第13回 かすかに聞こえる本の声 【広島県尾道】 南陀楼綾繁(なんだろう・あやしげ) 全国区じゃない本 2018.12.05 『私の昭和・出会った人々』 高橋玄洋(ユー企画印刷) 岡山で乗り換えた電車は1時間ほど走ってから、尾道へと入った。さっきまで私たちがいる左側の車窓からは太平洋が見えていた。いまはそこからは住宅街が見える、反対側の窓には山が迫っている。 向かい側の席に座るカラサキアユミさんが「この辺りが〈弐拾dB〉ですよ。……あっ、藤井くんが自転車に乗ってる!」。遠くを眺めていた私は、慌てて指差されたほうを見たが、すでに駅のホームが近づいていた――。 今回の旅は3日前にはじまった。木曜に高松港から船に乗って男木島に着き、夫婦で営む〈男木島図書館〉を訪れた。金曜日は高松市の商店街で、「ポリ裏ブックバザール」というイベントがあり、本を売ったりトークイベントをしたりした。 この日、門司からやってきたカラサキアユミさんと合流し、高松の古本屋をめぐった。カラサキさんは古本屋好きが高じて、古本屋めぐりの日々を描いたマンガをツイッターに投稿。それをまとめた『古本乙女の日々是口実』(皓星社)を今年上梓した。その彼女を引っ張り出して、一緒にトークをしようと目論んだのだ。 土曜日は綾川町立図書館で「ちいさな出版物の『設計図』をつくるワークショップ」。夜にはまんのう町の〈numar〉というカフェで、カラサキさんとのトークを行った。そして、日曜の今日は、前回も登場した中俣保志さんの案内で、丸亀の町を自転車で回り、昼前の電車で出発した。ここまででも書きたいことは山ほどあるが、すべて略して先を急ぐ。 尾道駅のホームで降りて、一息入れていると、細面の美青年が改札口にやってきた。〈古本屋 弐拾dB〉の藤井基二さんだ。まだ25歳と若いが、2016年にこの店を開業している。カラサキさんは以前、この店を訪れて意気投合したらしく、3つぐらい年下の藤井さんを「藤井くんはねえ」とお姉さんぶっていて、微笑ましい。まあ、昨日までおじさんばっかりに囲まれていたからね。 私が尾道に来たのは、何年ぶりだろうか。青春18きっぷでどこかに旅した帰り道、時間が余ったので立ち寄った。その頃は林芙美子が少女時代を過ごした町ということも知らず、『転校生』『さびしんぼう』など大林宣彦映画のロケ地っぽいところを歩き、泊まらずに次の目的地に行った。 線路沿いに歩いていくと、林芙美子の銅像があり、そこから本町商店街のアーケードに入る。この日はイベントがあったようで多くの人が歩き、元の判らないコスプレ姿が混じる。「これだけ人が出ていても、ぼくの店には関係ないですけどね。昨日は全然お客さんが来ませんでした」と藤井さんはつぶやく。新しい店も多いが、昔からやっていそうな飲食店、喫茶店もある。元は銭湯だった店や1923年(大正12)に建設された尾道商業会議所記念館などにも惹かれる。途中、〈尾道書房〉という古本屋に寄り、文庫本などを買う。 ゲストハウス〈あなごのねどこ〉の通路 私が泊まるゲストハウス〈あなごのねどこ〉に到着。京風の奥に長い町家で、手前がカフェ、奥がゲストハウスになっている。さらにその奥の中庭には小屋が建っており、〈紙片〉という古本屋になっているのだが、いまは休業中ということで残念。荷物を置いて、近くのお好み焼き屋に入り、ビールと牛すじの入ったお好み焼きを食べる。うまい。 イベントの準備で寝不足だという藤井さんは、「ぼく、悲しいんです」とカラサキさんに話していた。若くてかっこよくて、好きな仕事で店を持ち、聞けばカワイイ彼女までいるというのに何が悲しいんだ。こっちこそ、自分のことを思うと悲しくなってくるよと、心中で愚痴る。 <弐拾 dB> 商店街から裏の通りに進むと、飲み屋街になる。この辺りは夜には賑わうのだろうが、いまはひっそりしている。もっとも、看板は残っているが廃業した店も多そうだ。さらに細い道に入ると、昔は病院だった建物にたどり着く。ここが藤井さんの店なのだ。病院時代の受付を帳場にしている。詩が好きだという話だったが、それにこだわらず、幅広い本を置いている。新刊やリトルプレス、CDも扱う。雑多だが、なんとなく筋のようなものも感じられる、私の好きなタイプの古本屋だ。 <弐拾 dB> 藤井さんは平日は先のゲストハウスで働きながら、夜11時にこの店を開け、朝方まで営業する。土日は昼間に開ける。 トークの前にちょっと町をぶらつこうと、一人で出かける。山陽線のガードをくぐった先に尾道市立中央図書館がある。例によって、郷土資料のコーナーを眺め、数冊引き出して席に着く、周りは受験勉強している学生ばかりだ。林芙美子の本をめくっているうちに眠くなってくる。連日のイベントと移動に加えて、昨夜泊まった丸亀のゲストハウスで相客がうるさくて寝不足だったのだ。いっこうに頭に入らないので、棚に本を戻して館を出ると、もう外は真っ暗だった。 ゲストハウスにチェックインして、〈弐拾dB〉に戻る。棚の本を眺めて待つうちに、お客さんがぼちぼち入ってくる。20人ほどに奥の部屋の床に座ってもらう。カラサキさんのファンだという神戸の古本屋ご夫妻もいる。昨日の〈numar〉のトークで話し残したことも多く、古本屋と古本についてあれこれ話しているうちに時間が過ぎていく。横にいる藤井さんに、気になっていた店名の由来を尋ねると、「学生時代に同人誌のタイトルにしようと思っていたんです。20デシベルはかすかに聞こえるレベルの音です。本のかすかな声に耳を傾けたいと思って付けました」と答えてくれた。終わってからも二人の本やリトルプレスを買ってくれる人が多く、ありがたかった。 カラサキアユミさんと藤井甚二さん このあと6人で駅の近くの居酒屋に行き、さらに林芙美子像を見下ろすビルの3階にある〈YES。〉というバーへ。薄暗いなかで、世界のビールを飲む店だ。藤井さんは福山市生まれで、大学卒業後に無職のまま尾道にやってきたときは孤独だったそうだ。それがこのバーの店主らに応援してもらい、古本屋を開き、のんちゃんという彼女もできて……という話をしているうちに、彼はわずかに泣いていたようだった。 翌朝、ゲストハウスで朝食を食べ、商店街を駅に向かう。〈おのみち林芙美子記念館〉は、一見休憩所みたいだが、展示はしっかりしていて、奥には芙美子の一家が過ごした住居が保存されているのだ。 少し戻って、〈バラ屋〉〈メキシコ〉などの喫茶店に入ろうか、でも朝は食べたしなあと迷っているうちに、駅の方へ向かっていた。踏切で立ち止まって反対側を見ると、壁に「珈琲」「孔雀荘」というレリーフのある建物が見えた。気になって、前まで行ってみると営業中の札がかかっている。中に入るとまだ暗かったが、上品な女主人が「どうぞ」と招き入れてくれた。 孔雀荘 古くからある店のようだ。壁には油絵がかかっている。定期的に地元の画家の個展をやっているという。表に「1933」とあるので尋ねてみると、以前は線路の反対側にあって、〈日の丸〉(ヒノマル?)という喫茶店だったという。1946年に現在地に移り、〈孔雀荘〉と改名したそうだ。この女性は2代目で、前のオーナーから受け継いで営業している。 チラシなどが並ぶテーブルに数冊の本があった。その一冊を手に取ってみると、高橋玄洋『私の昭和・出会った人々』とある。2009年刊、発行所はユー企画印刷とあるが、自費出版のようだ。めくってみると、「尾道の人(孔雀荘)」とあるではないか。ざっと目を通し、面白そうなのでどこかで手に入れることにする。 常連らしい妙齢の女性客が集まってきたところで店を出て、尾道駅に向かう。山陽線に20分ほど乗って福山駅で降りる。2時間後の新幹線に乗ることにして、町へ出る。 児島書店の店内 昨日教えてもらった〈児島書店〉へ。天満屋の一階に入っていて、アーケードの商店街に面している。入るなり、ココはすごいぞと思う。戦前のパンフレットや戦後の仙花紙本が棚にぎっしりと並ぶ。郷土本も充実していて、尾道の本だけでも棚一つ分は優にある。その中に、昨日図書館で見た、林芙美子研究会編『尾道と林芙美子・アルバム』(尾道市立図書館)を見つける。3000円ほどだったのでいったん棚に戻し、別のところを見ていると、林芙美子関係だけまとめた棚があり、そちらにも同じ本がある。こっちはカバーがなくて、2000円だった。 という具合に、一冊見つけても、別の場所で状態や値段の異なる同じ本が見つかるので気が抜けない。なんども店内を回るハメになる。一時間ぐらいいて、最後に中国新聞社編『新中国山地』(未來社)を見つける。結構な値段だったが、しばらく探していた本なので買っておかないと。結局5冊で1万円が飛んでいった。 さきほどの『私の昭和・出会った人々』は見つからなかったが、同じ著者の『評伝小林和作 花を見るかな』(創樹社)とそのマンガ版を買った。後者の著者は尾道出身のかわぐちきょうじで、マンガ家のかわぐちかいじの双子の弟だ。 『私の昭和・出会った人々』は結局、サイト「日本の古本屋」で見つけた。出品したのが、昨日行った〈尾道書房〉ということで、ちょっと高かったが、これも縁だと思い切って買ったのだ。 高橋玄洋はテレビドラマの脚本家。名前ぐらいは知っていたが、松江市生まれだというのは、本書で初めて知った。松江の少年時代から、広島に引っ越してから終戦まで、草創期のテレビ界のことなど、興味深いエッセイ集だった。 高橋は父が尾道市役所に勤めたことで、風景画を描いた洋画家の小林和作に兄事する。彼が戦後まもなく〈孔雀荘〉に通ったのは、小林和作に会うためだった。 「その尾道駅のホームをはずれた直ぐの踏切り前に孔雀荘という小さな喫茶店がある。戦前に建った色あせた木造洋館で当時としては珍しかったステンドグラスの女性像がはまっている。市民はここの女主人を『孔雀の小母さん』と呼んで親しんだ」 本名は重田寿美子で、結婚して夫とこの店をはじめるが、夫を亡くし、ひとりで店を守ってきたという。「常に絵の個展をやり町の新人たちを育てた功績は大きい」と高橋は書く。不良少女にも親身に諭し、尾道の名物小母さんと云われていたらしい。80代まで店を続けたが、病気で亡くなったという。 この文章を読みながら、私は〈弐拾dB〉のことを考えていた。夜中に開き、行き場のない人たちが集まり本のページをめくった店の思い出を、何十年後かに誰かが文章に記すかもしれない。藤井さんはそのときも古本屋を続けているだろうか。続けていてほしいけれど、もし、すでにいなくなっていたとしても、文章に記されたという事実が残ればいいのかもしれない。それはまさに、かすかに聞こえる20デシベルの本の声が、たしかに伝わったということなのだから。 (文・写真 南陀楼綾繁)