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②ウィーン篇:言葉と芸術のこと-FOTOGALERIE WIENへの訪問

Fumi Sekine

2019.02.22

現地時間2月7日7:56の投稿

ウィーン二日目は、初日に引き続きワイターさんの案内で市内をめぐりました。
まずはウィーンのランドマークであるシュテファン大聖堂へ。地下にはハプスブルグ家の墓所があり、かのモーツァルトの結婚式と葬儀がおこなわれた場所だそうです。天に昇るようなゴシック建築の荘厳さに圧倒されます。

ハプスブルグ家の宮殿だった場所、城壁に囲まれていた敷地内をめぐったあと、そこからほど近い場所にある「 Galerie Wolfrum 」に行きました。ここは本屋とギャラリーが一体となったお店で、ウィーン市内で一番歴史のある本屋の一つだそう。驚いたのは、一点ものの高価なアートワーク(パステル、アクリル、油彩など)が、客が気軽に手に取れる場所にたくさん置いてあることです。お客さんはそれらを思い思いに手に取りながら、自分の家やオフィスにあう絵を選びます。お店は額装まで手掛けているようで、たくさんの額のサンプルも置いてありました。アートと市民の距離がとても近く親密で、生活の中に違和感なく存在していることを実感しました。

そのあとは、トラムに乗りベルヴェデーレ美術館へ。クリムトの「接吻」やシーレの「死と乙女」など名作を堪能。

午後からウィーンのメインの目的である、「 FOTOGALERIE WIEN 」へ。ここは9名のスタッフで運営されている写真ギャラリーで、40年近くの歴史があります。積極的に海外のギャラリーと交流をもち、海外のアーティストの提案を受け入れたり、逆にFOTOGARARIE WIENが推薦するアーティストを海外のギャラリーで展示をしたりという活動を主にしています。このギャラリーの初期メンバーであるワイターさんが、現在のオーガナイザーのSusanneさんにふげん社の活動を知らせてくださり興味をもっていただいたことで、今回お会いすることが叶いました。

Susanneさんは、ギャラリーをどのように運営しているか、どんなアーティストを今まで輩出したかなどたくさんのお話を聞かせてくださいました。お話していて一番感じたのは、作品制作や展示会を作るときに彼らが「議論」をとても大事にしていること。アーティストやスタッフ間でディスカッションをして一番いい形を見つけることに努力を惜しまないように感じました。


正直、私はここで日本ではあまり受けない「言葉」の洪水に圧倒されました。英語が得意とはいえない私にとって、実際的な言語の壁ももちろん大きいのですが、それ以上に自分の意見を言葉で表明すること、意見を交換しながら深めていくことの機会に触れてきた数がヨーロッパの人たちと比べて圧倒的に少ないことを痛切に感じることとなりました。自分たちのこれからの課題を痛感し、焦燥感をも抱きました。

同時に、言葉の限界についても考えました。同じ言語を話していたとしても、言葉にした途端にそこから零れ落ちるものの方が多く、他者とのコミュニケーションには必ず誤解が生まれます。しかしそんな時に私たちができることは、言葉にしないできない部分をどれだけ推し量ることができるか、だと思います。もちろん言葉で表現することは惜しまずに、ただ氷山の見える部分だけに着目するのではなく、水面下に隠れている大きな塊の存在を忘れずにリスペクトをもって他者と交わることです。

そして何より感じたのは、言葉で表せない部分、見えない部分、無意識の部分を表現するためにとても力になってくれるのが、芸術という存在であるということでした。

この日の終わりに訪れた精神分析学者ジークムント・フロイトの家は、その私なりの結論を示唆しているような気がしました。

納得のいく対話ができなかったと感じた「FOTOGALERIE WIEN」の帰り際、Susanneさんが、これからのふげん社の活動に注目しています、と一言おっしゃってくださったこと、この気持ちを胸に携えて、旅を続けようと思います。

Fumi Sekine
Fumi Sekine プロフィール

ふげん社・ディレクター