第8回 翻訳の悪無限――コトバの/と哲学 吉田 隼人(よしだ・はやと) 書物への旅(第1期) 2015.07.14 ここのところ、古井由吉を読んでいる。大学院に入った年の秋だったか、ゼミで(仏文科のゼミなのに)この作家の小説を強く推奨されて以来、何度となく挑戦しては挫折を繰り返してきた。薦められたのは御多分に漏れず、古井の言語実験が行きつくところまで行ってしまった極北とでも言うべき時期の三作品、『槿(あさがお)』、『山躁賦』、『仮往生伝試文』だったが、この夏ですべて講談社文芸文庫に収められるこの三作品はいずれも小説ともエッセイともつかない奇妙なテクストながら、それでいて濃密な文学言語によって読者を虜にして離さない。しかし、いかんせん言語が濃密すぎて集中力が、というよりはむしろ体力が持続せず、三作品とも手許に単行本を揃えていながら、山で言えばまだ三合目といった辺りで引き返してしまっている。 そういった次第であったが、河出書房から昨年になって出た『半自叙伝』という本、これは河出から出た『古井由吉 作品』と『古井由吉自選作品集』という二つの著作集に付いていた月報の文章をまとめたもので、かなり読みやすい、それでいて滋味に満ちたエッセイ集になっていたので再読三読し、たっぷり味わった。『半自叙伝』というだけあって過去の自著への言及も少なくなく、そこで興味をもって次に手に取ったのが『神秘の人びと』(岩波書店)だった。金沢大学と立教大学で独文学者としてのキャリアから出発した古井由吉は、オーストリアの作家ロベルト・ムージルの研究(ムージル関係の文章や講演は全て岩波書店から刊行された『ロベルト・ムージル』に収められている)と翻訳から出発して小説家に転身した人であるが、研究者としては現代のムージルから遡るかたちでノヴァーリス、そして神秘主義思想へと関心が移っていったと書いている。その神秘主義への関心を独文学者としてではなく作家として改めて扱ったのが『神秘の人びと』だった。 この本は岩波書店の雑誌『世界』の連載をまとめたもので、『我と汝』(岩波文庫)などの著作で知られる宗教哲学者マルティン・ブーバーの編纂した神秘主義者――というか、神秘的な体験をした中世の修道女など――のドイツ語によるアンソロジーを、古井由吉がひたすら読んでいくという、関心のない人にとっては地味なことこの上ない構成になっている。アンジェラ・ダ・フォリーニョとか、アビラの聖テレジアとか、たまに見覚えのある名前に出くわさないでもないが、基本的に僕の知らない人ばかりが出てくる。そうした神秘主義者(あるいは神秘体験者とでも言うべきか?)たちのドイツ語に訳された言葉を古井由吉は毎回、毎回、ひたすら律儀に日本語に置き換えて……というか日本語に置き換えることの困難に身を晒して、ああでもない、こうでもない、と悩んでみせるのである。自分でも一回ぶんを読み終えるたびにふう、と一息ついて、別に神秘主義にことさら興味があるわけでもないのに、どうして自分は飽きもせず読み続けているのかと不思議になるような、そんな本だった。 そんな本をどうして飽きもせず、逆流性食道炎やら腰痛やら体調不良に悩まされながら牛歩のごとく読み続けているのかと、その不思議を改めて考えてみると、結局のところ、ここで扱われているのが「翻訳」、あるいはその不可能性の問題だからだろう、という考えに至った。古井由吉が読んでいるのは、ラテン語やスペイン語、イタリア語や古いドイツ語から現代のドイツ語に翻訳されたアンソロジーで、それをさらにドイツ語から日本語に翻訳しながら考えを深めたり進めたりしている。その訳文も、つい日本語として座りのよい表現に意訳しようとする自分の手つきを戒めて、語学の授業の模範答案のような、とにかく原文を少しでも歪めずに伝えようと苦悶した末に選ばれたであろう味もそっけもない文章である。そもそも神秘主義者の体験そのものが言語化を拒むような、とうてい言葉に置き換えることなど不可能なものであって、それをどうにか忠実に言語化しようとする神秘体験者自身による最初の試みの段階で既に、それは「翻訳」と呼ぶべき何物かであったはずだ。こうして幾重にも「翻訳」という、どうやっても原文ないしは元になった体験を歪めてしまう不実な行為を、それでもできる限り誠実でたらんとして重ねていくことで、元になっている神秘体験の方へと少しでも近付こうとする、そんな不毛とも言える試みとして、僕は『神秘の人びと』という本を面白く読んだのであった。 古井由吉は独文学者をやめて作家専業に移った後も断続的に読んでいたというホフマンスタールについて、その著作ではなく彼が手掛けたギリシャ悲劇「オイディプス王」のドイツ語訳を取り上げて「認識の翻訳者」というエッセイ(『古井由吉全エッセイ1 日常の“変身”』河出書房新社)も書いているぐらいだし、何よりムージルの『愛の完成・静かなヴェロニカの誘惑』(岩波文庫)の邦訳を通じて研究者から作家へと転身したという経緯もあって、「翻訳」という問題にこだわった書き手だとみていいだろう。こういう「翻訳」にこだわってコトバの問題と真摯に向き合い続けた作家として、一見すると古井由吉とは対照的に思われるかも知れないけれど、僕は田中小実昌を思い出した。 田中小実昌を読むようになったのも同じ先生から、これは大学院に上がる前、まだ学部生の頃のゼミで薦められたのがきっかけだった。不思議なキリスト教系の宗教団体を主宰していた父の思い出や従軍体験などを、記憶とコトバの不確実さに戸惑い、何度も疑いを差し挟み、行ったり来たり堂々巡りを繰り返しながら書こうとする短編集『ポロポロ』(河出文庫)や『アメン父』(講談社文芸文庫)といった代表作も好きだが、そのころ集中的に読んだのは「哲学小説」と仮に呼ばれている、エッセイとも小説ともつかない妙な文章ばかりだった。『なやまない』(福武書店)、『カント節』(福武書店)、『ないものの存在』(福武書店)、『モナドは窓がない』(筑摩書房)といった単行本に収められた「哲学小説」というのはどれも、カント、スピノザ、ライプニッツといった岩波文庫に入っている哲学書の翻訳や、あるいは日本の哲学者だと西田幾多郎などの著作を、田中小実昌(とおぼしき語り手)がただひたすら読んでいるのを――途中で女との関係や二日酔いの夜などの描写が入り込むこともあるけれど――書いただけの小説である。『ポロポロ』や『アメン父』が個人的な体験を小説のコトバに「翻訳」することの困難に向き合うことそのものが小説になったような作品だとすると、このへんの「哲学小説」は自分の個人的な体験ではなく翻訳の哲学書、あるいは日本語でも簡単には読めない哲学書のコトバをめぐって、やはり同じ困難――つまり広い意味での「翻訳の不可能性」を題材とした作品といえると思う。 田中小実昌も古井由吉と同じように翻訳から出発した小説家だった。こちらは東大の哲学科を中退して米軍基地の手伝いからヤクザまで様々な職を転々とした末、英米圏の現代ミステリー、特にハードボイルドものを多く翻訳するようになった人なのだけれど、翻訳という困難にぶち当たったことでコトバを紡ぎだす仕事に就いたという経緯そのものは古井由吉とよく似ている。実際、『田中小実昌エッセイ・コレクション5 コトバ』(ちくま文庫)には翻訳をめぐる文章がたくさん収められているが、そこには繰り返し「翻訳は裏切り行為だ」というクリシェが登場する。これはイタリア語の「翻訳者」と「裏切者」やフランス語の「翻訳する」と「裏切る」など、ラテン系の言語においてこの二つの単語がよく似ていて韻を踏めることから来た言い方で、日本語でも翻訳のことを「反訳」と書くことがあるけれど、「謀反」なんて熟語もあるぐらいだから、その字を使う人はもしかするとこの「翻訳」と「裏切」の掛詞を日本語でも再現しようとしているのかも知れない。 ともあれ、やはり「翻訳」というかたちでコトバの問題と向き合ってきた田中小実昌が特別に推奨する哲学書の翻訳が、真方敬道の訳したベルクソン『創造的進化』(岩波文庫)だった。カントやスピノザと違ってベルクソンを題材にした「哲学小説」は書かれていないけれど、ベルクソンは特にお気に入りの哲学者だったらしく、真方の師匠にあたる河野与一の訳した『思想と動くもの』(岩波文庫)や林達夫訳の『笑い』(岩波文庫)なども好んで読んでいるし、旧制福岡高校(現在の九州大学)でフランス語を第一外国語として学ぶ文科丙類に進学して最初に買ったフランス語の原書はベルクソンの『形而上学入門』だったともいわれている。そんなコミさん――と、会ったこともないのに親しげに呼んでしまいたくなるようなところが、この作家にはある――は『創造的進化』の訳文を褒める(『エッセイ・コレクション5』所収「翻訳あれこれ」など)だけではなく、対談(同書所収「田中小実昌と『アメン父』――富岡幸一郎によるインタビュー」)ではこの文庫本に付されたささやかな解説の文章も激賞している。 そのあたりの事情が伝わったらしく、コミさんのもとには真方の遺族から遺稿集『異教文化とキリスト教の間』(南窓社)が送られ、その書評も書いている。真方はこの本に収められた「上の山にて」という教え子によるインタビューの中でベルクソンの翻訳に触れ、「翻訳は拷問でね」とか「名文ほどそうで、ベルクソンと十年間悪戦苦闘して私は翻訳不能論者になりました」とかいった発言を残しており、書評でもこのくだりが引用されている。真方は理系出身のため作文は苦手だったと同じインタビューの中で語っているが、この本に収められた論文やエッセイはもちろん、博士論文を収めた『中世個体論研究』(南窓社)でも、とても博士論文とは思えないほど平明で美しい文章が綴られている。真方もまた、古井由吉や田中小実昌と同じ「翻訳」の問題を通して日本語を磨き、コトバと向き合った書き手であったといえるだろう。真方の教えていた東北大学の哲学科に学んだ木田元は、彼の古典語や古代中世哲学についての授業を多く取りながらも仲が悪かったらしく、『闇屋になりそこなった哲学者』(ちくま文庫)ではちょっと嫌味っぽく真方の姿が描写されているけれど、そんな木田も『創造的進化』の訳文は「癖はあるけれど、これはいい翻訳だと思います」と評価している。 この種の「翻訳の不可能性」という問題は、大学三年のときゼミで田中小実昌を薦められて以来ずっと僕の中で持続している。大学三年の終わりにゼミで出した論集には、そのときテクストに使っていた谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』(中公文庫)と九鬼周造の『「いき」の構造』(岩波文庫ほか)を題材に、この二著の英訳や仏訳も参照しながら、田中小実昌のエッセイを少し絡めて「翻訳不可能性」の問題についてレポートを書いた。この二つの日本文化論はどちらも「文化の翻訳は可能か?」という問いのかたちで「翻訳」の不可能性あるいは困難さという課題にぶち当たっており、実際『「いき」の構造』は「いき」という言葉がヨーロッパ諸語(九鬼は裕福な男爵家の生まれで長期の留学が可能だったこともあり英独仏語に堪能だった)にうまく翻訳できないことを確認するところから説き始められている。ある国の文化は別な国の人間には理解することができないという、一歩間違えば偏狭なナショナリズムに陥りかねないこの主題――実際、晩年の九鬼周造は戦争へと向かう時代に応じて、ややそちらの方向に傾きかけていたふしがある――を、僕はより普遍的な、ある人の体験は他者には絶対に理解できない、それでも伝達せずにはいられないために人間は体験をコトバへと「翻訳」することでその不可能性に、その困難に向き合わねばならないという図式へと開くことで論じようとしたのだった。 体験とコトバの間のこのアポリアに、それでも挑まずにはいられない人間の因果な運命を九鬼周造はこう書いている。 「例えば、日本の文化に対して無知な或る外国人に我々が「いき」の存在の何たるかを説明する場合に、我々は「いき」の概念的分析によって、彼を一定の位置に置く。(……)そうして、意味体験と概念的認識との間に不可通約的な不尽性の存することを明らかに意識しつつ、しかもなお論理的言表の現勢化を「課題」として「無窮」に追跡するところに、まさに学の意義は存するのである。「いき」の構造の理解もこの意味において意義をもつことを信ずる。」(『「いき」の構造』) ここで九鬼が使っている「無窮」という言葉は、留学中に親交のあったベルクソンに由来する言葉だと思うが、この同じ言葉が『「いき」の構造』の別なところではこのように使われている。 「媚態の要は、距離を出来得る限り接近せしめつつ、距離の差が極限に達せざることである。可能性としての媚態は、実に動的可能性として可能である。(……)「継続された有限性」を継続する放浪者、「悪い無限性」を喜ぶ悪性者、「無窮に」追跡して仆れないアキレウス、この種の人間だけが本当の媚態を知っているのである。そうして、かような媚態が「いき」の基調たる「色っぽさ」を規定している。」(『「いき」の構造』) 古代ギリシャの哲学者、エレアのゼノンが提唱した「永遠に亀に追い付けないアキレス」のパラドックスはそれこそベルクソンが『時間と自由』(岩波文庫ほか)で見事に論破しているけれど、九鬼はこれを「永遠に手の届かない相手をそれと知りつつなお追いかけ続ける」という男女の関係に置き換えて、極限まで接近しつつも決して結ばれることのないエロスの究極のかたちを「いき」と呼んだ。「いき」という、コトバには翻訳しえない体験をそれでもコトバによって何とか翻訳しようとする、そんなともすれば不毛な「無窮」の行為に、すなわち「悪い無限性」に身を投ずることこそが既に「いき」なのだ。不可能性を重々承知の上で、それでも翻訳という「悪い無限性」に取り組まずにはいられない人々の姿は、そのまま古井由吉や田中小実昌の姿にも重なってくる。コミさんはこう書いている。 「翻訳には、ほんとにどうしようもないことがいっぱいある。だから、翻訳は裏切り行為だ、なんてことどころか、もともと不可能な、無理なことをやってるとしかおもえない。/それでも、おもしろい作品にぶつかると、翻訳したくなる。これだって、ほんとに好きな作品、惚れた作品は、惚れてるからこそ、翻訳なんてできるもんじゃありませんよ、と言う人もあるだろう。そんな人の、そういうコトバも、ぼくはわかる。しかし、そういう人と、いっしょに酒を飲む気はしない。むこうだって、おんなじだろう。」(「翻訳あれこれ」『田中小実昌エッセイ・コレクション5 コトバ』) 翻訳という、コトバの根源に横たわる手ごわい不可能性、恐るべき困難の前に身震いしつつ、それでも何かを自分の手許にあるコトバへと「翻訳」しなくては気が済まない人間の、苦し紛れのもがき。そのもがきこそがコトバと真摯に向き合うということであって、正しい日本語だとか、美しい言葉遣いだとか、そんなものを押し付けることとは何の関係もないのである。 この問題はたとえば、去年刊行された素晴らしい研究書、大森晋輔『ピエール・クロソウスキー 伝達のドラマトゥルギー』(左右社)で著者がフランスの作家・思想家クロソウスキーに託して論じた「伝達不可能なものの伝達」としてのシミュラクル概念にも通じているだろう。また、クロソウスキーと近しい時代に近しい位置でフランス文壇という星座を形成していたモーリス・ブランショやジョルジュ・バタイユ、あるいは『タルブの花』(野村英夫訳が書肆心水から刊行された『言語と文学』に所収)のジャン・ポーラン、『ことばの小形而上学』(篠沢秀夫訳、みすず書房)や『ことばの思想史』(三嶋唯義訳、大修館書店)のブリス・パランといった人たちもまた、九鬼周造の表現を借りれば、コトバとか翻訳とかいった「悪無限」に挑み続ける「いき」な書き手だということになるわけだが、それはまたいつか書くことにして、ひとまず筆を擱くことにしよう。