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第1回 門前町が栄えたころ 【島根県出雲市】

2019.02.01

『出雲国大社観光史 参詣地から観光地へ』

大社史話会 2014年

 

地方の書店や図書館に行くと、その地元で出版された書籍や雑誌のなかに「こんなの知らなかった」というタイトルを見つけることがある。少部数だったり私家版だったりで、流通に乗りにくく、都会の書店に並ぶことがない本がたくさんあるのだ。この連載では、全国区じゃないけれど、埋もれさせておくにはもったいない本を紹介する。ふげん社で毎年企画させてもらっているシリーズ「地域からの風」の、いわば書評版です。

大社駅の一箱古本市に参加する著者(提供 BOOK在月) 

今年4月16日、島根県出雲市のJR旧大社駅の駅舎で、「いづも一箱古本市」が開催された。その経緯は拙著『町を歩いて本のなかへ』(原書房)のあとがきで記したが、自分が生まれ育った出雲市で、初めての一箱古本市が開催できたことが嬉しかった。

会場には、一箱古本市の出店者のほか、大社史話会がブースを出していた。1973年に「大社町に古くから語り継がれていた神話・民話・口伝などの史話を広く町内から集め、貴重なものを郷土の文化資料として後世に語り継ぎ保存する」ことを目的に発足し、『大社の史話』という会報を発行してきた。

この日は、バックナンバーを手に取って見られるようにしていたが、その中に目を引く単行本があった。『出雲国大社観光史 参詣地から観光地へ』というタイトルに興味を感じ、その場で買った。こういう本はすぐに買っておかないと、あとで手に入らなくて悔やむことが多い。

出雲大社の歴史を記した本は多いが、近代以降の大社の町の様子が判る本はあまりない。だから、本書は貴重ではないかと思ったのだが、読んでみるとその予想は的中していた。地元出身者には、ページをめくるたびに、懐かしく感じるあれこれや、まったく知らないことが次々出てきて面白い。

 

地元と書いたが、出雲市の南部にある私の実家と、出雲大社は車で30分ぐらいの距離がある。出雲大社のある大社町は、2005年(平成17)に合併して出雲市になったが、雰囲気の異なる別の町だという印象が強い。

実家に住んでいる頃は毎年、家族で出雲大社に初詣し、出雲そばを食べるのが恒例だったが、それは大社の町のいわば「ハレ」の面で、ふだんの町の表情を知る機会はあまりなかった。

高校3年の冬休み、友人に誘われて、大晦日に出雲大社のそば屋でアルバイトをした。夜中から明け方までひっきりなしに客が訪れ、慣れない接客にぐったりと疲れた。解放されてから、午前中の「神門通り」を歩いたのだが、土産物屋が立ち並ぶメイン通りなのに、人の姿がまったく見えなかった。元旦ということもあるが、開いている店はまったくなく、パチンコ屋で人生初のパチンコをやってから家に帰った。あの寂れた通りの様子は、いまでも記憶に残っている。

大社駅 正面

本書を読んで、その神門通りができたのは、さきほどの一箱古本市が開催された大社駅の設置がきっかけだったと知った。

1912年(明治45)に出雲今市(現在の出雲市駅)-大社間が開通した。それまで出雲大社への参道は東と西の二つがあり、両者が駅の誘致を競った。そのため鉄道院が中間地点への設置を提案したのだという。

 

「こうして従来の参詣道からも離れた町外れに大社駅が設置されたことが、のちの神門通りの開設につながるのである」

1915年(大正4)、この通りにいま出雲大社を訪れる人が目にする大鳥居が建立されたことで、新しい参道としての認知が高まった。

これにより、大社駅から大社への入口までの道には、旅館、飲食店、土産物屋が立ち並び、活況を呈した。竹内まりやの実家として知られ、いま存続の危機が噂されている旅館〈竹野屋〉も、この神門通りに面している。旧大社駅の向かいにある、私が日本一うまい出雲そば屋だと確信している〈大梶〉は、元は旅館だったという。

しかし、団体旅行が流行した昭和30年代をピークに、モータリゼーションの普及によって、大社を観光したあとはバスや乗用車で移動して玉造温泉に宿泊、というコースができてしまった。

さらに、1972年(昭和47)に外苑に大駐車場が設けられ、神門通りを歩かなくても直接、境内に入れるようになった。隣接して、団体客を収容できる大きな〈大社観光センター神苑〉もできた。私が子どもの頃には、すでにここから歩くのが普通のコースになっていたのだ。

大社駅 構内

本書にはこのほか、出雲大社とその門前町である杵築【きつき】をめぐる興味深いエピソードが紹介されている。

江戸時代には、幕府が出雲大社の遷宮の資金を出さない代わり、勧化【かんげ】(自社の造営や修復のために金品の寄付を進める行為)の権利を与えたことで、出雲御師と呼ばれる人たちが全国を回って出雲大社の神徳を説き、寄付を集めた。彼らは同時に、信者たちに出雲大社への参詣を勧めた。多くの人たちが「講」を組んで出雲大社へ参詣し、それにより町が賑わったのだ。

また、杵築では1736年(元文元)から132年間、年に二回の富くじ興行があり、旅館、煮売り(料理の仕出し)、酒屋などに現在の通貨で20億円もの経済効果があったという。

「富くじ興行は、杵築住人にとって、途方もない利益をもたらす『打ち出の小槌』だったのである。杵築では町を挙げてこの富くじ興行の運営に携わったが、その見返りは十分にあったことになる」

この富くじは明治政府により廃止された。現在やっている宝くじでは、国に収益があるばかりで、このように町全体が盛り上がることはあり得ない。いまからでも、「出雲大社くじ」として復活させればいいのにと思う。

伊勢神宮でも同じだが、遷宮は該当する年だけでなく前後何年にもわたる大イベントだ。2013年(平成25)の「平成の大遷宮」では、御本殿の修復が行なわれる過程を公開したこともあり、多くの観光客が出雲大社を訪れた。これまで淋しかった神門通りにも、古い建物を生かした新しい店が増えている。

 

しかし問題は、遷宮の影響が薄れたあとに、この通りがどうなっていくかだろう。「参詣地から観光地へ」の変化をたどった本書には、これからこの町がどうなりたいかを考えるヒントが詰まっている。

そして、出雲大社以外の、かつては栄えたがいまでは寂れている多くの町にとっても、そのヒントは有効なのではないだろうか。

 

(文・写真 南陀楼綾繁)

南陀楼綾繁
南陀楼綾繁 プロフィール

1967年、島根県出雲市生まれ。ライター・編集者。

早稲田大学第一文学部卒業。明治大学大学院修士課程修了。

出版、古本、ミニコミ、図書館など本に関することならなんでも追いかける。

2005年から谷中・根津・千駄木で活動している「不忍ブックストリート」の代表。各地で開催される多くのブックイベントにも関わる。「一箱本送り隊」呼びかけ人として、石巻市で本のコミュニティ・スペース「石巻まちの本棚」の運営にも携わる。本と町と人をつなぐ雑誌『ヒトハコ』(書肆ヒトハコ)編集発行人。著書に『一箱古本市の歩きかた』(光文社新書)、『ほんほん本の旅あるき』(産業編集センター)、『町を歩いて本のなかへ』(原書房)などがある