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第8回 若松で受け継がれる印刷と出版の志 【北九州市】

南陀楼綾繁(なんだろう・あやしげ)

2018.03.16

火野葦平資料の会編

『若松庶民列伝』

裏山書房     1977

 

博多駅から鹿児島本線で東へ。折尾駅で筑豊本線に乗り換えて15分ほどで、若松に着く。

若松は北九州市に属し、以前は若松市だった。洞海湾に面した港湾の町であり、筑豊から運ばれる石炭を積みだす場所だった。そのため、各地からさまざまな人たちが流入し、活気を呈していた。しかし、筑豊の炭鉱が消えてから数十年が経ついまは、静かな町になっている。

 

駅の待合室には〈東筑軒〉の売店がある。折尾を本拠とする弁当屋で、かしわ飯は安くて絶品だ。弁当はともかく、うどんが食べたいと思ったのだが、〈火野葦平資料館〉が閉まるまであと30分しかない。目の前の建物へと急ぐ。

 

『糞尿譚』で芥川賞を受賞し、『麦と兵隊』でベストセラー作家となった火野葦平は若松生まれで、戦後も若松に住んだ。1960年に亡くなった(のちに自殺と判明)あと、小倉にできる文学館に火野葦平の資料が収蔵されると聞いた若松の人々が、「地元に火野葦平の資料館をつくろう」と活動をはじめ、1985年にこの資料館ができたのだ。

火野葦平資料館の看板

入り口には「山福康政と裏山書房40年」という、特徴的な文字の看板が出ている。展示が変わるたびに、同じ人が看板を書くのだ。この文字を見ると、なんだかホッとする。

館内には、私ともう一人しかいない。ガラスケースに入った裏山書房の出版物を眺める。社主であった山福康政は、広島市生まれで2歳から若松市に住む。労働組合で学んだガリ版の技術を生かして、印刷所をはじめる(山福印刷をはじめ、いくつかの社名がある)。シルクスクリーンやオフセットで、若松の町のさまざまな印刷物を制作する。48歳で脳血栓を患い、右半身が不自由になったことから、リハビリを兼ねて描いた『絵草紙 付録』を出版する。これが話題となり、その後もイラストエッセイを描きつづけた。

旧古河鉱業若松ビル

裏山書房では、鶴島正男の火野葦平に関する本や、記録文学者・上野英信が版画家・千田梅二と組んだ絵本『ひとくわぼり』、上野の妻・上野晴子の『キジバトの記』など、若松や福岡県に関する多くの著作を刊行した。その大半が著者の自費出版として出されたものであり、正確な刊行リストをつくるのは難しいという。

資料館を出て、若戸大橋のほうへ歩くと、特徴的な煉瓦造りの二階建てビルが見えてくる。1919年(大正8)にできたという旧古河鉱業若松ビルだ。現在はNPOが管理しており、催し物などに使われている。

「山福康政の仕事展」のようす

2階のホールでは、「山福康政の仕事展」が開催されている。カウンターの中で、娘さんの木版画家・山福朱実さんが出迎えてくれた。その横で、パートナーの末森樹さんが座ってギターを弾いている。

「自鳴鐘同人会カレンダー」

大荷物を置かせてもらって、展示を眺める。『付録』(のちに『ふろく』として草風館から改訂版)や『風の道づれ ふらふら絵草紙』(裏山書房)に収録された絵の原画、表紙や本文を手がけた俳句誌『天籟通信』や同人誌、機関誌、すべての版画を描いた「自鳴鐘同人会カレンダー」、新聞・雑誌の連載のスクラップブックなど、膨大にして多彩な仕事を一望できる展示になっていた。

企画した山福朱実さんは、神奈川に住み仕事をしていたが、同居していた母(康政の妻・緑さん)が病気で倒れたことや、兄の山福康生さんが継いだ山福印刷が閉鎖の危機にあることから、帰郷を決意。昨年から若松に戻っている。

その機会に実家を整理していると、父・康政が残したものが多く発見されたことが、今回の展覧会につながった。今年は康政の没後20年で、生誕90年という節目なのだが、「展覧会をやることになってはじめて、人から云われて気づいたんですよ」と朱実さんは笑う。

 

今日はこのあと、小倉の〈緑々〉で朱実さんと私で「ふらふら 山福康政・人と仕事」と題してトークをすることになっている。2年前、〈ふげん社〉で開催された「地域からの風 北九州篇」で、畑たいむさん、山福朱実さん、私でトークをしたが、そのときも山福印刷や裏山書房の話がずいぶん出た。客席から発言して場を盛り上げてくださった緑さんが、今日は体調不良でいらっしゃらないのが残念ではある。

兄の康生さんの車に乗せてもらい、若戸大橋で渡る。私は北九州に来るといつも、戸畑と若松を結ぶ若戸渡船に乗るのだが、今回は乗れずに残念だった。

ちなみに、山福康政は1962年に完成したこの若戸大橋に複雑な思いがあったようだ。『風の道づれ』では、若戸大橋の歩道が閉鎖され、自動車専用の橋になったことに怒りを表し、それに対して「かわらないのは若戸渡船だ。大人二〇円はいまも続いていて、乗船するたびに、良いなあとおもう」と書く。さすがにいまは100円になっているが、それでも安い。

著者、山福朱実、山福康生  〈緑々〉にて

車のなかでの、陽性な朱実さんと、寡黙だがボソッと面白いことを云う康生さんとの兄妹の掛け合いに爆笑し、その流れで、自然に康生さんもトークに参加する。じつは、康政さんの死後、資料館の看板を書いているのは康生さんであり、『天籟通信』の表紙も、康生さんに続いて、最近、朱実さんが担当している。親子三人の時間を超えた共同作業になっているのだ。朱実さんが絵を描きはじめたのも、父の影響があり、のちに、幼いころから会っていた石牟礼道子の『水はみどろの宮』(福音館文庫)の装画を描くことになる。

「今回の展示は、さまざまなタイミングが重なって、父に操られていたような気がするんです」と朱実さんは云った。

会場では、実家で発掘されたという裏山書房の本が数点販売された。私は、火野葦平資料の会編『若松庶民列伝』をまっさきに抱え込んだ。1977年の初版はカバーの書き文字も色づかいもきれいだが、今回は1985年の第2版。こちらもシンプルだが、いい装丁だ。

裏山書房の本は、家族が総出で印刷した紙を揃え、帳合をとり、糊を付けて製本したのだと、兄妹は証言する。「シルクスクリーンで刷ったカバーは、乾くまで時間がかかるので、家のなかは足の踏み場もなかった」と康生さんは笑う。

『若松庶民烈伝』初版

若松庶民列伝』は、西日本新聞に連載されたもので、若松という「この小さな島国のような町に生きた庶民の、反骨に満ちた生きざまを描く」聞き書きである。執筆は火野葦平資料の会のメンバーである増田連、山福康政、鶴島正男(のちに伊藤頼行)。イラストは山福が一人で描いた。増田連は古書店〈若松書房〉の店主で、裏山書房から『杉田久女ノート』を出している。

しかし、連載中の1976年、若松の丸粕百貨店で開催された「第6回火野葦平回顧展」の打ち上げの夜に、山福康政は脳血栓で倒れた。彼が休んでいるあいだ、新聞社の美術部員が連載のイラストを描いたという。本書の刊行にあたって、山福はすべてのイラストを描き改めている。

本書には、戦前の若松で演劇活動を行なった河原重巳、火野葦平の小説のモデルとなった仏師の松本唯助、葦平が応援したおでん屋〈川太郎〉のおかみ・青野玉喜、屋台ラーメン〈酔虎〉の手島夫妻、渡船に40年勤めた安藤六三郎ら、若松に生きる庶民の姿が描かれている。

なかでも印象的なのは、喫茶〈ドガ〉のおやじ・沢山正雄(本名チョル・ヨン)だ。1954年に明治町商店街で開店した〈ドガ〉は、こんな店だった。

「ふん囲気にひかれて、この店のいすは、いつも多彩な顔ぶれで埋まった。画家志望の青年、大学教授、カメラ屋、菓子屋、放送作家、パン屋、新聞記者、自称詩人、図書館長、学校の先生、床屋、肉屋、古本屋、医者、大学生……。これら、職種、世代、性別を異にする人間が、ここではコーヒー一杯で談論風発、時のたつのも忘れて、商売抜きでつきあえた。(略)喫茶『ドガ』は、渡船で通ってくる常連もあって、北九州の梁山泊と化した感があった」

店の壁では、無名だった頃の平野遼の個展も行なわれた。喫茶店を閉めたあと、沢山は場所を移して〈ドガ画廊〉を営んだ。その画廊もいまはないようだ。

本書に登場する人たちは、いまはもうこの世にいない。しかし、山福らが彼らの言葉を残してくれたことで、在りし日の若松の町の雰囲気を知ることができるのだ。

山福康政の展示は終わってしまったが、朱実さんが中心となって、康政の仕事をまとめた本を準備中だ。6月には刊行予定ということで、楽しみにしている。〈ふげん社〉でも置いてもらうことになりそうだ。

そういえば、「裏山書房」っていい社名だなあと前から感じていたので、その由来はなんですか? と康生さんに聞いてみた。2つの説があって、ひとつは「山福印刷が高塔山の裏にあったから」、もうひとつは「山福印刷の〈裏〉の仕事だから」だそうだ。どちらにも納得。自分の人生を「ふらふら」と表現した山福康政には、裏通りやドブ板がよく似合う。

 

(文・写真 南陀楼綾繁)

南陀楼綾繁(なんだろう・あやしげ)
南陀楼綾繁(なんだろう・あやしげ) プロフィール

1967年、島根県出雲市生まれ。ライター・編集者。

早稲田大学第一文学部卒業。明治大学大学院修士課程修了。

出版、古本、ミニコミ、図書館など本に関することならなんでも追いかける。

2005年から谷中・根津・千駄木で活動している「不忍ブックストリート」の代表。各地で開催される多くのブックイベントにも関わる。「一箱本送り隊」呼びかけ人として、石巻市で本のコミュニティ・スペース「石巻まちの本棚」の運営にも携わる。本と町と人をつなぐ雑誌『ヒトハコ』(書肆ヒトハコ)編集発行人。著書に『一箱古本市の歩きかた』(光文社新書)、『ほんほん本の旅あるき』(産業編集センター)、『町を歩いて本のなかへ』(原書房)などがある