第1章 街から街へ Beatrix Fife “Bix” テープレコーダー (日本語) 2018.12.14 第1章 街から街へ 7歳半で、ローマの学校に通っていたときのことだ。お母さんとお父さんから、正午に迎えに行くと言われていた。お母さんとお父さん、弟と妹、猫と犬が車で迎えに来ることになっていた。車はきっと荷物で満杯のはずだ。兄と二人、準備を終えておかねばならなかった。お母さんが言うには、家族みんなでパリに引っ越すことになっていたのだ。 ローマでお父さんが書いてくれた言葉。「君の新しい家ができていく様子を、君はこの椅子から見ていたんだよ」 何かすごく特別な出来事が起ころうとしていると思った。でも、怖くはなかった。お母さんが嬉しそうだったからだ。なんだか長い休暇に出かけるような気持ちがした。お父さんが一緒で、犬や猫まで連れて行くのだから……。これまでもローマで3回引っ越しをしたが、どこもそう遠くはなかった。最初の家の近くに住む友達のところにはしょっちゅう遊びに行けたし、2番目の家の前は、郊外の丘の上にある祖父母の家を訪ねるときにいつも通っていた。 4人兄弟姉妹の上から2番目が私 私自身が大事にしていた小さなおうちは、ドアと窓が一つずつついたテントだった。ときには私のお人形さんたちの家になり、あるいは私がほかの誰かになるごっこ遊びをするときには、その役割に応じて色々な場所になったりもした。お母さんからそのテントももっていこうと言われていたから、新しい家の庭にはあまり木がないといいと思っていた。私は木が怖かったのだ。もう一つの願いは、新しくできる友達の家も学校からそう遠くないといいということだった。今の学校の友達も、みんな近くに住んでいた。私は友達と遊ぶのが大好きだったし、担任の先生も大好きだった。先生はいつも優しくてニコニコしていて、カーニヴァルの日に私が病気で休むと、ケーキをとっておいてくれた。いつもグレーのチュニックを着て、グレーと白のヴェールを頭に被っているのは、ほかのシスターたちと同じだった。この先生が私に読み書きを教えてくれた。 私の誕生日(6歳、「il mio compleanno」は、イタリア語で「私の誕生日」)。 過ごした教室も好きだったし、その教室があるシエナの土色の建物も好きだった。毎日、教室からすぐに校庭に出て、マッシモやヴェロニカ、マリアやアントニオ、それからほかの大勢の子たちとも遊ぶことができた。マッシモはしょっちゅう私の頰にキスをして、手を握った。私も彼に同じことをした。 ローマの幼稚園にて。 兄の教室は別の建物にあり、弟の教室も別の建物だった。小さい弟はひどく大きな声で泣いたので、しじゅうその泣き声が聞こえてきた。大丈夫かと見に行こうとして、フェンスごしに中を覗き込むと、ときおり弟の先生が私に気づいた。先生はうなずいて、口元に指をあてると、にっこり微笑み、私を安心させてくれた。 私は小学生で、イタリア語の読み書きができ、挿絵がたくさん入った色どり豊かな本を読むのが大好きだった。 兄と私(左端)と、右側にイタリア人の友達2人、ローマ近郊の祖父母の家にて。 イタリアの家に降った雪(「sne hjemme i Italia」は、ノルウェー語で「イタリアの家にふった雪」)。 私が描いていた絵のひとつ その日は、正午には準備をすませておくようにとお母さんに言われていた。先生もそれはわかっていて、私が「パリージ」に行くことになったと、教室のみんなに告げた(「パリ」はイタリア語で「パリージ」というのだ)。それから先生は、私がみんなに会いにまたすぐに戻ってくるだろうと続け、そして私には、お友達にたくさんお手紙を書かなければいけませんね、と言った。 チャイムが鳴ると、先生はエプロンを脱ぐのを手伝ってくれて、それから私にキスをして、私たちのために皆でお祈りしていますよと言ってくれた。私はグレーのヴェールにふれて、隠されている先生の髪をいつものように一目見ようとした。 廊下も校庭も子どもたちであふれていた。ランチの時間だった。兄はもう門の前にいて、大勢の友達に囲まれていた。 車が門の外に着くと、グレーと白の服を着たシスターたちが「ソノ・アリヴァーティ!」(いらっしゃいましたよ!)と叫んだ。 私たちの車。 私の周りにいた子たちがいっせいに私を見て、同じ言葉を叫んだ。それから兄と私が車へと向かう後ろをついてきた。車は家にあった荷物で満杯で、お母さんが小さな妹を抱いていた。お父さんは、車の屋根の上の荷物にもう一巻きロープをかけていて、弟は後ろの席で犬と猫の間に座っていた。 突然、ヴェロニカが私を脇へと引っ張り、私の目をじっと見つめならが、私の手に何かをのせた。ランチのピザを買うためのコインだった。私の手にそのコインをしっかり握らせると、彼女はこう言った。 「あげるわ。これから行くところで必要になるだろうから」 彼女の瞳は暗く、声は悲しそうだった。 頰にキスをして、コインをぎゅっと握りしめることで、私は彼女の悲しみに応えた。そして彼女の言葉を絶対に忘れなかった。 私たちはローマをあとにした————学校の門の前に立つ子どもたち全員とシスターたちに、別れの手を振りながら。