第8章 テープレコーダー Beatrix Fife “Bix” テープレコーダー (日本語) 2019.07.16 小さな貯金箱にお小遣いを貯めていた。何かほしいものを買おうと思って節約していたのだが、何がほしいかはもうわかっていた。以前にその話をお父さんにしたことがある。すると、その額の半分を貯めたら、すぐに空港で買ってきてあげようと言われた。空港だと安いのだそうだ。8歳の私にしてみれば、大きな投資だったけれど、小さなテープレコーダーが私はどうしてもほしかった。 詩を読んだり、日々の出来事を思い出したりするときに自分の声を録音することで、学校でもっとちゃんと話せるようになりたかったのだ。録音した声をあとで聞いて、発音をよくしていくつもりだった。クラスで詩を暗唱するときに最も重要なのは、理解してもらえること、ほかの子たちと同じようにちゃんとしたフランス語を使い、そして何よりみんなと同じように話すことだったからだ。ある日、私がついにその貯金を預けると、お父さんがテープレコーダーを買ってきてくれた。灰色をしたその長方形のテープレコーダーには、丸い穴がいくつもついた黒いカバーがかけられている。 決まり文句や文章を暗記しなくてはいけなかったが、そういう場合は耳で聞いて憶えたほうが早く憶えられる。夕方、部屋の暗がりで、テープレコーダーのスイッチを入れて暗唱した。吹き込んだ声を耳にしたときは驚いた。自分の声だと思っていたものとは全然ちがっているのだ。でも、この声はほかの子たちと同じだろうか? イントネーションやアクセントはどうだろう? 記憶を頼りにほかの子たちの真似をして、録音した自分の声を聞いてみる。 学校では、前よりうまく話せるようになった。聞いていると、フランス語からイタリア語なまりが少しずつ消えていくのがわかる。 私はテープレコーダーをいつも携え、肩からぶら下げて持ち歩いていた。 誕生日に買ってもらいたい本のリスト 習っていたフルートの演奏も録音し始める。どの部分を間違えたか聞き取ることができたから、吹くときにどこで気をつけなければいけないかがわかった。最初にソプラノのリコーダーを、次にアルトのリコーダーを、それから習いたてのフルートを録音する。フルートもリコーダーも、どれも違った音調をもっていた。どこにマイクを置くと一番いいかも見つけようと試してみた。 学校の先生のマダム・ラヴァレリーは音楽が大好きで、私たちに様々な楽器を教えてくれる。ある日、先生から、クラスの音楽の時間に伴奏を担当してほしいと頼まれた。ほかの子たちの歌に合わせて、リコーダーや木琴、あるいはタンバリンなど、その曲にふさわしい楽器で伴奏をつけるのだ。毎週金曜日、生徒たちが学校のミサに出るときには、私は後ろの席でレコード・プレーヤーのそばに座り、正しいタイミングで決められたレコードをかけたものだ。 当時の私がもっていたのと同じタイプの小さな楽器 学校に自分のテープレコーダーをもっていき、聖歌隊の歌も録音してみた。だけど、その音声はひどく悪かった。大きい奇妙な雑音以外には、ほとんど何も聞きとることができない。それからは、テープレコーダーは自分の家でだけ使うことに決めた。詩を暗唱したり、例えば「オージョドウイ」のような難しい言葉を何度も繰り返し発音したりするのだ。「オージョドウイ、オージョドウイ、オージョドウイ」(<aujourd’hui> フランス語で「今日」の意味)、「ルリジューズ、ルリジューズ、ルリジューズ」(<religieuse>キリスト教の修道女のこと)、「ヴェルサンジェトリクス、ヴェルサンジェトリクス、ヴェルサンジェトリクス」(<Vercingétorix>フランスで活躍したケルト出身の有名な王)といった具合である。 それほどまでに、私はほかの人たちと同じように話したかったのだ。テープレコーダーは、言語の音声を映す鏡であり、客観的にその音声を聞くことで、また私自身の発音をほかの人たちの発音と比べることで、言葉を学ぶのを助けてくれた。 学校の宿題とフルートの練習の合間に、私はときおりテープレコーダーにイタリア語で話しかけた。雨が降っているわ、空と大地はグレー一色で、窓からは秋の木の葉が樹々から落ちるのが見えるのよ、と語りかけてみる。その録音を聞き返すと、ローマに残してきた私自身の片割れの肉声が聞こえる気がした。戻りたかった。そして、それをイタリア語で言う自分の声も聞こえた。イタリアを離れてから、もうすでに1年以上がたつ。イタリアの友人たちに何通も手紙を書いたけれど、返事をくれたのはただ一人、それもクリスマスカードだった。 私のフルート(ただし、この当時もっていたものではない) 私はまたテレビの音楽も録音し始めた。スクリーンのすぐ前の床の上にテープレコーダーを置いて、一連の音楽が始まるやいなや、「レコード」ボタンと「プレイ」ボタンを同時に押すのだが、その一方で小さな妹が声を出したりしないよう、彼女の口の前に手をかざしていた。ときおりお母さんが入ってくると、二人でテープレコーダーを指さして、口もとに人差し指を立て、ささやいたものだ。「話しかけないで。録音中なの」。 その録音を何度も聴いては、聴き返し、そしてしばしば音楽に合わせてダンスをする。音を記録することで、私の周りの人々と私の生活が私の心に結びついていた。 テープレコーダーは、魔法の宝箱と化している。様々な音と感情と、そしてハードワークがいっぱいにつまったその宝箱を、私は常にバッグのように肩に下げ、肌身離さず持ち歩いていたのだった。