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水越武の「森の生活」-episode4.祈りにも似た生き方

Fumi Sekine

2022.11.12

この文章は、2018年11月6日~12月1日 にコミュニケーションギャラリーふげん社にて開催された水越 武 写真展「MY SENSE OF WONDER」に際して執筆されました。

このたび開催される、「アイヌモシㇼ オオカミが見た北海道」刊行記念展(2022年11月10日〜27日)に際し、ふげん社ウェブサイトに再録いたします。

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下記の記事の続きです。

episode1.世界中の調度品と心地よい生活の道具

episode2.落ち着いた書斎と自給自足の暮らし

episode3.道東の豊穣な自然に囲まれて

水越さんは世界中の手つかずの自然に分け入り死に物狂いで対峙してきたが、日常から大自然に触れ、自らの足でゆっくりと地を踏みしめながら四季の中で激しく移ろう多様な表情を日々観察し続けている。自然の真の姿を身体全体でとらえようとするそのストイックな生活は、どこか宗教的でもある。

水越さんは愛知県豊橋市の三代続く御嶽行の信者の家に生まれ、小学生の低学年の頃から熱心な信者である母親と毎年夏に御嶽登山をしていた。霊界とこの世を行き来する人びととの登山の記憶が、水越さんの原風景としてある。「人生を通しての山との縁がこの時代に築かれた」と後に語られているように、山や自然に対する「祈り」にも似た相対の仕方に納得する。ネパールの地で曼荼羅に惹かれたのも必然だったのかもしれない。

水越さんは家の中で、できるだけ素足で過ごすという。取材中、スラリと伸びた足の指に驚き、足を撮影させてもらうことにした。足の裏を見せていただくと、不思議に白くピカピカと光っていた。そのつるつるした足の裏を見ていると、五体投地を連想させられた。五体投地は、両手・両膝・額を地面に投げ伏して礼拝する、仏教でもっとも丁寧な祈りの方法である。チベットには五体投地で礼拝をしながら長い時間をかけて聖地ラサへ向かう旅をする人たちがいる。彼らと水越さんの姿がなぜか重なって見えた。実際には彼らは手袋や膝当てをしているので手のひらやお腹や膝が擦り切れることはない。水越さんだって、頑丈な靴を履いて山を歩く。けれども、自分の信じる道をひたすら歩いていく祈りにも似たその生き方が、俗的なものを徐々にそぎ落とし、仙人のような足にするのかもしれないと思った。

水越さんがここまで歩み続けてこられた原動力は、“sense of wonder”にある。厳しい環境に生息する植物や動物の多様な生態系と、遠い異国の地で生活する人々が作った道具への素直な「驚き」と「感動」、「畏敬の念」、そして「好奇心」。水越さんのすべての行為は、その純粋な心の動きによって突き動かされていたのだと知った。

自らの足で大地に立ち、常に新鮮な気持ちで歩み続けることは、己を律していないと、とても難しい。しかし水越さんは、80歳になられた現在も、身をもって実践し続けられていている。そのような方に出会えて、その人が作り出した作品を目の当たりにできる幸運に感謝したい。

撮影:新納 翔
テキスト:関根 史

[参考資料]
水越武『月に吠えるオオカミ』(岩波書店)
水越武「私の中の歴史」(『北海道新聞』2016年7月4日〜29日連載)

 

■水越 武 Mizukoshi Takeshi

1938 年愛知県豊橋市生まれ。
東京農業大学林学科中退後、田淵行男に師事し写真を始める。
山と森林をテーマとし、『日本の原生林』『わたしの山の博物誌』 『真昼の星への旅』『最後の辺境』など多数の写真集がある。
土門拳賞、芸術選奨文部科学大臣賞など受賞。 国際的にも高く評価され、作品は国内外の博物館、美術館にも収蔵されている。

Fumi Sekine
Fumi Sekine プロフィール

ふげん社・ディレクター