第4回 見ることのドラマトゥルギー 吉田 隼人(よしだ・はやと) 書物への旅(第1期) 2015.02.24 「見るために両瞼をふかく裂かむとす剃刀の刃に地平をうつし」(『寺山修司全歌集』、講談社学術文庫)……。ところで「見ること」について考えるとき、僕はいつも次の一節を思い浮かべる。 「私はいくつか心を顛倒させるような画像に助力を求めた。特に私は、私の出生以後に処刑されたらしいひとりの中国人の写真――あるいは時にはその記憶――を凝視した。この刑苦については、私はかつて一連の写真を手に入れていたのだ。最後にはその犠牲者は胸を抉り取られて身をよじり、手脚は肘と膝のところで切断されていた。髪の毛は逆立ち、見るもあさましい凄惨な姿は血で縞模様をなし、一匹の雀蜂のように美しかった。/私は「美しい」と書いた!……何ものかが私から脱け落ち、私から逃げ、恐怖が私を私自身から剥離させ、そして、まるで私が太陽を凝視しようとしたかのように、私の両眼は滑り落ちる。」(ジョルジュ・バタイユ『内的体験』出口裕弘訳、平凡社ライブラリー) ここに描写された「百刻みの刑」と呼ばれる写真をバタイユは若いころ、心身の不調のため通っていた精神分析家アドリアン・ボレル博士から見せられたといわれている。彼が本格的に文筆活動を始めたのはボレル博士に薦められてからのことで、その意味で、この写真はバタイユの作家生活にその出発点から付きまとっていたと言うことができる。そしてバタイユ最後の著作『エロスの涙』(森本和夫訳、ちくま学芸文庫)にこの写真は、ボレル博士から譲り受けた経緯を語るにあたって口絵として収められる。これがあまりに残虐で見るに堪えないものであったせいかどうかはわからないが、僕の手許にある『エロスの涙』の原著、10×18叢書の普及版からは一切の図版が削除されている。 ともあれ、バタイユはこの凄惨な光景をとらえた写真を凝視するという奇妙な操作のことを「演劇化」(dramatisation)と呼んだ。この演劇化なる概念についてはフランス語や英語の文献がいくつもあり、キリスト教や神秘主義思想との関連で論じられることが多いが、基本的にバタイユがここで言っているのは何らかのイマージュを凝視することでいまだ生きている「見る側=主体」としての私が、まさに死につつある「見られる側=客体」としてのイマージュへと同一化してゆき、遂には自己が消滅するという「脱我=恍惚」(extase)の境地に到るまでの操作のことである。キリスト教において同一化するのはたとえば十字架上のイエスであり、また「神」であったわけだが、バタイユにおいては「私は対象として神を選びはしなかった。私はあくまで人間の水準で、あの若い中国の死刑囚を選んだ」(『有罪者』出口裕弘訳、現代思潮社)ということになる。そしてこの写真を凝視することで彼は自我の解体にまで到達する。「この罪人に、私は恐怖と友情の絆でしっかりとつなげられていた。だが、この画像を完全な合一に至るまで眺めていると、私の中から、私が私だけでしかないという必然が抹殺されてしまうのだ」(『有罪者』)。 この「死なずに死ぬこと」(『内的体験』)を目指した凝視のことをバタイユが敢えて「演劇化」と呼んだのは、何かをじっと見つめることで対象に自己を同一化するのを演劇の観客――『内的体験』にはこうした人間存在の在り様を指す「観客的現存在」(l’exsistence spectatrice)という用語もある――になぞらえてのことだった。「〈人間〉はパンだけで生きているのではなく、喜劇によっても生きている。(中略)少なくとも悲劇においては、観客であるわれわれは生きていて、そうしながら、死につつある登場人物に自己同一化し、自分も死んでゆくような思いを持つ」(『純然たる幸福』酒井健訳、ちくま学芸文庫)。脱我とか恍惚とかいった境地には、プロティノスのような神秘主義思想家にとっても幾度となく瞑想を重ねても人生で数回ほど体験できるに過ぎなかったのを、バタイユは写真という補助器具を使用することでより容易に体験できるよう試みたのだ。 ところで前に三島由紀夫についての記事で、日本語ではどちらも「演劇」「演劇的」をさす単語でも、ドラマとかドラマティックとかいう語が古代ギリシャ語の「行動」に由来するのに対して、シアターとかシアトリカルとかいう語は同じ古代ギリシャ語でも「見る」ことに由来するのだと書いたが、バタイユもこの演劇化(ドラマティザシオン)という概念を発展させるかたちで、後年には英語のシアターに当たるテアトルとか、あるいは「見世物」としてやはり視覚的な含意のあるspectacleという言葉を用いるようになる。特にこのテアトルやスペクタクルという語彙が集中的に用いられる最晩年の著作『ジル・ド・レ裁判』――ジャンヌ・ダルクの戦友にして幼児大量殺人鬼として処刑されたジル・ド・レの裁判記録と関連資料を古文書学者であったバタイユが集成校訂したもので、そこに付された長大な序文と年譜のみが『ジル・ド・レ論 悪の論理』(伊東守男訳、二見書房)として邦訳されている――においては、主体はもはや観客の立場にはなく、逆に俳優の立場で、多数の公衆に見られながら処刑されるジル・ド・レその人になっている。ちなみに僕はバタイユの、特にこの著作を取り上げた修士論文を書いたのだが、フランス語ですら先行研究はきわめて乏しく(おかげで読むべき文献の量が少なくてだいぶ楽だった)、まして日本語となると皆無に等しい。ここでは澁澤龍彦「幼児殺戮者」(『異端の肖像』、河出文庫)と山口昌男「祝祭的世界」(『歴史・祝祭・神話』、岩波現代文庫)の二篇を挙げておこう。また、バタイユがこの著作を執筆するにあたって影響を受けた可能性のある(刊行年は一年差)論考として、彼の盟友ミシェル・レリスがアフリカでの人類学調査旅行をもとに書いた「ゴンダルのエチオピア人にみられる憑依とその演劇的諸相」(『日常生活における聖なるもの』岡谷公二訳、思潮社)、特にそこで「演じられた演劇」の対概念として挙げられる「生きられた演劇」(ル・テアトル・ヴェキュ)という概念についても紹介しておく。その地域に住むエチオピア人たちはザールという精霊を憑依させることで日常の様々な問題を解決するのだが、その憑依現象は常に誰かの視線のもとで――つまり観客立会いのもとで――しか起こらないというきわめて演劇的な性格を持っていたのだった。 閑話休題。ここまでバタイユにおける視覚や演劇の問題を書いてきたのは、僕が卒業論文から修士論文にかけて扱った思い入れのある主題だからというのもあるが、それ以上に『薔薇刑』展の予習のつもりで読んでいた細江英公『ざっくばらんに話そう』(窓社)にこんな一節を見付けたからだった。 「だから、『薔薇刑』という作品は、私のsubjective documentary、つまり主観的ドキュメンタリーということになります。言葉の上では矛盾しています。subjectiveは主観であって、ドキュメンタリーはobjectiveそのものですから。それは言葉を換えれば「subjective objectivity」のようなもので、訳せば「主観的客観」という。言葉の上ではありえないことになるんです。」 この一節はあくまで『薔薇刑』撮影を介した写真家と被写体=三島由紀夫との関係性について語ったものに過ぎないのかも知れないけれど、僕はそこにこれまでバタイユを題材に縷々綴ってきた「視覚を介した主体と客体の転倒」「主客の際の消失」という問題を見ずにはいられなかった。もっとも、演戯を介して主体と客体の境が消滅するかのような体験を求めることを、晩年の「行動の人」たらんとした三島由紀夫は、そうした「死の演劇」はしょせん演劇に過ぎず、それゆえ実際に命を賭ける武士と違って役者は低い身分に置かれていたのだ、と厳しく批判している(たとえば『三島由紀夫文学論集III』講談社文芸文庫)。演劇や文学において、どんなに執拗に死を表現したところでそれは偽物でしかありえない。三島にはそうした苛立ちが確かにあった。それはそれとして、細江英公『球体写真二元論』(窓社)所収の『薔薇刑』をめぐる対談で三島は、細江の「ああいう写真でお芝居を楽しんでらっしゃるんじゃないかというふうに受け取ったんです」という発言を受けてこう返している。 「お芝居ということは全然なかった。役者というものはオブジェだといっても主体的なものですから、表現意欲があるでしょう。しかし細江さんは表現意欲はなるたけない方がいいというから、いわれるままにやったわけで、ぼく自体の表現意欲がぜんぜんないということが、ぼくにとってはおもしろかった。」 お芝居とか役者とかいうことは抜きにしても、ここでオブジェ(客体)と主体の関係について語っているのが、写真集『薔薇刑』の撮影において「むしろ忠実な被写体であることに専念した」(『球体写真二元論』)三島由紀夫であることは傾聴に値する。写真家がobjectiveたらんとしつつsubjectiveにならざるを得なかったこの写真集において、一方の被写体はまったくのobjetとして振る舞ったのである。この複雑な主客関係のねじれが『薔薇刑』という、この写真集を視る者に異様な体験を強いている。それは「百刻みの刑」で生きながらに両手両足を切られ、肋骨を剥き出しにされ処刑される中国人の無惨な写真から眼を離せずにいるジョルジュ・バタイユの体験と、恐らくは同質のものである。 『薔薇刑』を読むなかで僕がつい「眼を惹かれる」のは、たとえば下着姿やヌードの女性が写り込んでいる作品であったり、あるいは柱時計と一体化して顔が隠れてしまっている写真のように、もはや三島由紀夫である必然性があるのかわからない作品であったりするのだが、それとは別に「眼を離せなくなる」のが、三島の「眼」を写した作品だった。表紙にもなった、薔薇を手にしてこちらをじっと見つめている写真など典型だが、モノクロームの画面上で抜けるように白く、らんらんと輝いてこちらを凝視してくる眼球。それは主体性を放棄してオブジェと化した被写体・三島由紀夫の眼であり、もしかすると何を見る意志も持たない眼という点では死者の見開いた眼球と変わらないかも知れないのだが、むしろそのゆえにわれわれの視線を頁上に呪縛する。そこで「太陽を凝視しようとしたかのように、私の両眼は滑り落ち太陽を凝視しようとしたかのように、私の両眼は滑り落ちる」(『内的体験』)のであり、「この画像を完全な合一に至るまで眺めていると、私の中から、私が私だけでしかないという必然が抹殺されてしまう」(『有罪者』)のである。 とりわけ、三島の眼球だけを大写しに撮ってルネサンス絵画をコラージュした大きな作品は、その眼の中に自分という存在がすべて吸いこまれてしまうようで、そこにおいて完全に「見る/見られる」関係、主体=客体の関係は転倒される。もはや安全地帯から主体という確固たる地位をもって客体を見るという構図は崩れ去り、そこにはただ得体の知れぬ客体に、何ものをも見つめていないはずの眼球に見られているという無気味さ、不安感、あるいは敢えて言うならば原初的にして存在論的な恐怖とでも呼ぶべき感情しかない。その感情はまた、あの処刑される中国人の写真に出会って間もない頃のバタイユが、やはりボレル博士による精神分析治療のなかで執筆に至った荒唐無稽なポルノ小説『眼球譚』(生田耕作訳、河出文庫・角川文庫クラシックスほか)のクライマックスにも見出されることだろう。そこで殺された僧侶ドン・アミナドの眼窩から切り取られ、ヒロインである淫蕩な娘シモーヌの女性器に挿入された眼球は、かつて「私」とシモーヌによる乱交のなかで気が触れて死んでしまった少女マルセルの眼へと変貌を遂げる。そのとき「私」と読者はもはや主体たりえず、ただ死者の眼に晒されることで根源的な不安を体験するのである。 「私の眼玉はあたかも恐怖のあまり勃起し、いまにも頭蓋から飛び出すのではないかと思えるばかりだった。シモーヌの毛むくじゃらの陰門の中に、私はありありと見たのである。マルセルの薄青色の眼玉が小便の涙を垂らしながら私を見つめているのを。湯気立つ毛叢のなかを幾筋も伝い流れる淫水が、この月世界めいた幻に悲痛な悲しみの趣を添えるのだった。」(『眼球譚[初稿]』生田耕作訳、河出文庫)