第10章 過去、現在、そして未来 Beatrix Fife “Bix” テープレコーダー (日本語) 2019.09.21 仕事に行っていないときは、お父さんはいつも私たちのそばにいてくれた。夕食のときには、よく古代ローマの皇帝たちの物語をイタリア語で話してくれたものだ。ローマで過ごした子ども時代に起こった出来事の話もある。たとえば友人たちと遊んでいて、古い鉄の門によじ登っていたときのことだ。9歳か10歳の頃の話だが、その門が運悪くお父さんのすぐ隣にいた小さな男の子の上に崩れ落ち、その子は亡くなってしまったのだという。お父さんの声が震えていたから、それが大きなトラウマとなる経験だったことは私たちにも感じとれた。人生は容易ではない、それは脆く、物事は危険なものにもなりうるのだということを、お父さんは私たちに知っておいてほしいと思っていたのだろう。そして同時に、私たちは、できる限り最大限に人生を楽しまなくてはいけないということも。なぜなら、人生は短く、そして厳しいものでもあるからだ。 欧州宇宙機関が設立された当初から、お父さんはその機関で働いている。オフィスから戻ってくると、私たちに色々な話をしてくれた。地球以外の惑星で暮らすことができるかもしれない未来の生活のこととか、あるいは、宇宙空間の衛星や研究施設の役割がどんどん大きくなっていることや、気象状況の観測や通信網の発達のために新しいテクノロジーが驚くほど開発されてきているといったことも……。家には、月や惑星、ロケットやスペースシャトルなどの大きな写真がいくつもあった。古代ローマから未来の様々な計画まで、過去と現在、そして未来が、お父さんにとっては一本のタイムラインでつながっていたようだ。お父さんはまた、パリでの生活も愛していた。その仕事を通じて、情熱を燃やして生活を送ることができたからだ。 お父さんの話には、英国人である私の祖母の話もあった。お父さんのお母さんは、イタリアに住んでいても家では英語を使っていた。第二次世界大戦の戦前・戦中には、イタリアではファシズムが猛威をふるっていたけれど、私の祖父はローマの中心部にあった自宅に英国軍の兵士たちをかくまっていたことがあるそうだ。当時、まだ小さな少年だったお父さんが外出するときには、たとえ一言であっても、英語を話すことは禁じられていた。英国とつながりがあることは外では絶対に見せてはいけなかったし、母親のかわりに他の人たちとイタリア語でやりとりをしなくてはいけなかったのだという(私の祖母は、外では耳と口が不自由なふりをしていたのだ)。そうやって、彼女が英国人であることを、誰にも知られないようにしていたわけだ。 お父さんのお父さん、つまり私の祖父は、アメリカ合衆国で生まれている。その祖父の父、私の曾祖父はノルウェー人だったけれど、ニューヨークで銀細工師として働いていた。一方、スコットランド人だった曾祖母は、ブラジル生まれだ。その二人を両親とする祖父は、とても若くしてイタリアに渡ってきた。アメリカの電話会社「ベル社」を代表して、イタリアで初となる電話を設置するためだ。それから65年を超える年月をその地で過ごし、生涯を完うしている。したがって、お父さん自身のルーツも、誕生地も、そして英国の大学に入るまでの少年時代の拠点も、すべてがローマにあった。 祖父母もお母さんもお父さんも、「移民」ということについて語ったことはない。私たちのことを「国外居住者」だと言っていたが、これは私には理解するのがなかなか難しいことだった。私は8歳の子どもで、イタリアで暮らしたあとはフランスで育ち、家ではノルウェー語を話しているけれども、家族や友人たちと話すときは英語やイタリア語も使っている。自分がどの国の出身なのかを、私自身が疑問に思うことはなかった。ただ私にとっては音楽が、感情を表現するためにリラックスして用いることのできる言語になり始めていた。たぶん、楽器を演奏しているときは、誰と話しているかを考えて言語を選ぶ必要がなかったからだろう。 ローマにいた時分、私は歌を歌える人形がほしくてたまらなかった。背中に小さなレコード・プレイヤーが内蔵されている人形だ。心優しいお母さんが探してくれて、ついに見つけてくれた。名前はベリンダという。私はこのベリンダが大好きで、いつも一緒に歌っていた。それがパリに来て、テープレコーダーの時代がやってくる。録音した音楽や、自分で吹き込んだ詩の暗唱をいつでも聴くことができたからだ。テープレコーダーは、サウンドと感情がいっぱいにつまった箱のようだった。当時はまだわかっていなかったけれど、私はそのテープレコーダーを通じて、言語の文の構造だけでなく、声の抑揚や私自身の感情をも記憶にとどめ、それを系統立てて整理していたのだ。 一つの言語から別の言語へと切り替えることは、その小さな機械のボタンを押すこととよく似ている。 そのテープレコーダーは、今はもう私の手元にはないけれど、当時の私には必要なものだった。そしてそれは、私自身の心の奥底にこれからも存在しているのだろう。そう、永遠に。 世界はどこにあり、そして私たちは何を夢見ているのだろうか? この絵のイメージからは、そんな思いも浮かんでくる。だが、この絵にはタイトルはない。ビックスによる絵画 アクリル・カンヴァス 35×44cm 【完】