第2章 フランス Beatrix Fife “Bix” テープレコーダー (日本語) 2019.01.16 第2章 フランス ローマからの旅は2、3日かかり、ついに私たちはこれから暮らす小さな町に到着した。ポケットの中に入れておいたコインを、私はにぎりしめていた。 「パリよ」「もうすぐ着くよ!」と、お母さんとお父さんが後ろの席にいる私たちに言った。 雨が降っていた。空は灰色で、雨水が車の窓に降り注いでいる。午後も遅くなり、ほとんど暗くなりかけていた。2つ下の弟と私は、一緒に後ろの3列目の席に座っていた。間にはスーツケースがあって、足元のビニール袋は服とおもちゃでいっぱいだ。私の膝の上には猫と小さなバッグ。弟は、笑いながら続き漫画を読んでいる。 ほぼ3歳上の兄は真ん中の列に座っていて、その隣には妹がいた。2歳の彼女は、ちゃんと座っていられるようにバッグとクッションで囲まれている。私たちの足元には犬の1匹がいて、その間には猫、そして前の席のお母さんの足元にはもう1匹の犬がいた。 雨で曇った窓から外を見ていると、通り沿いにくっきりと並んだ木々や、門の向こうの大きな家、鉄のフェンスに囲まれた庭などがちらちらと見えた。灰色っぽい服を着た人々が黒い傘をさして歩いている。 フランスでの最初の家 とうとう新しい家に着いた。赤煉瓦の家だ。黒い大きな門が開いていて、ガレージへと下りるスロープが見える。家の裏手には木がたくさんある大きな庭があるようだ。私はぶるっと身震いした。 フランスでの最初の家 お父さんは門の前に車を止め、ワイパーのスイッチを切った。お母さんは、じっとしていなさいね、まだ外には出ないのよ、と言った。雨が車の屋根を打ち、窓の外はほとんど何も見えない。 車から出たお父さんが家のほうへと急いで走っていく。雨をさけるよう前屈みになって、玄関の階段を上ると、家の中に姿を消した。犬たちはうなり、猫は身を乗り出して、犬をひっかいている。お母さんは、猫をつかまえようと大声をあげた。互いの言葉は、ほとんど聞き取れない。車の屋根や通りを打つ雨音がものすごいからだ。妹が大きな金切り声をあげ始めた。 お父さんが扉から出てきて、階段の上から手招きをした。次々に車から出て走り出す私たちに、お母さんが傘をさしかけ、みんなでようやく家の中に入る。そこで私は立ちつくした。大きな部屋はどこもがらんとしていて、天井から電球が1つずつ下がっている。私たちはスイッチを探して、次々に明かりをつけていった。 私の家族 家の中に女の人がいた。話しかけてきた言葉は、もの柔らかな、でも奇妙で聞き覚えのないものだった。フランス語を聞いたことは、それまで一度もなかったのだ。でも、お父さんもお母さんもちゃんと話している。二人がフランス語で話すのを耳にしたのは初めてだったけれど、その響きは謎めいていると同時に温もりがあった。私は一言もなく、ただその女の人を見つめ、耳をすますだけ。彼女がお父さんに、これから私たちが住む家の鍵を渡してくれた。 大人たちの会話を聞きながら、私のなかにある考えがひらめいた。もちろん、私もお母さんやお父さんのようにならなくてはいけないのだ。私もすぐにこの新しい言葉を理解して、話せるようになるに違いない。 上の階には何があるのかと、兄の後ろについて階段を上がった。一番上にあったのは、鍵のかかった扉。その扉に二人でそっと耳を寄せてみる。雨音なのか、野生の動物なのか、それとも何か怪物なのか、扉の向こうから聞こえてきた音は、それまで聞いたこともないひどく怖ろしいものだった。私たちはすっかり怖じ気づいて、下へと走り下りた。心臓の打つ音は早鐘のようだ。1階と2階の間の階段の途中で、私たちの様子を見に追いかけてきた弟と出くわしたが、私たちのおびえが伝染した彼もまた、一緒になって駆け下りた。でも、下の部屋の一室では、お母さんがのんびりサンドイッチの箱を開けている。みんなでお母さんの隣に座った。その夜は、誰もがお母さんから決して離れず、同じ部屋のマットレスの上で並んで眠った。家のほかの場所の探検はお預けだ。 私の家族、新しい家にて(「Familien vaar i vaart nye hjem」は、ノルウェー語で「私の家族、新しい家にて」) この家では、1年間暮らした。 鍵のかかった屋根裏部屋も、庭の高い木々も、近所の静まりかえった家々も、人影のない通りも、錠の閉まった門も、何もかもが不気味で、私はこの新しい世界におびえていた。この世界は、日の光も暖かさも笑い声もずっと少なく、腰をかけてもいい石の遺跡もなければ、祖父の家で食べる日曜日のパスタの香りもない。かくれんぼをして遊ぶブドウ園もないし、一緒になって走り回る子どもたちもいない。そして友達の叫び声も、キスもなかった。 そこはパリの閑静な郊外で、その頃の私はまだ、パリには様々なタイプの郊外があることすら知らなかった。 私の描いた絵 この新しい世界について学ばなくてはいけないとは思ったけれど、毎日考えていたのはローマの友達や学校や先生のこと、そして病気で寝ているときに美しい声でさえずってくれた鳥たちの歌声のことだ。お母さんが私のために半分あけておいてくれた緑色の鎧戸ごしに、鳥の声がよく聞こえてきたものだった。兄や弟、妹、お母さんとお父さんを別にしても、本当に大勢の人々が私に愛情を注いでくれていた。その沢山の愛情のことを考えていた。 7歳半でこの新しい場所を知ったことで、私はローマでのそれまでの生活の記憶を自身の胸に刻みこみ始めた。フランス語を習得し、ノルウェー語とイタリア語と英語で私のアイデンティティを築くのは、長く紆余曲折のある道のりだった。間もなくこのフランスの家は、その途上で私にとってシェルターの役を果たすことになるのである。