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第7回 名刺のいらない場所【八戸市】

南陀楼綾繁(なんだろう・あやしげ)

2018.02.08

『片町の朝市』

縄文舎 1997年

 

八戸市は青森県南部の中心都市で、江戸時代には南部氏が支配した。同じ県でも、津軽に属する青森市や弘前市とは気風が異なり、むしろ八戸藩の範囲だった岩手県北部と共通する点が多いようだ。

私が初めて八戸に行ったのは、2016年1月のこと。東北新幹線の八戸駅で降りると、高坂真さんが迎えに来てくれていた。高坂さんとはその数年前、盛岡で開催されたブックイベント「モリブロ」の会場で会っている。八戸の名物であるウミネコのフンをかたどった「フンノート」を販売していた。故郷の八戸に戻って、地元の文化を生かしたデザイン活動をしている人だ。好青年なのだが、口から出る言葉は後ろ向きなことばかり。その腐れっぷりがかえって面白く、ツッコミを入れつつの道中となった。

本の骨董屋 坐来

新幹線の八戸駅は内陸部にあり、中心市街地のある八戸線・本八戸駅まではかなり距離がある。その間をつなぐだだっ広い道路沿いに立つ巨大な施設が、〈八食センター〉だ。食品市場と飲食店が併設されている。ここで寿司のセットを食べる。

次に行ったのは、古本屋だ。〈本の骨董屋 坐来〉という巨大な看板のある建物に入ると、奥に広い空間に本棚が並んでいた。端から順にみていくが、幅広いジャンルの本があり、とくに青森の郷土関係の本が多い。書籍だけでなく、地域雑誌やパンフレットの類も多く、その辺に無造作に積まれている中に面白そうな紙モノが見つかる。一癖ありそうなおじさんと話しながら、一回りするだけで1時間ぐらいかかってしまった。もう一軒、〈遊歩堂〉にも行ったが、ここも郷土史が充実していた。

 

そのどちらだったか忘れてしまったが、小寺隆韶『片町の朝市』(縄文舎)という本を買った。

著者は高校の教師で、若い頃から演劇をやっていた人らしい。50歳をすぎてから車の免許を取ったことから、片町で毎日開催されている朝市に通うようになる。片町は市内中心部の長者山のふもとにある通りだ。4月1日から12月31日までの毎日、朝4時には店を開き、日が昇る7時ごろには撤収がはじまる。著者が数えたところでは、通常で70~80軒、最大で220軒が並んでいたそうだ。なかでも、焼き魚と味噌おにぎり、コロッケが三大名物だという。じつにウマそうだ。

八戸には、三日町、六日町、十八日町、二十三日町などの地名が多い。これはかつて市が立った日を指すそうだ。片町の朝市はそこまで古くなく、1948年(昭和23)頃にはじまったという。著者によれば、農村から野菜を「触れ売り」(行商)に来た若い嫁が、売れ残りの野菜を抱えて片町の角に立ったことから、朝市がはじまったという。

本書は、「朝市中毒」に罹った著者が、この通りで見たものや会った人について書いたエッセイ。地元の新聞に連載されたものらしい。夫婦で営むコーヒーの屋台に陣取り、そこにやって来た出店者や客との会話をスケッチするように、文章を綴っている。

場所代を集めて回る、一人暮らしのおばあさん。でっぷりと太った体で、じつはフランス料理のシェフだという腹さん。胸から下げた袋に犬を入れているカンガルーのような女性。一年の大半をマグロ漁で過ごし、陸に上がると朝市に日参するマグロさん。若い頃は歌舞伎役者で、女装でスナックを営んでいるモンシェリー。どの人も魅力的だ。

毎朝顔を合わせて、挨拶を交わすけど、それ以上深く付き合うことはない。本名も知らず、あだ名だけで付き合う人も多い。

朝市

「朝市に名刺はない。

どこに家があり、何の仕事をし、どんな家族をもつのか、どういう人柄なのか。名をなんというのか。

その一切がない。売り手も客も、名刺を首からさげていない。そこがまた、集まる人たちを惹きつけてやまないのだ」

と著者は云う。

この朝市に行ってみたいと思ったが、時すでに遅し。60年続いた片町の朝市は、2010年5月で終了していたのだ。毎朝集まっていた人たちは、どこに行ったのだろうか?

片町の朝市に間に合わなかったのは残念だが、八戸にはほかにも朝市がある。陸奥湊駅前の八戸市営魚菜小売市場のある通りでは、日曜日以外、朝5時から店が開く。市場の中では、それぞれの店で買った魚をご飯やみそ汁と一緒に食べることができる。食べ終わったあとに飲んだ。屋台のコーヒーの味は格別だった。

宝来食堂

昨年秋にもういちど八戸を訪れたときも、高坂さんに案内してもらって、館鼻岸壁朝市に行った。毎週日曜の日の出から、300以上の店が800メートルにわたって並ぶ。売っているものも、魚、野菜、加工品、総菜、花、パンから刃物やがらくたまで多種多彩。短い時間では、端から端まで歩くので精一杯だった。ここの朝市はそれほど古くないようだ。

八戸では、江戸時代の特異な思想家・安藤昌益の記念館や、幕末の八戸書籍縦覧所が基礎となった八戸市立図書館(郷土資料室が充実していた)などを訪れ、夜は居酒屋やバーに行った。帰りに立ち寄った〈宝来食堂〉は、常連のおやじたちが焼酎を飲んでいた。よそ者に向けられる視線を感じながら、酒を飲み、うどんを食べた。

 

2016年12月、中心地に八戸市が直営する〈八戸ブックセンター〉がオープンし、話題を呼んだ。私の二回の八戸行きも、この施設に関わっている。

本に模した「八」のマークを目印に中に入る。空間や棚のディレクションは、下北沢〈B&B〉の代表も務めるブック・コーディネーターの内沼晋太郎さんによるもの。棚に並ぶ新刊は約8000冊。基本となる4つの棚には、人文や哲学、芸術や歴史などの本が並ぶ。一般の書店ではあまり並ぶことのない硬めの本と、入門的な本をバランスよく置いている。ほかの書店で買える雑誌やコミックは基本的に置かない。

八戸ブックセンター

別の棚には、八戸の歴史や文学に関する本が並び、八戸の人が選ぶ「ひと棚」コーナーもある。地元出身の作家・三浦哲郎の文机の前で本を読むこともできる。

市長の肝入りでつくられた新刊書店であることから、賛否の両方があるようだが、既存の図書館や書店と連携して八戸の本の文化を深める場所になればいいと思う。

ちなみに、昨年直木賞を受賞した佐藤正午の『月の満ち欠け』(岩波書店)の舞台のひとつは、この八戸である。佐世保から出ることがほとんどない作家が、この地を選んだのは担当編集者の故郷だったから。八戸ブックセンターでは、その編集者・坂本政謙さんが選んだ本も並べられていた。

そして現在、ここのギャラリーでは「紙から本ができるまで」展を開催中(3月11日まで)。八戸出身の作家・木村友祐さんの『幸福な水夫』(未來社)が、三菱製紙八戸工場の用紙をつかって佐藤亜沙美さんがデザインし、出来あがるまでの過程を展示するものだ。

八戸の古い生活文化である朝市と、新しい町の象徴である八戸ブックセンター。次に八戸に行くときにも、もちろん、両方に足を運ぶつもりだ。

 

(文・写真 南陀楼綾繁)

南陀楼綾繁(なんだろう・あやしげ)
南陀楼綾繁(なんだろう・あやしげ) プロフィール

1967年、島根県出雲市生まれ。ライター・編集者。

早稲田大学第一文学部卒業。明治大学大学院修士課程修了。

出版、古本、ミニコミ、図書館など本に関することならなんでも追いかける。

2005年から谷中・根津・千駄木で活動している「不忍ブックストリート」の代表。各地で開催される多くのブックイベントにも関わる。「一箱本送り隊」呼びかけ人として、石巻市で本のコミュニティ・スペース「石巻まちの本棚」の運営にも携わる。本と町と人をつなぐ雑誌『ヒトハコ』(書肆ヒトハコ)編集発行人。著書に『一箱古本市の歩きかた』(光文社新書)、『ほんほん本の旅あるき』(産業編集センター)、『町を歩いて本のなかへ』(原書房)などがある