第4章 言葉がない Beatrix Fife “Bix” テープレコーダー (日本語) 2019.03.06 学校で昼食をとったあと、まだ一年生の弟は、ときおり私と一緒に食堂の前の広い校庭で遊んでいた。 ある日、木の周りにめぐらされた小さな柵の上の鉄棒に乗っかって、バランスをとる遊びをした。 どんなふうにバランスをとるかを私が教える。すると弟が真似をする。 ところが、弟が突然うしろにひっくり返り、レンガの塀に頭をぶつけてしまった。鈍い音と、そのあとに続いた弟の低く長い叫び声を、今でも覚えている。弟の頭の周りに暗い色の血のしみが広がり、それがどんどん大きくなっていく。 どうしたらいいかわからなかった。 イタリア語のできる友達は近くにいない。ほかの子たちは私たちのことなんか気にかけてもいない。 誰も来ようとしなかった。助けを求めてフランス語をしゃべろうとした。でも、誰もわかってくれない。 いくらか近いところに男の人がいて、監視員のように見えた。走って行って、助けてほしいと叫んだけど、口から出てくるのはイタリア語だけだ。その人はただ肩をすくめ、私を無視した。 私は弟の頭の下の血だまりに手を入れて、男の人のところに駆け戻った。手についた血を見せ、もう一方の手で柵のほうへと懸命に引っ張る。そのときだ、弟に目をとめた彼は、何が起こったか見てとった。彼は弟を両腕で抱え上げた。後頭部に大きな黒い裂け目があって、そこからたくさんの血が流れ出ている。その血が地面に点々と落ちていく。その人が弟を保健室のあるらしい建物へと抱きかかえていったのだ。一緒に行きたかった。だけど、男の人は頭を横にふって、入ってはいけないと合図した。私には何も説明できなかった。その子が私の弟だということも、これが私のせいだということも。 私に何ができただろう? 話せる言葉がないのだ。 だから、ただ外で待つしかない。 アヴェ・マリアに祈ることにした。弟が血を全部なくしてしまって、死んだりしないように。十字を切っていると、イタリア人の友達が集まってきた。みんな、監視員が弟を運んでいくのを目にしていたのだ。何が起こったかを説明すると、誰もが弟は死んだりしない、お母さんだってそんなに怒ったりしないと言ってくれた。 その日が終わると、お母さんが学校の外で待っていた。ほかのお父さんやお母さんたちと一緒だ。弟が車の中にいるのが見えた。ニコニコしていて、でも頭に大きな包帯をまいている。それから、私はお母さんからこっぴどく叱られた。厳しく問い詰められた言葉はノルウェー語だった。 なぜ、弟と一緒に保健室に行かなかったの? 答えられないでいると、お母さんは同じ質問を繰り返した。 私は泣き始めた。 このときもまた、言葉が出てこなかった。 何をどう言ったらいいのかわからない…… この子は私の弟で、これは私のせいなのだということを言いたいのに、どう言えばいいかわからなかった——そのことを、どう説明したらいいのかわからなかったのだ。 そのとき私が悟ったのは、この新しい国の言語を学ぶことは、私の愛する人たちの命を救うために必要なのだということだった。フランス語を話せることは、生きるか死ぬかの問題になろうとしていた…… イタリアの高速道路を走る車中にて「アウトストラーダ・デル・ソーレ(太陽の高速道路)」の説明書きは母の文字 弟と私 怪傑ゾロに扮した弟と長靴下のピッピ姿の私、イタリアのカーニヴァルにて 兄と弟と、イタリアの浜辺にて