荘奇談』

 

 

夢だとわかっているのに目覚めることができない。夢が覚めたと思っても、まだ夢のなか。意識ははっきりしているつもりだ。だが、いくたびも、いくたびも、体を起こそうと試みても、指先ひとつ動かせない。ひょっとして、死というのは、こんなものではなかろうか。自分の体なのに自分のものでなくなったような、全身を透明ななにものかに圧しつけられているかのような――。そこに気配を感じる。だれか、女が犯されようとしている。腕ずくで、といっても暴力がふるわれるわけではなく、女が嫌がっているのは嘘ではないし、抵抗はするものの、このうえ無駄だろうとどこかで諦めたような気分がしだいに室内を浸していき、やがて男はその欲望を成就するだろうということが、すこし離れたぼくにも了解される。とはいえ、ぼくが起き上がれば男の行為は未遂に終わるだろう。腕力に自信はないが、恐らくは殴り合いになるまでもなく男の欲望は萎えてしまうはずだ。ぼくが起きている素振りを見せさえすれば。しかし、ぼくの体はぴくりとも動かない。なるほど、確かにぼくは死んでしまったのかも知れない――。

 

そこでようやく目が覚める。いつものことだ。体を起こす。嫌な汗をかいている。もう何度となく見た夢だ。

 

つけっぱなしのプレイヤーから音楽が流れている。フェルナンド・ソル「モーツァルト《魔笛》の主題による変奏曲」。クラシック・ギターの練習によく使われるこの曲を、貴公子と呼ばれた名手ジョン・ウィリアムズが一音たりともおろそかにせず、丁寧に、しかし優雅さをそこなうことなく奏でている。寝付きの悪いぼくはしばしば睡眠剤がわりに音楽を流すが、往々にしてかけっぱなしのまま眠ってしまう。すると眠ってはいても脳のどこかが起きていて、音楽を聴き続けているらしい。そのために、頭では覚醒しているつもりでも体のほうが眠ったままになり、こういう現象が起きる。俗に金縛り、と呼ばれているこの現象に、しかしぼくの場合、幽霊のたぐいはあらわれない。つまり金縛りのときに見る幽霊というのは、起きているつもりでも目は閉じていて、感覚器は夢を見ているので、意識の深層で怖れているものが夢に出てくるに過ぎない。そんなもっともらしい説明を真に受けるとすると、ぼくは心霊現象よりよほど、この種の情景が怖ろしいらしい。

 

これに類似したできごとを、いくたびか実際に体験しなかったといえば嘘になるし、かといって体験したといえるほど、はっきり覚えているわけでもない。そのできごとを覚えているであろう人びととは、その気まずさのゆえかどうかすらさだかではないが、連絡が途絶えてしまったり、人によってはもう死んでしまってこの世にいなかったりする。とはいえはるか昔の少年時代に読んだ『人間失格』でも似たような場面がひどく怖ろしくて、それきり太宰治を読まなくなってしまったことを思えば、実際に体験するまでもなく、もともとこの種の情景が大の苦手だったのかもしれない。

大江 健三郎『臈たしアナベル・リイ総毛立ちつ身まかりつ』(新潮社)

この種の情景――。そう遠くない場所で、誰か女が男に犯されそうになっている。自分が動けばそれは成就されないに違いないのだが、どうしても彼らに手を出すことはかなわず、自分ではただ見ているしか、聞いているしか、気配を肌で感じているしかできない。むしろその見ていること、聞いていること、気配を感じていることこそが、自分とその男との――あるいは、その女との――共犯関係を成立させているのかも知れない。視姦というべきか、屍姦というべきか……。そんな情景が決定的場面として複数回にわたって反復される小説を、ぼくは読んでいる。しかし、ぼくの記憶はどこまでも不確かだ。その小説、大江健三郎の『﨟[らふ]たしアナベル・リイ総毛立ちつ身まかりつ』を、ぼくが初めて読んだのはその体験より以前だったのか、それとも以後であったのか、あるいはそもそもそんな「体験」など初めから存在しなかったのか。記憶のよすがとなるべき小説そのものが、明らかに大江健三郎その人と思われる――実際に作中でその名をもって呼ばれさえする――〈私〉を語り手としながら、現実と虚構が小説のいたるところでそれと判別しがたいまでに入り混じり、余計にぼくの記憶を危うくする。

 

表題が示すように、その小説は孤高の学匠詩人・日夏耿之介が縦横無尽に雅語を駆使して訳したエドガー・ポー最期の詩「アナベル・リイ」の周囲を旋回するようにして展開する。はるか年少、十三歳の従妹ヴァージニアを(書類を改竄してまで)娶ったポーは、恐らくはその性的不能のため処女妻のまま、結核によって彼女を亡くし、その後ややあって自身も無残な死を遂げる。その死の直前に書かれ、死後初めて発表された「アナベル・リイ」は、おのれとその妻を模したに違いない〈われ〉と少女アナベル・リイとの、

 

在りし昔のことなれども

わたの水阿[みさき]の里住みの

あさ瀬をとめよそのよび名を

アナベル・リイときこえしか。

をとめひたすらこのわれと

なまめきあひてよねんもなし。

 

というような無垢な愛の日々が、ある日「天人だも」の「ものうらやみのたね」となってしまったがために、

 

帝郷の天人ばら天祉[てんし]およばず

めであざみて且さりけむ、

さなり、さればとよ(わたつみの

みさきのさとにひとぞしる)

油雲[いううん]風を孕[はら]みアナベル・リイ

そうけ立[だ]ちつ身まかりつ。

 

というわけでアナベル・リイの死をもって絶たれるまでを、ごく平易な語を用いつつ極めて音楽的に完成された韻律で綴った、六聯から成る詩である。ポーが小説と詩とを問わず一生かけて変奏し続けたペドフィリックにしてネクロフィリックな愛情の主題が最後に奏でたこの一曲を、大江はさらに変奏する。大学教養課程で級友だったプロデューサーの木守[こもり]と再会した〈私〉は、「永遠の処女」とも称される国際的な女優〈サクラさん〉を主演に据えた映画の計画のため奔走する。その過程で三人は同宿し、そこで〈私〉は木守が〈サクラさん〉を犯すのを、それと知れる距離にいながら、そして〈サクラさん〉から「**ちゃん、来て!」と呼ばれながら、何もできぬままに「双子である自分らのひとりが、そうでなければこちらの果たす役割を受け持とうとしている」と思いながらやり過ごすことになる。立ち上がらなかった〈私〉は翌朝、木守から「おれに先を越された、そういう気持ちがきみにあるかも知れないが……あのような成り行きでね。弁解はしないよ。きみもまだ起きていて、あれから彼女がシャワーを浴びに行くのを見送っただろう?」と声を掛けられ、前夜の行為についていささか饒舌な彼の語りを聞かされる。

この情景はふたたび変奏される。戦後間もないころ、少年の日の〈私〉が住んでいた愛媛の松山で、やはり少女の日に戦災孤児であった〈サクラさん〉は庇護者のアメリカ兵によって「アナベル・リイ」を題材にした短い映画のモデルにされる。その映画を〈私〉こと大江少年もまた、日夏耿之介の訳詩に魅せられてポーの原書を読むため訪れた進駐軍のアメリカ文化センターで――伊丹十三とおぼしき友人とともに――見せられていた。しかし〈サクラさん〉と再会した〈私〉は、詩の最後の一聯を欠いたまま終わってしまうその映画の謎を追い求め、そして少年のときには見せてもらえなかった、撮影者の米兵によって削除された結末を見ることになる。そこには薬によって眠らされ、性的ないたずらを受けた――ポーが不能だったという説をなぞるかのように、その米兵もまた最期まで彼女と完全な交接を果たすことはなかったのだが――まだ幼い〈サクラさん〉のあられもない姿が記録されていた。

 

物語はこの二つの情景を、そしてまたポーの原詩と日夏の訳詩とを、いわば二つの軸として、楕円を描くように構成されている。老境にあって〈私〉たち三人は中絶していた映画製作プロジェクトを再開し、木守が〈私〉の影響を受けて〈サクラさん〉に日夏訳『ポオ詩集』をもじったラブレターを送り、さらには「アナベル・リイ」の最終聯をもじった自分の墓碑銘を〈私〉に披露する。「夜のほどろ鬱林[うつりん]のもなかの土封[つむれ]/木立のきはのみはかべや/こひびと我妹[わぎも]いきの緒の/そぎへに居臥[ゐふ]す身のすゑかも」と――。

 

ここにもじられている最終聯がもともとはどうであったか。知りたいと思っても日夏訳はどこへ雲隠れやら手許に見付からず、さりとて英語の苦手なぼくはポーの原文を手にとるでもなし、無精をしてステファヌ・マラルメの散文による仏訳の頁を繰ってみるのだが、なぜかそれらしき言葉に行き当たらない。少し目をあげて、ぼくは気付くことになる。マラルメはこの詩をフランス語に訳すにあたって、最終第六聯と入れ替えるかたちで、原詩の第五聯を末尾に配するという改竄をおこなっていたのだ。

(訳)渡辺 守章「マラルメ詩集」 (岩波文庫)

 

とはいえ、これもさして驚くには値しないことかも知れない。ポーには「眠る女」――日夏訳だと「睡美人」――という、これも他界の住人によって命を奪われたアイリーンなる女を恋人の視点から描いた詩があるが、この詩の仏訳においてもマラルメは自身の文学観に基づいてポーの原詩を捻じ曲げるような翻訳、すなわち改竄ないし誤訳を犯しているのだという卓抜な指摘をかつて読んだことがある。ポーの詩で先祖の眠る墓を愚弄したために自身も墓へと誘われてしまう女アイリーンは、マラルメの仏訳では初めから死者と近しい性格を有していたことになり、彼の未完の散文詩「イジチュール」の主人公のように――あるいは彼のライフ・ワークであった劇詩「エロディアード」の冷酷な処女姫エロディアードのように――半ば意図的に自らの死を選びとったものと解釈し直される。これはもはや誤訳や改竄というより、マラルメによる一種の変奏というべきだろう。だとすれば、未練がましく亡き恋人の墓にすがりつく〈私〉をうたった第六聯を末尾に配したポーの原詩に対して、本来ならその前に来るはずの第五聯を最終聯としたマラルメの仏訳もまた、大江健三郎のそれとも異なったひとつの「アナベル・リイ」変奏曲をなしているはずである。ぼくはようやく探し当てた日夏訳の第五聯と第六聯とを、マラルメに倣って並べ替えてみた。

 

月照るなべ

﨟たしアナベル・リイ夢路に入り、

星ひかるなべ

﨟たしアナベル・リイが明眸[めいぼう]俤[もかげ]にたつ

夜のほどろわたつみの水阿[みさき]の土封[つむれ]

うみのみぎはのみはかべや

こひびと我妹[わぎも]いきの緒の

そぎへに居臥す身のすゑかも。

 

ねびまさりけむひとびと

世にさかしきかどにこそと

こよなくふかきなさけあれば

はた帝郷のてんにんばら

わだのそこひのみづぬしとて

﨟[らふ]たしアナベル・リイがみたまをば

やはかとほざくべうもあらず。

 

日夏耿之介はもちろんポーの原詩に拠って訳しているから、七五調を基調としながら最後の「そぎへに居臥す身のすゑかも」を七七調にすることで韻律のうえでも詩に決着をつけているので、それを並べ替えて「やはかとほざくべうもあらず」の七五調を結末にもってくるとやはり訳詩の音楽的効果は減じてしまう。それを承知のうえでなお、ぼくはここにマラルメの「変奏」を聴きとる思いがする。

幼い二人のあいだの愛が、どんな年長者(ねびまさりけむひとびと)よりも、どんな賢者(世にさかしきかど)よりも「こよなくふかきなさけ」であるために、どんな天使(てんにん)にも、どんな悪魔(みづぬし)にもアナベル・リイの「みたま」を「とほざ」けることはできない。そう高らかにうたいあげる第五聯を末尾に据えたとき、マラルメの眼前にはもはや第六聯の、恋人の墓に未練がましくすがりつく情けない〈私〉の姿はなく、そこにはただ、強制された死を自ら選びとったものとして受け取り直すことで、より高次の魂を獲得したアナベル・リイのおもかげだけが映っていたのだ。

 

そこまで考えたとき、ふいに、いくつか記憶の断片がヴィジョンとしてよみがえってきた。水平線のかなたに夕陽を沈めてゆく、誰もいない晩夏の砂浜。またあるいは、冷たい初秋の小糠雨がかぼそく降る薄暗い港町。ぼくにとって「あのとき」の記憶、つまり何度も夢に見た「あの情景」に遭遇した数度の経験は、常にどこか海辺の光景――日夏の訳語を借りれば「わたつみの水阿」「うみのみぎは」の景色――と結び付いていたのだった。まぶたの裏にうかぶ海をみつめ、聞こえるはずのない潮騒に耳を傾けながら、もうあの夢を見ることはないだろう、と思った。これからも夢のなかでぼくは死ぬかも知れない。だが、それは夢のなかのぼくが選びとった、奪い返した死だ。

 

もう、あの夢を見ることはないだろう。確信を抱いて、ぼくは寝床にふたたび潜り込んだ。この仮寓から、海はあまりに遠くて見えないけれど。

 

『書物への旅』第二期ページ

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吉田 隼人(よしだ・はやと)
吉田 隼人(よしだ・はやと) プロフィール

1989年4月25日、福島県伊達郡保原町(現在の伊達市)に生まれる。
町立の小中学校、県立福島高校を経て、2012年3月に早稲田大学文化構想学部(表象・メディア論系)卒業。

2014年3月、早稲田大学大学院文学研究科(フランス語フランス文学コース)修士課程を修了。修士論文「ジョルジュ・バタイユにおけるテクストの演劇的=パロディ的位相」。現在は博士後期課程に在学。

中学時代より独学で作歌を始め、2006年に福島県文学賞(青少年・短歌の部/俳句の部)、2007年に全国高校文芸コンクール優秀賞(短歌の部)をそれぞれ受賞。

2008年、大学進学と同時に早稲田短歌会に入会。「早稲田短歌」「率」などに作品や評論を発表。

2012年、「砂糖と亡霊」50首で第58回角川短歌賞候補。

2013年に「忘却のための試論」50首で第59回角川短歌賞を受賞。早稲田短歌会ほかを経て、現在無所属。
「現代詩手帖」2014年1月号から2015年12月号まで短歌時評を連載。「コミュニケーションギャラリー ふげん社」ホームページに2014年11月からエッセイ「書物への旅」を連載。

2015年12月、歌集「忘却のための試論」を書肆侃々房より刊行。2016年、同著で3月に2015年度小野梓記念芸術賞受賞、4月に第60回現代歌人協会賞を受賞。