第9回 コッペリウスの冬 吉田 隼人(よしだ・はやと) 書物への旅〜記憶=私の不確かさをめぐる12の断章〜(第2期) 2016.09.28 時間と記憶は溶解しあっている。これらは、一枚のコインのふたつの面に似ている。時間がなければ、記憶もまた存在しえないということは、まったく明らかである。(……)記憶を欠くと人間は、虚妄の存在のなかに囚われてしまい、時間から脱落し、自分に固有な外部世界との関係を確立することができなくなる。つまり彼は狂気を運命づけられてしまうのだ。(タルコフスキー『映像のポエジア 刻印された時間』) 冬至が近かったから未明といっても朝の五時か六時にはなっていたのだと思うが、それにしても真っ暗な部屋に父の押し殺した声がして、ぼくたち兄妹はそれぞれ起こされた。母方の祖父が亡くなったのだ。そのころ学校をやめて家にいた妹はともかく、ぼくは高校三年、冬休み返上でおこなわれていた補習授業を休むため自分で忌引の連絡をしなくてはならなかった。とはいえ祖父の死は急なことでもなく、夏のはじめにはすでに余命がいくばくもないと告げられていた。だからこそぼくは「祖父の生きているうちに合格証書を見せたい」と親や教師を説得して、まんまと東京の私大への推薦枠を押さえておいたのだった。受験を目前にしてぴりぴりしたなかに推薦で進路が決まっている生徒が紛れこんでいると教室の空気が悪くなる。それにせっかく推薦が決まったのだから、みすみす取り消されるような問題を起こすこともないだろう。――そんな思惑をにじませた声で、電話口の教師は補修には冬休みいっぱい出なくてよい、と言い、型どおりのお悔やみのあと、通話を切る前にぼくを気遣う言葉を添えた。せいいっぱい強がってみせても涙は止まらないし、声の震えは電話の向こうにも伝わってしまっていたのだろう。電話を終えたぼくは真新しいスーツに着替え、慣れない手つきで黒のネクタイを締めた。入学式のために生まれて初めて仕立てたスーツがその前にまず喪服として役立ってしまった、その悔しさと悲しさで涙をぼろぼろ零しながら。 ふすまを外された母方の実家は呆れるほど広く見えた。仏間で遺体との対面を終え、親族へのあいさつを済ませてしまうと、十八歳のぼくになすべき仕事はもう残されていない。弔問客への対応は大人が交代でおこなう。ぼくと妹は控室も兼ねた、母がむかし使っていた部屋で、気まずい空気のなか暇をもてあましていた。その部屋には母がかつて読んだであろう古い少女漫画と、こちらは買っただけでろくに読まなかったらしい世界文学全集とが揃っていたから、妹は前者を、ぼくは後者をそれぞれ手にとってはみたけれど、二人ともこういうときに集中して読書できるほどの精神的余裕はなかった。それでも日取りの関係で通夜と葬儀は数日先に決まり、いよいよ有り余った時間を結局ぼくたちは本ばかり読んで過ごした。妹がなにを読んでいたのかは知らないが、ぼくは文学全集のうち知っている名前の巻はすべて引っ張り出してきて、とりあえず中をのぞいてみた。プルーストやジョイス、ヘンリー・ミラーにメルヴィル……といった長篇はとても読む気になれず、しぜん目は詩や短篇を収めた巻のほうへと向かう。ときおり箸休めに妹から『あさきゆめみし』を奪い取って眺めつつ、エドガー・ポーとボードレールをひととおり斜め読みするうちに通夜も終わり、次に似たような傾向の作家としてホフマンの巻を選びだしたころ、ぼくは両親に呼び出された。 ホフマン著 大島かおり訳 『砂男/クレスペル審問官』 (光文社古典新訳文庫) 葬儀の日は、ぼくが推薦で受かった大学のガイダンスと重なっていた。ガイダンスといってもどうせ大したことはなかろうからてっきり葬儀を優先するものだとばかり思っていたが、両親も祖母も、親戚みながなんだか悲愴な顔をして、ガイダンスのほうに行くよう言う。そんなわけで旅費まで渡されてしまったのでぼくは新幹線で東京へ行き、祖父が焼かれて灰になっているころ生まれて初めて地下鉄や山手線にも乗ったはずなのだが、そのあたりの記憶はまったく残っていない。ガイダンスでもおよそ重要なことは何も話されなかった。俳優の小日向文代によく似た教授が「キャンパスそばの道路が人でいっぱいだから、さすがW大学だと思ってみなさん驚いたでしょう、でも実はあれはうちの大学とは関係ないんです、今日は向かいにある八幡さまの冬至のお祭りなんですよ」と言って笑っていたことしか覚えていない。そこで最も重要なのはガイダンスそのものよりも、付随しておこなわれる生協と提携した不動産屋による物件のあっせんであり、次に重要なのはいち早く友達をつくることであった。地方から出てきたらしい親子連れは前者、ガイダンス中も人目をはばからずキャッキャとはしゃいでいた女子生徒たちは後者が目的だったわけである。どちらにも入れないぼくはひとりぼっちで学食の椅子に腰かけ、読みさしのまま持ってきていたホフマンの続きを読むことにした。人形に恋する男の話だとどこかで聞き知っていたので勝手に甘美な物語を期待して『砂男』を読み始めたのだが、予想に反して活字のあいだからは、つい今朝がたまでずっと嗅いでいた線香の煙のようにひたすら陰気な匂いが立ちのぼってきた。 主人公の大学生ナターナエルは幼いころ、早く寝ないと砂男が来るよとおどかされて育った。母親は「砂男なんていないのよ、坊や」「砂男がくるって、わたしが言うのはね、あなたたちがもう眠くて、砂をかけられたときみたいに目が開けていられなくなった、ということ。それだけのことよ」と諭すが、お守りをしてくれる婆やは砂男の物語を話してくれ、ナターナエルの恐怖を煽る。 「子どもがベッドに入りたがらないと、そいつがやってきて、両手いっぱいの砂をその子の目に投げつけるんですよ。すると眼ん玉が血だらけになって飛び出すから、それを袋に入れて半月にある住みかにもってかえって、自分の子どもたちの餌にする。半月の巣には、フクロウみたいに先の曲がったくちばしの子どもたちがいましてね、言うことをきかない人間の子の眼ん玉をつついて食べてしまうんですよ」。 葬儀の日は、ぼくが推薦で受かった大学のガイダンスと重なっていた。ガイダンスといってもどうせ大したことはなかろうからてっきり葬儀を優先するものだとばかり思っていたが、両親も祖母も、親戚みながなんだか悲愴な顔をして、ガイダンスのほうに行くよう言う。そんなわけで旅費まで渡されてしまったのでぼくは新幹線で東京へ行き、祖父が焼かれて灰になっているころ生まれて初めて地下鉄や山手線にも乗ったはずなのだが、そのあたりの記憶はまったく残っていない。ガイダンスでもおよそ重要なことは何も話されなかった。俳優の小日向文代によく似た教授が「キャンパスそばの道路が人でいっぱいだから、さすがW大学だと思ってみなさん驚いたでしょう、でも実はあれはうちの大学とは関係ないんです、今日は向かいにある八幡さまの冬至のお祭りなんですよ」と言って笑っていたことしか覚えていない。そこで最も重要なのはガイダンスそのものよりも、付随しておこなわれる生協と提携した不動産屋による物件のあっせんであり、次に重要なのはいち早く友達をつくることであった。地方から出てきたらしい親子連れは前者、ガイダンス中も人目をはばからずキャッキャとはしゃいでいた女子生徒たちは後者が目的だったわけである。どちらにも入れないぼくはひとりぼっちで学食の椅子に腰かけ、読みさしのまま持ってきていたホフマンの続きを読むことにした。人形に恋する男の話だとどこかで聞き知っていたので勝手に甘美な物語を期待して『砂男』を読み始めたのだが、予想に反して活字のあいだからは、つい今朝がたまでずっと嗅いでいた線香の煙のようにひたすら陰気な匂いが立ちのぼってきた。 主人公の大学生ナターナエルは幼いころ、早く寝ないと砂男が来るよとおどかされて育った。母親は「砂男なんていないのよ、坊や」「砂男がくるって、わたしが言うのはね、あなたたちがもう眠くて、砂をかけられたときみたいに目が開けていられなくなった、ということ。それだけのことよ」と諭すが、お守りをしてくれる婆やは砂男の物語を話してくれ、ナターナエルの恐怖を煽る。 「子どもがベッドに入りたがらないと、そいつがやってきて、両手いっぱいの砂をその子の目に投げつけるんですよ。すると眼ん玉が血だらけになって飛び出すから、それを袋に入れて半月にある住みかにもってかえって、自分の子どもたちの餌にする。半月の巣には、フクロウみたいに先の曲がったくちばしの子どもたちがいましてね、言うことをきかない人間の子の眼ん玉をつついて食べてしまうんですよ」。 フロイト著 中山元訳 『ドストエフスキーと父親殺し/不気味なもの』(光文社古典新訳文庫) ぼくは推薦入学のため提出した小論文を思い出していた。ハンス・ベルメールにはじまり日本では天野可淡や四谷シモン、漫画の『ローゼンメイデン』にいたる「球体関節人形」の系譜をたどったその拙い文章は〈もともとは生きた人間の動きに近付けるべく肘や膝を動かせるよう関節部に埋め込まれた球体が、却ってその姿を生きた人間からかけ離れた、どこか死を連想させるような不吉で不気味なものに見せてしまう〉というパラドクスを軸として論旨を組み立てられていた。もしもっと早く『砂男』、そしてそれを題材にしたフロイトの論文『不気味なもの』を読んでいたら、自分でひねり出したこの理屈を補強するため小論文に引用したことだろう。〈ひとは人形に魅かれるとき、常にそこに死を見ているのだ――〉。そんな結論でしめくくられる文章を書きあげたとき、あるいはもう、ぼくはすでに死の側、人形の側に足を踏み入れていたのかも知れない。ナターナエルはオリンピアに指輪を渡そうと出向いた教授の家で、彼女をめぐって教授がコッポラ=コッペリウスと争っているのを見てしまう。人間と見まがうほど精巧に作られた自動人形オリンピア、その内部構造を作ったスパランツァーニ教授と、眼球にあたるレンズを提供したコッポラとが、互いに人形の所有権を主張しあって揉めていたのだ。 「茫然とナターナエルは立ちすくんだ――いやおうもなく、はっきりと見てしまったのだ。オリンピアの死人のように蒼ざめた顔には目がなく、あるのはくろぐろとした穴だけだった。彼女はいのちのない人形だったのだ」。 スパランツァーニ教授が投げたオリンピアの眼――硝子玉――にぶつかったナターナエルは精神に異常をきたしてしまう。やがて病はおさまったかに見えたが、結婚を前にしてクララとその兄ロータルと三人で昇った塔の上で、彼が景色を見るべく取り出したのはあの望遠鏡、コッポラから買った望遠鏡だった。望遠鏡をとおしてクララを見たナターナエルはふたたび錯乱に陥り、「木の人形、まわれ――木の人形、まわれ」とわめきながらクララを殺そうとして暴れる。クララとロータルは辛くも逃げ出した。ひとり塔の上に取り残されたナターナエルは地上にあつまった群衆のなかにコッペリウスの姿を見付ける。コッペリウスの高笑いが響くなか、ナターナエルは「きれいな眼ん玉――きれいな眼ん玉」と叫びながら塔から飛び降り、頭が砕けて死んでしまうのだった。 ひとたび人形に、死に魅入られたとき、ひとはすでにあの醜い砂男、コッペリウスの亡霊にとりつかれているのかも知れない。その眼にはもはや生と死が逆転してしか映らない。じぶんを生の側へと引き戻そうとするあらゆる味方を拒んで、死の方へ、一歩また一歩と逆らいがたい運命にしたがって、半ば恍惚としながら近付いてゆくほかないのだろう。くらくらする頭でそんなことをしきりに考えながら、ぼくはガイダンス会場をあとにして駅へ向かった。コッペリウスとの出会いは、その後のナターナエルの人生をすべて支配してしまう。砂男コッペリウスの再来たるコッポラが訪れてから、それまで彼を支えてきたものは、学問も、詩も、恋愛も、すべて死の色に塗りこめられてしまう。彼の書く詩からはそれまでの精彩が失われ、恋い焦がれたオリンピアは命なき自動人形、眼玉をくりぬかれた無残な姿を見てしまう。これから文学部の大学生になり、勉強も創作も、そしてあわよくば恋愛もするのだと夢想していただけに、ナターナエルの物語はじぶんの行く末を暗示するものとしか思われなかった。 この種の思いこみは蒼ざめた文学少年によくみられる一過性の病気だ。その日、ぼくは駅のそばの名画座に大きな看板が出ているのを見た。その「ノスタルジア」という六文字が頭に焼きついて離れない。祖父はもう焼かれて灰になってしまっただろうか。彼と過ごした幼い日をふりかえりながら(ああ、まさにノスタルジア)映画を見ていては帰りの新幹線に間に合わないから、チラシだけもらって駅へ向かった。電車のなかで目を通したチラシには、監督の略歴が書かれていた。アンドレイ・タルコフスキー。ぼくが生まれる前に若くしてこの世を去った彼の生年は、祖父のそれと同じだった。すっかり暗くなったころになってようやく母の実家まで帰りつくと、まず骨壷に向って手を合わせる。薄目をあけて骨壷を見つめながら、タルコフスキー、タルコフスキーと、まるでなにかの経文ででもあるかのように耳慣れないその名前を心のなかで唱えつづけた。 それから十年近い年月が過ぎて、ぼくはようやく「ノスタルジア」を観た。うらぶれたロシアの詩人が旅先のイタリアで、世界の終末は近いという狂信者と知りあう。狂信者は大群衆の前で三日三晩ながながと演説をぶった末にベートーヴェンの第九を流しながら油をかぶって焼身自殺を遂げる。同じころ、詩人は彼との約束――ろうそくの火をともしたまま街の温泉を渡りきれたら世界の終末は回避される――を果たすべく、何度も温泉を往復していた。そして何度目か、ようやく火を消さずに温泉を渡りきるとそのまま、彼は故郷の風景をおもいだしながら心臓病で息を引き取る。恐らくは自分でもそれが何の意味もなさないと半ば気付きつつ、それでも自分勝手な世界救済の幻想を胸に抱いたまま死んでいく。過去の記憶にとらわれた者にとって唯一の救済とは、そうやって幻のなかで死んでいくことでしかありえないのではないか。屋根もなく、どしゃぶりの雨がふりそそぐ廃屋のなかで詩人と狂信者は世界の救済について話し合う。その場面のむなしい美しさが目をつむるたび何度もよみがえってくる。 タルコフスキー著 前田和泉訳 『ホフマニアーナ』 (エクリ) ぼくは図書館を訪れて、タルコフスキーについて書かれた本をさがした。彼自身の書いた映画論や、日記の翻訳があった。そうした分厚い本を何冊か抱えて棚の前から去ろうとすると、まだ一冊、タルコフスキーの名が記された本があるのに気付いた。映画論や日記と違ってうすく、小さな本の題名を見て、ぼくは膝から崩れ落ちそうになった。まだ出版されて間もない『ホフマニアーナ』というその本は、死を前にしたタルコフスキーが最後に撮ろうとして果たせなかった映画のための準備ノートをまとめたもので、それは題名が示すとおり『砂男』の作家ホフマンとその小説を題材にした作品となるはずだったという。あの冬に出会ったコッペリウスの影は、いまだぼくのそばをうろついているらしい――。