第8回 写真家がいるとしたらカルバンは嘘つきだ 新納 翔(にいろ・しょう) Peeling City 2016.03.31 「匂いが伝わってくる写真だ」 その発言者は薬物中毒者の可能性が著しく高い。すぐに病院へいくように助言するのが適切な対応だ。 それが比喩表現だとしてもそんな事を今の時代に言うようでは救いようがない。 写真というものは絵画と違い、その景色はかつてどこかに確実に存在していた。カメラを通して切り取ってくるというだけの行為なのに、なぜそこに芸術性のようなものが生じるのであろうかとしごく疑問に感じていた時期がある。 あれはいつの事だっただろうか、まだ私がフィルムカメラを使っていた頃の話なので2005年よりは前のことであるが、景色を切り取る作業にどの程度己の意識が介在しているのか実験したことがある。 実験といってもそれが正確な答えを導くものであったか甚だ疑問であるし、その時分はどうにも頭が硬かったのだろうと我ながら愚直であると思うが、元来理系頭なので写真をはじめた頃はなにかと「明文化された明確な解」を求めていたのだと思う。 実家の近所の道をまずはいつも通り自分の意志にまかせてスナップした。そしてフィルムを詰め替えて今度はなるべく自分の意志を排除するためにカメラをセルフタイマーモードにし、ストラップを手首から垂らし、自分自身ゆっくり回転しながら道を進んでいった。 そうすればカメラは私の意志とは関係なく景色を切り撮るはずだ、と考えたわけである。ブレブレ写真にならないように高感度のフィルムを用いてシャッタースピードが高速になるように配慮した。 一つ断っておくが私は不審者ではない。 帰宅し、風呂場で現像したフィルムを取り出してみると予想に反した結果が出た。たいした差がなかったのだ。これは私の腕がないということを除いても意外な結果であった。 カルバンの予定説ではないが、写真家もじつは単に決められたものを撮らされているだけの存在だったのかもしれない。お粗末な実験ではあるがこのことが示唆することは、写真行為というものは何か大きな革新がなくれば時期他のメディアに淘汰されても仕方ないということなのかもしれない。 意味のない思考に浸っている分疲れるので、自分が知る限り一番矛盾が交錯しあう街、池袋へスナップにくりだした。しかしそれもまた、予め決められていたことなのかもしれない。 『Peeling City』記事一覧 連載コラム一覧に戻る ご感想はこちらのフォームからお寄せください 写真展のお知らせ 新宿ベルクにて、4月いっぱい7年働いた山谷の旧作とその後の新作を交えた写真展を開催します。 ふらっと立ち寄ってみてくださいませ。 新納翔写真展 Another Side 2016 日時 4月1日(金)から4月30日(土)まで 会場 ビア&カフェBERG 〒160-0022 東京都新宿区新宿3−38−1 ルミネエスト新宿 B1 http://www.berg.jp/ 5月より写真ワークショップ2016(講師:新納 翔)開講します・・・ 詳しくは画像をクリック 新納翔 ▶︎HP ▶︎Twitter ▶︎Facebook 築地0景 展覧会ページ(2015,6) Tsukiji Zero 写真集 お申し込みはこちら