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第1回 世界は一冊の美しい書物に近付くべく出来ている

吉田 隼人(よしだ・はやと)

2014.11.17

LE MONDE EST FAIT POUR ABOUTIR A UN BEAU LIVRE.(世界は一冊の美しい書物に近付くべく出来ている)……今なお現代思想の世界に深い爪痕を残すフランス十九世紀の詩人、ステファヌ・マラルメのこのあまりにも有名な言葉に初めて出会ったのが、十八歳の冬、県立福島高校の図書室だったというのは、もしかすると偽の記憶かも知れない。けれどこの一節を思い起こすとき僕の視界にはいつも、三年間にわたる死に物狂いの受験勉強が「指定校推薦」のために書いた原稿用紙十枚の作文だけであっさり終わってしまった、その虚脱感と解放感のなか、もう授業に出る必要もなくなった昼間の時間を持て余して毎日ぶらぶら通っていた図書室、その窓から見える雪の信夫山と、その背景に絵の具で塗ったようにひろがる冬の蒼空とが浮んでくるのである。
「憑かれてゐるのだ 俺は 蒼空、蒼空、蒼空、蒼空。」……これは、マラルメの詩「蒼空」最終行の鈴木信太郎による訳(『マラルメ詩集』岩波文庫)。かれこれ半世紀近く前に出たこの邦訳が、結局のところつい最近までいちばん手に入りやすいエディションだった以上、時代遅れの詰襟学生服を着た東北の片田舎の高校生が詩人との出逢いを果たしたのも、恐らくはこの小さな文庫本でのことだったろうと思う。あるいは既に、中村真一郎や福永武彦の自伝的エッセイなどを通して、このマラルメ研究の世界的権威にして日本仏文学界の草分けでもある碩学・鈴木信太郎の厳格な講義ぶりにさえも触れていたかも知れない。中村や福永の小説はさして面白いとも思わなかったけれど、フランス文学に軸足を置きながら世界の文学を原語で読みあさりつつも、同時に海外文学を読むのと同じ目で日本の古典文学にも深く親しんでいる彼らのディレッタント的な立場は、短歌などという古めかしい文学様式に魅かれながらフランスをはじめ海彼の文学や思想への憧れをも抱きはじめた少年にとって、一つの理想形であったから。

右手のみ無き人形をいちめんの菜ノ花畑に埋めて帰りぬ
死してなほ翅を展ぐる蝙蝠のはねに凍てつく月かげのいろ
日蝕の朝をわれらに知らせしはけふ殺さるる牛の鳴くこゑ
亡霊のをとめをそつと眠らせて夢幻の如く夜桜の散る
鉱物の蝶は砕けて消えてゆき魚類の蝶は溺れゆくかも

そのころ僕が作っていたのは、こんな歌だった。当時の僕がマラルメ以上に翻訳を通じて親しんでいたのはエドガー・ポーやボードレール、オスカー・ワイルドやホフマンといった作家たちであり、また作歌のための唯一の羅針盤が古本屋で見付けてきた『寺山修司青春歌集』(角川文庫)であったという事情もあるけれど、何よりもまず僕自身の中になにか陰惨でそれでいて耽美的なものへの少年らしい憧憬があったから、こういう短歌が溢れるように湧いてきたのだろう。球体関節人形とかゴスロリとかいった流行、それに澁澤龍彦あたりの再ブームは僕が住んでいた福島県伊達郡保原町というスタバもマックもツタヤもない田舎町にまでも届いていたし、ラジオから流れてくるALI PROJECTのヴォーカル、宝野アリカの歌声は適度に通俗的なアニメ・ソングというかたちでその入口を示してくれていた。もっともその当時、マラルメ学者の立仙順朗を旗振り役にその宝野アリカまでもが招かれて、慶應大学で『人造美女は可能か?』(慶應義塾大学出版会)なんておあつらえ向きなシンポジウムまでもが開かれていたことまでは、流石に福島の高校生には知る由もなかったのだけれど……。
ともあれこの種の、それもここには載せられないようなもっとずっと出来の悪いものも含めた短歌を五十首とか百首とか憑かれたように原稿用紙に書き付けては、新聞部の仲間、理系クラスにたむろしていたオタクっぽい連中、そして国語の先生などに半ば強引に見てもらっていた。ほとんど口をきかず、いつも詰襟の一番上のボタンまできちんと留めて教室の片隅で文庫本に読み耽っているネクラな生徒から、急にこんな心の闇をぶちまけたような気味悪い短歌を大量に押し付けられ、感想を求められた人々の胸中はいかばかりであったか。今になって推察しては、心の内でひそかに詫びる次第である。

そのころからもうすぐ七年が経って、僕は二十五歳の大学院生になったけれども、やっていることはといえば当時の延長線上をさほどはみ出ることもないままだ。たしかに外国文学には翻訳だけでなくフランス語や英語のテクストでも接するようになったし、周囲の人に見せびらかして困惑させるだけだった短歌も、どうにか角川短歌賞という通行証のようなものを手に入れたことで、一般の書店に並ぶ雑誌にも載るようになった。しかし結局やっていることの根幹は十八歳の冬、暖房の効いた図書室で眠気を誘われながらわかりもしないくせに世界の名著に読み耽り、誰に見せるあてもないままノートに短歌を書きつけていたあの頃の僕と何も変わりはしない。
僕の方が相変わらず風采の上がらないままいたずらに馬齢を重ね、ネクラな少年からネクラな青年になっただけで何も変わりなくても、書物の世界はいくらか移り変わりもあったようで、なんと岩波文庫の『マラルメ詩集』はこの十一月、半世紀ぶりで渡辺守章による改訳版が出ているではないか。三年前に仏文科の大学院に進んでから、マラルメ詩集を原書でこつこつ読み進める演習の授業などで「岩波から渡辺守章訳が出るらしい」という噂は耳にしていたけれど、それが遂に現実になったわけである。いそいそと書店に出向き、乏しい生活費を削って買ってくるとさっそく、対話劇の形式で書かれた代表作「エロディヤード」の一節を旧訳と新訳で読み比べてみた。上が鈴木訳、下が渡辺訳である。

種々(くさぐさ)の香料は措(お)け、乳母(うば)よ、われ
香(か)を嫌ふを知らざるか、力の萎(な)えしわが頭(かうべ)の
その陶酔に溺るるを感ぜよと汝は望むか。

捨てておおき、香水などは! 知らないとでも
お言いか、わたしは 嫌いです、香水は。そもそも香りの
陶酔に、疲れた頭が 溺れてしまえばよいとでも?

どちらがいいとか悪いとかではなく、文語と口語(と仮にわかりやすく二分しておくけれど)の二種類の訳がどちらも文庫という、気軽に手に取れるかたちで書店に並ぶようになったというのは素直に喜ばしいことだと思う。これまでもマラルメの邦訳はたくさんあったけれども、筑摩書房の巨大な『マラルメ全集』全五巻をはじめ、高価だったり絶版だったりして、なかなか簡単には入手できなかったのだから。謡曲の詞章のような漢語や雅語をちりばめた絢爛豪華な鈴木訳の日本語を愛し、マラルメの口語訳なんてとんでもないと言い張る人でもやはり、現在に到るまでの膨大な研究成果を書物の半分以上(文庫本にしては分厚い五七九頁のうち詩の翻訳じたいは二〇〇頁ほどでしかない)を占める注解として付けた渡辺訳は無視して済ませられるものではないだろう。だいいち渡辺自身が鈴木信太郎の最晩年の教え子の一人であり、この新訳も冒頭に「鈴木信太郎先生に献げる」と記すほど旧訳への敬意に溢れている。

劇詩「エロディヤード」や「判獣神の午後」などの翻訳には特に、能楽や現代演劇の現場でも活躍してきた渡辺の豊かな経験が反映されているわけだが、鈴木信太郎のマラルメ翻訳の背景にもまた、旧制高等師範付属中学(現在の筑波大付属中高)時代の恩師に影響された漢学の素養や、下町の大きな米問屋の息子として習い覚えた能や歌舞伎などの素地が十分に活かされていた。この師にしてこの弟子あり、この旧訳にしてこの新訳あり、である。このあたりの事情は鈴木の息子で、これもサルトルやプルーストの翻訳で知られる仏文学者・鈴木道彦がやはり今年になって刊行した評伝『フランス文学者の誕生』(筑摩書房)で知ることができる。この評伝によると、冒頭に引いた「世界は一冊の美しい書物に近付くべく出来ている」というマラルメの言葉は、そのマラルメをはじめフランス文学関連の膨大な文献を収めた鈴木家書庫のステンドグラスに刻まれていたという。そんな「一冊の美しい書物」に近付くための道行をこれから一年間、さまざまな書物を旅の道連れにしてここに記していくことになった。この旅が、同じく書物を愛する読者たちに何らかの土産をもたらすことを祈念して、第一歩の筆を擱こうと思う。

吉田 隼人(よしだ・はやと)
吉田 隼人(よしだ・はやと) プロフィール

1989年4月25日、福島県伊達郡保原町(現在の伊達市)に生まれる。
町立の小中学校、県立福島高校を経て、2012年3月に早稲田大学文化構想学部(表象・メディア論系)卒業。

2014年3月、早稲田大学大学院文学研究科(フランス語フランス文学コース)修士課程を修了。修士論文「ジョルジュ・バタイユにおけるテクストの演劇的=パロディ的位相」。現在は博士後期課程に在学。

中学時代より独学で作歌を始め、2006年に福島県文学賞(青少年・短歌の部/俳句の部)、2007年に全国高校文芸コンクール優秀賞(短歌の部)をそれぞれ受賞。

2008年、大学進学と同時に早稲田短歌会に入会。「早稲田短歌」「率」などに作品や評論を発表。

2012年、「砂糖と亡霊」50首で第58回角川短歌賞候補。

2013年に「忘却のための試論」50首で第59回角川短歌賞を受賞。早稲田短歌会ほかを経て、現在無所属。
「現代詩手帖」2014年1月号から2015年12月号まで短歌時評を連載。「コミュニケーションギャラリー ふげん社」ホームページに2014年11月からエッセイ「書物への旅」を連載。

2015年12月、歌集「忘却のための試論」を書肆侃々房より刊行。2016年、同著で3月に2015年度小野梓記念芸術賞受賞、4月に第60回現代歌人協会賞を受賞。